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    安倍改造内閣と今後の政治課題

    2014年9月25日(木)

    カテゴリー» 政治レポート

     9月29日(月)に臨時国会が召集されることになったが、その国会を前にして各党が新しい役員人事を行った。安倍首相は内閣改造と自民党の役員人事を9月3日(水)に行ったが、それを見ると安倍首相のかなりのしたたかさが感じられてくる。裏を返せば長期政権を目指す為に知恵を絞ったということだろう。内閣の顔ぶれでも主要閣僚をほとんど留任させた。またライバルの石破氏を閣内に取り込み、谷垣前法相を幹事長に起用して党運営の責任を負わせた。そして女性の活躍を推進することと地方創生の二つを強力に進めたいと強調しているが、言うまでもないが次の総選挙、あるいは来年に予定されている地方統一選挙で勝つ為には女性と地方の支持を得ることが不可欠だと判断したからだと思う。その首相の狙い通り一時的に安倍内閣の支持率は上昇したが、これも報道機関によってかなりばらつきがある。

     女性の活躍を推進するということで、これに関連する法案を臨時国会に出そうとしている。現在の社会において女性が活躍する場を広げていくことは当然のことだが、少子化現象を考えてみても、結局女性が子供をつくりにくい環境が改善されていないから、そういう状況になっている。子供を育てにくい、子供を持つ母親が働きにくい、そういう環境を根本的に改善しない限り、いくら女性、女性と言って騒いでみてもなかなかうまくいかないだろう。何が根本的な原因なのかということの掌握が十分になされていないように私には見える。

     地方創生についても関連法案を臨時国会に提出するようだ。地方は今、急速な高齢化が進み、雇用の場も減り続けているので、ますます若者はいなくなってしまい、地方がどんどん衰退している状況にある。だから、地方の活力を何とか取り戻したいと考えるのは当然のことだが、これも小手先でいくら色々なことをやっても思うようにはいかないと思う。私が以前から指摘していることだが、どういう国をつくるのか、どういう国土を形成するのかという国土計画、国土政策が小泉政権以後、欠落したままになっている。国土全体のグランドデザインを示さないでおいて地方を創生すると言っても小手先のことに終わってしまう。もともと明治以前の藩政時代には日本の国土をバランスよく使っていたわけで、それぞれの地方に人が定住して素晴らしい個性的な文化をつくっていた。それが中央集権体制が進んでいく中で、地方がどんどん衰退をしていったのである。やはり国土のグランドデザインを示した上で、それを実現する為の地方自治広域圏をつくり、それを支えていく為の税制、財政の思い切った見直しをやらないと、いくら地方創生と言ってもそう簡単にいくものではない。まさに選挙目当ての目玉づくりに過ぎないのではないかという感じがする。

     ただ野党の力が近来になく弱いので、与党にとっては極めてやりやすい状況といえるだろう。野党第一党の民主党も先日、新たな党役員人事を発表した。海江田体制に批判的だったいわゆる6人衆を取り込んで、挙党一致的な姿を見せようということのようだが、これも選挙を意識した体制づくりのように見えてしまう。人事の面で挙党一致を強調しても、民主党という政党がどういう国をつくり、どういう社会をつくるのかという基本的な理念を示さない限り、これまた国民の期待感は出てくるとは思えない。まず今、安倍政権に対する国民の懸念に応え得る対立軸を基本理念と政策において明確に示すことが一番大事なことだと思う。それができないから野党が自民党や安倍内閣を批判的に見ている人たちの受け皿になっていない。従って無党派層がどんどん増え、過去最高の水準に達している。

     日本維新の会と結いの党が一緒になって「維新の党」がスタートしたが、これも何を目指しているのかが明確に見えてこない。みんなの党はまた内輪揉めをしている。今の野党勢力の中で安倍政権と同じ方向を向いているような党は与党の補完勢力であって、真の野党ではない。以前から指摘していることだが、理念・政策で今の自公政権と違うことを言い続けているのは共産党と社民党の二つ。だから受け皿がない中で共産党の支持率が上がってきたということだろう。やはり理念・政策で今の自公政権にはっきりと対立軸を示すことができなければ野党とは言えない。それを示せなければいくら国会論戦で内閣、与党批判をやっても国民の期待感には応えられないし、支持率も上がるとは思えない。

     こういう状況で安倍首相はいつ解散・総選挙を断行するか、そのことを慎重に図っていると思う。今度の臨時国会ではいわゆる重要な対決法案はあまり出てこない。みんな先送りしているわけで、重要なテーマをこなしていく為にはその前に解散・総選挙をやって、絶対多数を取っておく必要があるということを当然考えていると思う。選挙の時期は現時点では何とも言えないけれども、統一地方選の後に行うのか、同時にやるのか、それとももっと早く年内に実施するのか、これもまだ色々な見方、考え方があるので断定はできないが、いずれにしても解散・総選挙を意識した政権運営になってきていると思う。

     果たして安倍政権は順風満帆なのだろうか。先送りしようとしているテーマで、特に年内待ったなしに判断を迫られる消費税の再引き上げをやるのかやらないのか、また集団的自衛権の行使を可能にする関連法案は来年の通常国会に提出するのだろうが、日米安保条約に基づくいわゆるガイドラインの見直しