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    議会政治の危機

    2014年2月7日(金)

    カテゴリー» 政治レポート

     東京都知事選がまもなく投開票日を迎える。誰が勝つかはわからないにしても、突如として小泉元首相が「脱原発」だけをテーマに細川護熙氏を擁立して選挙を戦っている。一方、大阪市の橋下徹市長は、大阪都構想が一向に前に進まないということで自ら辞職し、再び都構想をテーマにして市長選挙をやろうとしている。この二つのことを見て私が非常に心配しているのは、議会政治が役に立たないので自分がこうだと思うテーマを捉えて、直接国民や住民に呼びかけるという手法をとっていることである。 

     小泉さん自身はこの手法で一度成功したと思っている。2005年、衆議院の解散総選挙を断行して郵政民営化を強引に推進した。当時小泉さんを支持した国民は十分な情報を得られないまま、小泉さん独特のパフォーマンスにメディアも協力して、それに乗せられてしまったわけだが、結果を見れば決して民営化が成功だったとは言えない。小泉さんや竹中さんは民営化が中途半端だからうまくいかないと言うかもしれないが、当時民営化を推進した自民党や公明党を含めて超党派で民営化見直しが行われたことを考えてみれば、決して小泉さんが正しかったとは言えない。橋下氏の場合でも議会が思う通りに進まない、大阪都構想が他党の反対で行き詰まっているからと、出直し選挙で事態打開を図ろうとする。こういうやり方を認めてしまうと議会政治が益々意味のないものになってしまう。

      IT化が進んでおり、それこそ重要なテーマについてはすべて国民投票で決めようということも技術的には不可能ではない。しかしその国民投票の結果、判断が間違っていたという時に一体誰が責任を取るのか。国民投票の恐さは結局自分に返ってくる話であって、責任は国民自らが取らざるを得ない。判断の誤りによって取り返しのつかないこともある。だから議会制民主政治が最も間違いの少ない政治のやり方だということで、現在多くの国が採用しているのである。過去の歴史を振り返ってみても、独裁政治の危険性については色々な国や民族が長い歴史を通じて学んできているはずだ。独裁政治は結局国民を苦しめることになる。独裁者の権力や立場を守ることを国民の利益、国益に優先させてしまうから独裁政権は哀れな結末を迎えることになるのである。

      政治の本質を考えてみれば、将来を予見できるずば抜けた賢人、哲人が政治を行えば独裁政治の方がより早く政策を実現できるということなのだろうが、所詮は人間だから必ずそういう立場に立つと私欲が出てくる。権力を握った時は立派な考えを持って立派なことを言うかもしれないが、時が経つと決してそうはなってこない。そういう失敗を繰り返してきたことの反省の上に議会制民主政治が生まれ、その後最も間違いの少ない仕組みではないのかということで定着してきたのである。ところが今の日本においては、議会政治が全く形骸化しつつある。国政もそうだし、地方議会もそういうところが多くなってきているように思う。議会政治の何が大切なのか、何の為に生まれてどういう理由で定着してきたのか、議会に席を置く人達はもう一度真剣に考えてほしいと思う。

      直近の衆議院選挙、参議院選挙で自民党が圧倒的な議席を得た。得票数においては決して圧倒的ではないが、選挙制度に恵まれて絶対多数を取っている。今、政治の動きを見ていると、マスコミ等でも言われているように「政高党低」、内閣の力が非常に強くなっているように見える。安倍首相の人気の高さもあるし、またそれを支持する大手メディア、その人気を利用しようとしている政治勢力などが安倍内閣を支えている。その人気の前に安倍内閣を作ったはずの与党である自民党、公明党が全く内閣の言いなりになってしまっている。公明党も結党の時を振り返れば、平和を守り、庶民の生活を守るということを大きな理念としてスタートしたはずなのに、理念や政策が違うからといって政権を離れるつもりはないということをリーダーが言うに至っては、何の為の政党なのかと言わざるを得ない。何としても連立を維持して権力の座から離れたくないという思いが優先してしまっていることの表れだと思う。

     更に問題なのは最大与党の自民党である。重要な政策について党内の議論を積み重ね、それが内閣の政策と違うところがあれば堂々と内閣に物を言って政策を正していくことが与党の責任のはずだ。かつての自民党はそういうことをやってきたからこそ長い間、国民から支持されてきたのである。党内に多様な議論があって、その中で最大公約数としての党の意見をまとめてきたからバランスのよい政策が実現できた。一部にはいつも同じことをやっているじゃないかとかスピード感がないじゃないかとか、そういう意見もあったかもしれないが、そういう自民党に対して多くの国民が安心感を持っていたから長く政権が維持できたわけである。

      議院内閣制の下では、与党と内閣がうまく調和していくことが大切なのである。調和というのは内閣の言う通りに党が従うということではないわけで、党の意見を内閣に対しても堂々と言う、内閣も堂々と政策を作っていく、それがうまくバランスを取って進んでいかないと議院内閣制は機能しない。党の意見が内閣の意見と全く食い違っているような時には、本来であれば立法府における与党の責任者である幹事長や政調会長が官邸に乗り込んで、総理や官房長官に党の意見をきちんと主張し、政策を修正したりしていくべきなのだ。

      三権分立の下で議院内閣制を守っていくことは、日本の憲法に明記されている。与党ばかりではなく、立法府そのものを無視するようなやり方を小泉内閣の時は当たり前のように行っていた。小泉さんは自分が国民投票で選ばれたような意識があり、国民が圧倒的に自分を支持してくれているから自民党の総裁に選ばれ、更に国会において与党の力により指名されて総理大臣になった、だから自分が総理として実行しようとしていることを議会における与党自民党が聞くのは当然だというようなやり方で、強引に政策を進めてきたわけである。それに対して与党の中から「けしからん。」と意見を言っていたのは郵政民営化に反対した我々ぐらいだったわけで、他の人達は小泉さんのやり方に従ってしまった。

      立法府は議院内閣制の下では内閣を作り出した生みの親であり、それを無視し、立法府である国会に対して行政権の長が命令を下すようなやり方は三権分立、議院内閣制の基本から言っても許されないことである。だから議会のことは議会に任せろと、衆参両院の議長はもっと勇気と見識を持って総理や官房長官に意見を言うべきである。ところが小泉内閣以降、誰も内閣に厳しいことを言おうとしない。そういうことを繰り返していると、議会は内閣の従属物であり、地方議会は首長の従属物であるかのような印象を国民に与えてしまう。益々議会を形骸化させてしまうことになる。議会で色々な議論が行われてもそれは単なる手続きであって、結果は最初から決まっているというようなことになってしまう。議会が形骸化すればするほど議会に無駄な日数やお金をかけることはない。それは国費や税金の無駄遣いだということになってしまう。国民の為に有益な議論が議会で行われるその前提として、議院内閣制や議会政治とは一体何なのか、何の為にあるのか、どうして生まれてきたのかという原点を議会に席を置く者はもう一度真剣に考えないといけないと思う。

      そもそも直接民主政治の失敗を繰り返したことの反省から代議政治、議会政治が生まれたのに、その代議政治、議会政治がうまく機能しない、国民の為にならないと国民が思うようになってくると、大事なことはすべて国民投票で決めようという直接民主政治に戻ってしまう。そして選挙はいわゆるシングル・イシュー、一つの政策とか一つの課題だけを争点に行われるようになってしまう。これは非常に危ないことである。

      社会が複雑になって、国民の意見や生活様式も多様化してくると、あらゆる政策について多くの人が正しい情報を得て判断するのは不可能である。だから自らの一生の仕事として専門的に勉強し、政治に使命感を持って取り組む人達に判断を委ねようというのが代議政治、議会政治が生まれた所以である。もちろん議員も国民の選挙で選ばれるのだから、最終的な判断は主権者である国民が行っている。その議会で議論されるあらゆる政策について国民がすべて知ることはなかなか難しい。政治家が政策について勉強を深めていくことが大切であることは当然だが、それ以上に代議政治、議会政治というのは何なのか、どうして生まれたのかという原点を忘れないことが大切で、それを見失ってしまうと結局自ら信頼を失うことになってしまう。今の傾向は議会政治にとって極めて危ないことではないだろうか。

      国民投票法についても色々な議論が行われている。これは憲法の改正に必要な手続きである国民投票に関して規定する法律であるはずだが、その国民投票法をもっと広げて、憲法だけでなく国政上の大きなテーマについても国民投票が行われるようにしたいと考えている人達もいるようだ。しかしこれも代議政治、議会政治の否定というか直接民主政治への回帰をもたらすことになりかねない。従ってこのことについても慎重に対応すべきだと思う。

    2013年を振り返って。

    2013年12月20日(金)

    カテゴリー» 政治レポート

     安倍内閣が昨年暮れに発足してちょうど1年になる。特定秘密保護法の成立過程において支持率が急速に低下したものの、依然として50%を超える高い支持率を維持しており、安倍首相はますます自信を深めているようだ。

     さて、この1年を振り返ってみると、今年は今上天皇が即位されて四半世紀となる節目の年でもあった。伊勢神宮の20年に一度の遷宮、私の地元の出雲大社では60年に一度の遷宮が行われた。更には富士山がユネスコの自然遺産に登録され、また2020年の東京五輪開催が決定した。こういう喜ばしいニュースがあった一方で、日本をめぐる国際情勢は極めて不穏なまま年を越そうとしている。日中関係は尖閣の問題をはじめとしてギクシャクしているし、日韓関係はそれ以上に深刻な状態になっている。一方、国内の問題、特に経済、財政、金融をめぐって安倍内閣、政府はいわゆるアベノミクスが効果を上げているように宣伝しているが、私は必ずしもそうは思わない。アベノミクスの成否は今後の動き次第であろう。

     日銀を中心にして安倍首相が主導し、前例のないような金融の量的緩和に踏み切ったことが株高と円安の原因になったかのように思っている人が多いと思う。しかし実際にはそうではなく、もともとここ数十年のドルと円との関係を見ていると、アメリカの長期金利の動向に連動しているわけで、既に円安ドル高の流れが始まりつつあった時に安倍首相が政権の座についてアベノミクスを打ち出し、円安ドル高の流れに上手く乗ったということである。さも自分達の政策が正しかったというような言い方をしているが、私は必ずしもそうは思わない。

     小泉政権当時、竹中平蔵氏が主導して量的金融緩和策を行ったことがあったが、それと同じことをもっと大きな規模でやっているのが今の状況である。金融の量的緩和は日本ばかりでなくアメリカもやっていると言うだろうが、市場関係者の間ではアメリカの量的緩和がいつ縮小に向かうのか、そろそろ縮小の方向に向かっていかないと大変なことになると注目していたところ、12月18日(水)、FRBが来年1月からの量的緩和縮小を決定し、金融緩和の「出口」に向かって動き出した。一方、日本の量的緩和はいつやめるのかということだが、今の状況ではなかなか「出口」が見つからないのではないか。

     安倍首相は、前例のない思い切った金融緩和と機動的な財政出動、そして民間の投資を喚起する成長戦略をアベノミクスの「三本の矢」と言っているが、肝心の第三の矢がどういうものになるのか、なかなか具体的に打ち出されない。景気が底割れするようなことがあってはいけないということで、年内に5兆円規模の経済対策をまとめると言っていたし、既に来年度の予算編成作業に入っているが、財政規模としておそらく96兆円を超える中、税収見通しが若干増えて50兆円を超えるというものの、依然として40数兆円の新規国債を発行せざるを得ない状況になっている。

     日銀の国債保有残高は今どんどん膨らんでおり、国債全体の17%以上を保有している。ゆうちょ銀行を含めた中小企業金融機関の国債保有残高よりも上回っている。日銀が市中から国債をどんどん買っていくと、民間金融機関としては日銀がそこまで買ってくれるのであればと、他に運用先を見つけようとする。しかし国内ではなかなか運用先が見つからない。だから金融機関は本店から海外の支店にお金を回して金利稼ぎをする、海外の支店はそれをヘッジファンド等に貸し出して利ざやを稼ぐ。サブプライムローンの問題が表面化した時やリーマン・ショックの時に一部で言われていたことだが、日本のお金がヘッジファンドに回って、ヘッジファンドのお金でああいった混乱が起こったという見方もあった。今回もまたそういう動きが顕在化してくるのではないかと私は心配している。

     安倍政権は小泉政権の路線と同じ路線を進んでいるが、アメリカにとってはむしろ小泉政権以上に都合のよい政権になってきているのではないだろうか。アメリカは経済は多少よくなってきていると言いながら、財政は事実上破綻しているような状況である。いわゆる「財政の崖」という出来事が何度かあり、国債発行の法定上限を引き上げないとアメリカの財政は破綻してしまうということで、一時政府の行政機関が機能停止に陥る寸前まで行き、議会と大統領が厳しく対立した中でようやく妥協した。ただ年が明ければまた同じような事態が出てくることになろう。アメリカとしては結局頼る先がほとんどないので、日本のお金を自分の懐として使うような仕組みを考えているように私には見える。だが国内にあるお金を海外で使われては元も子もない。国内で回す知恵を政治家は出さなくてはいけないが、どうも今の政治家を見ていると、財務省にとってすごくコントロールしやすい人達になっているという感じがする。日本のお金が日本国内で回るような環境を作らない限り、日本の経済は本格的によくなることはないだろう。

     今、大企業の経営者の方々に話を伺うと「日本の市場を考えていたら商売にならない。日本には投資先がほとんどないので、アジア市場全体を国内の市場と考えてそこへ積極的に投資をしていく。事業展開も海外に移していく。そういうことをやっていかない限り、収益を求めるのは難しい。」と言われる方が多い。確かに一部の大企業では潤沢な利益を得て、内部留保を積み増している。ところが従業員の所得には還元していない。安倍首相は従業員の給与をもう少し上げるようにと経営者に要請しているが、これは政府が命令してできるようなことではない。企業経営者の方々がどういう判断をされるのかにかかっているのである。ただ日本の大企業の経営がアメリカ型にどんどん変わってきているので、まず株主の利益を最優先し、次に経営者の利益を優先し、最後に従業員の所得を考える。大手の優良企業約30社を見ても、ここ20年くらいの間に役員の所得は倍になっているが、従業員の所得は逆にマイナスになっている。明らかにアメリカ型の経営手法になってきているのである。

     昨年の衆議院選挙で自民党が圧勝し、今年の参議院選挙でまた自民党が圧勝した。参議院選挙まではならし運転というか様子見をしていた安倍政権だが、参議院選挙で圧勝してからいよいよ政権の本質が現れてきたように感じる。消費税の引き上げ決定やTPP交渉参加、また原発を再稼働の方向に進めようとしているし、原発の技術を海外に輸出しようとしている、更には国家安全保障会議を作り、それと表裏一体となっている特定秘密保護法を強引に成立させた。そうした政権運営を見ていると、これは危ないと思う。

     来年度の税制改正をめぐって自民党税調でいろんな議論もあったが、消費税については軽減税率の導入を強く主張していた公明党を説得して曖昧にしてしまい、再来年、消費税を10%に引き上げた後に考えようと先延ばしにしてしまった。財政当局は消費税を引き上げる理由として、財政健全化の為に消費税を上げざるを得ないと言い、また消費税は最も公平・中立な税制だと言う。更に消費税を上げないと社会保障が持たないとも言う。ところが現実に1989年に消費税を導入してから今日まで財政が健全化の方向に向かっただろうか。社会保障の財源が安定しただろうか。全く逆である。益々悪くなっているのである。

     私はこのコラムでも再三述べてきているように、消費税を目的税に変える、外為会計の差益を思い切って中間所得層の所得税減税の財源に充てる、利子が付かない代わりに相続税・贈与税を免除する「無利子非課税国債」を発行する、そういうことを実行すれば日本の経済、財政、金融は変わってくると思う。だが残念ながら今の自民党からはそういう声は出てこない。かつての自民党は党内で理念や政策の激しい議論が行われていたが、今は下手な議論を仕掛けて執行部から睨まれたくはないと、誰も執行部に対して果敢な論争を挑んでいくというような空気が見えない。一方、野党に期待しても今のままではとても難しい。

     自由主義経済を守っていくことは国民のコンセンサスになっている。それを前提として大企業や富裕層をより豊かにしてアメリカ型の競争社会に持っていくことが日本の為になると思っている人達が、小泉路線を継承する安倍内閣を強く支持している。私は相容れないが、それも一つの考え方であろう。しかしそれだけでは困るので、今こそかつての自民党政権が作り上げた一億総中流社会の再構築を目指そうとする政治勢力と、それを支持する国民の力が必要なのだが、そのような動きが全く出てこないことに非常な危機感を覚える。

     外交、安全保障ではアメリカに対する依存度が益々高まってきており、日中関係や日韓関係が厳しくなればなるほど一般の世論としてアメリカの力を借りないと日本はやっていけない、アメリカと一体性を強めていくしかないという考え方が大きくなってきていると思う。これもまた非常に恐ろしいことである。アメリカと協調していくのは当然のことだが、もう少しアメリカに対して言うべきことは言わなくてはいけないだろう。安倍首相がやっていることで唯一、私が賛成するのはASEAN外交である。ASEANの国々との関係もここで再構築していく必要がある。日本に対する期待も非常に大きいものがあるので、安倍首相が積極的にそういう方向に向かっていくことは大変結構なことだと思う。

     来年は外交、安全保障でも一波乱二波乱あると思う。中国とアメリカとの関係も色々動きが出てくるだろう。また経済、財政、金融でもかなり波乱要因があると思っている。安倍内閣は絶対安泰だと思っているかもしれないが、私は必ずしもそうではなく意外に脆い面もあるのではないかと見ている。

    経済成長とデフレ解消の為に

    2013年10月24日(木)

    カテゴリー» 政治レポート

     消費税を目的税にすることと所得税の減税を思い切ってやることに加えて、もう一つは預貯金の活用を図ることである。個人金融資産が依然として1,600兆円近くあり、預貯金だけで860兆円ある。この預貯金が国内で回り始めれば景気は回復してくるはずだが、金融機関に眠ったままになっている。今までは国債の引き受けに相当回されていた。日銀が金融緩和で国債を市場からどんどん買っているので、民間の金融機関の国債の保有残高はここのところ減ってきた。しかしそれが企業への貸し出しという形で使われているわけではない。

     私はこの眠っている預貯金を活用することが極めて大事なことだと考えている。以前に国民新党の経済対策の中で提言したことがあるが、この際「無利子非課税国債」を思い切って発行すべきだと思う。利子は付かない代わりに相続税、贈与税を免除する。現実に預貯金860兆円の多くを高齢者が持っている。預貯金ゼロの世帯が全体の3割もある中で、ものすごく富が偏在しているのだが、リッチなお年寄りがまとめて持っているお金を表に出してもらって活用すべきである。今、金融機関に預けてもほとんど利子が付かないのだから、無利子であっても相続税、贈与税がかからない国債に魅力を感じる人は多いと思う。無利子なので財政負担はない。だからそれを有利子の国債の償還財源に充てればいい。また金融機関が預かっている預貯金は表に出ているものだが、貸金庫等に眠っている、いわゆるタンス預金も巨額にあるはずである。無利子非課税国債によって、これが表に出てくると思う。

     財政が大変だと言って消費税を導入してから既に24年が経っている。だが日本の財政はよくなるどころか悪くなる一方である。消費税を少々上げたところで日本の財政は健全化しない。そんなことより860兆円もある預貯金の活用、特に一部の富裕層の眠っている預貯金を活用する知恵を出すことの方がよほど財政改善への効果が大きいと思う。安倍内閣は大型の公共事業を含め5兆円規模の経済対策を年内にまとめると言っているが、財政が厳しいと言って消費税を引き上げることを決めた時にまた巨額の財政支出をすることは、財政健全化に逆行することであり、自分で自分の足を引っ張っているようなものである。

     更に私は以前から主張しているが、財政投融資の過去の実績をもう一度検証して、新たな財政投融資の活用を考えるべきだと思っている。小泉政権の時に財投の見直しを強引に進める為に、その財投原資である郵貯を民営化して財投の入口を閉じてしまうことを小泉、竹中両氏が主導した。その結果として多くの政府系の金融機関が民営化された。巨額の不良債権を持っていたのにそれを明るみに出さずに闇から闇へと葬ったまま民営化してしまった。民営化して一般の金融機関になると、いわゆる政策融資などは考えなくなってくる。その為に地方で地域振興の為に役に立つような仕事をやっている企業が、資金繰りでうまくいかなくて倒産してしまうというようなことが続いたのである。やはり政策投資、政策融資は大事である。国のあるべきビジョンを国土計画としてきちんと示して、活用すべき財投機関や政府系金融機関の役割をここで改めて考えるべきだと思う。

     官民を問わず日本の国内への投資が決定的に不足していることが、デフレが解消しない、消費が伸びない大きな原因になっている。やはり海外の事業化や投資家が進んで日本に投資をしたり事業を展開したり、多くの観光客が日本に遊びに来るような魅力を取り戻すことが大事である。富士山が世界遺産に登録されて観光客が増えているようだが、そういう自然遺産を活かす為にも必要なインフラ整備を進めて、海外の人達が日本に目を向けるような環境をつくるべきだと思う。これは民間だけでできる仕事ではない。まさに官主導でやらなくてはならない。インフラが老朽化してトンネルが崩落したり、橋が落ちたり、道路が決壊したりしている。ここにきて自然災害も多発している。その為のインフラ整備も必要である。その為にも財政投融資の仕組みも活用すべきだと思う。

     繰り返しになるが、中間所得層を中心とする所得税の減税と消費税の目的税にすること、更に外貨準備金や個人金融資産の活用などを思い切ってやれば日本の経済は大きく変わってくるだろう。今必要なのは、政治家が政治家らしい判断をして大鉈を振るうことだと思う。

    経済成長とデフレ解消の為に

    2013年10月23日(水)

    カテゴリー» 政治レポート

     参議院選挙後初めての本格的な論戦の場となる臨時国会が現在開かれている。TPP交渉、原発事故の処理、集団的自衛権、国家安全保障会議の設置とそれに関連する特定秘密保護法案等多くの課題があるが、やはり国民にとって生活に直結する消費税率の引き上げが決まったことで国民の消費にどう影響を与えるか、日本経済がどうなるか、そこが国民にとって最も関心が深いところだと思う。

     消費税を5%から8%に引き上げることを前提にして、住宅をはじめとする大きな支出を必要とするような物品の購入等、いわゆる駆け込み需要で来年の3月末まで消費は増えていくだろう。昨年、安倍政権が誕生して以来の円安と株高によって一部の富裕層が巨額の利益を得ているし、そういう人達がかなりの高額の商品を買うような動きも顕在化している。ただ円安・株高がずっと続くようなものではない。日銀の黒田総裁が言い続けている「2年後に2%の物価上昇」が果たして実現できるのかどうか、全く予断を許さない。

     安倍内閣の経済財政政策はやはりアメリカを強く意識した、アメリカ経済を支える為の政策と大企業優先の政策の流れが極めて明確に表れているように思う。アメリカは実質的には財政破綻しているわけで、最近でも大統領と議会が対立して政府機関が一時機能を停止する状況になって国際的な不安が広がった。一応来年2月までの国債の発行を認めるということで何とか凌ぐということだが、その先がどうなるかまだわからない。日本も借金まみれだけれど、アメリカはそれ以上に借金まみれである。日本の場合には国債の引き受け手があるから政府機関の機能停止というようなことにはならないが、アメリカの場合にはまさに政府が動かなくなってしまうようなことがある。

     その為にアメリカ国債の引き受け手を常に確保しておかなければならない。その主要な担い手は日本であり中国である。中国はアメリカと対等の立場に立ち、またこれからの経済の潜在成長力も大きいことからアメリカは中国にはあまり強いことは言えない。一方日本に対しては完全に抱え込んでいるという意識で半ば命令に近いような指示を出し、日本はそれを受け入れざるを得ないような状況になっている。そういったことを考えると、本格的な経済の回復と同時にデフレを解消させる為には、中間所得層を中心にした多くの健全な国民の可処分所得を少しでも増やして、個人消費を伸ばしていくことに尽きると思う。

     安倍内閣は法人税の引き下げや投資減税など大企業が喜ぶような政策を実行し、その一方で得た利益を従業員の所得に少しは還元しなさいというようなことを言い、経済界はそれを受け入れるような言い方をしているけれど、確たる保証があるわけでもない。今の大企業の経営から見ると、決して額面通りに受け取れない。大企業は国内で物が売れないことがわかっているので、国内への設備投資はしないし、事業展開は外へ外へと向かっている。儲けたお金も国内で回らず海外で回ってしまっている。しかも内部留保はどんどん積み上がってきているわけで、それが多くの従業員の所得に還元されていれば、その人達の消費ということで国内経済に寄与するわけだが、それもない。

     私が思うのは、一つは所得減税である。消費税を上げるのであれば同時に思い切って所得税を下げるべきである。高額所得者は税率が下げられて減税になっているが、中間所得層は減税されてはいない。逆に定率減税を廃止したことによって増税になっている。以前私は予算委員会で「所得減税をやるべきだ。」と主張したが、財務大臣は「その財源がない。」と答弁するばかり。しかしながら大きく積み上がっている外貨準備金を活用すれば巨額な為替差益が出ているので、そのごく一部を充てても相当な所得減税が実行できる。今の一般会計の中から出す必要は全くなく、その為替差益を外為会計から一般会計に繰り入れて減税の財源にすればいいのである。それと消費税の税率を上げることの理由として、財務省は社会保障費がどんどん膨らんで財政を圧迫しとても国の財政はもたない、益々借金は嵩むという言い方を常にするけれど、私は以前から指摘しているが消費税の税収は社会保障にすべて使われているとは思えない。法人税の税率を何回も引き下げて、そのことによる一部の大企業への減税と高額所得者への所得税の減税分を補う為に消費税の税収が充てられているという計算が明らかに成り立つのである。そういうことがあるから消費税を絶対に目的税にしようとしない。あくまでも一般財源として確保して何にでも使えるようにしたいのだろう。社会福祉の為に使うのだと強調するのであれば、国民に中身をもっと明らかにして、年金、医療保険、介護保険等をこういう仕組みにしますからこれだけの財源が必要になるので、消費税によって国民に負担をお願いしたいと、使い道を明確に示して理解を求めれば国民も了解をするだろう。ところが今は何に使われているかわからないし、しかも国民を騙すようなことをやる。これは許されることではないと思う。(続く)

    核兵器不使用について。

    2013年10月23日(水)

    カテゴリー» 政治レポート

     今年5月にこのホームページに掲載したが、核不拡散条約(NPT)の締約国会議で核兵器の不使用を訴える決議に日本が反対したことに対し、日本の国是ともいうべき核廃絶に反する行動を取ったことは全く考えられないと私は厳しく批判した。私が思った通り、決議に反対したことに色々なところから批判が高まった。被爆地の広島、長崎の方々はもちろん、各地のNPO等が署名を集めたりするなど、抗議が静かなうねりとして出てきた。

     そのことが背景にあったからだと思うが、今度は国連の軍縮委員会で、改めて核兵器の不使用に関する共同声明を出す動きが盛り上がってきて、それに日本も署名することを明らかにした。当然といえば当然のことであるが、政府の間違った判断を民意が正していくという大きな一歩だったと思う。大変結構なことだと思うし、私が批判をしたことが一つの良識として国民の間に出てきたことについて安堵感を覚えた。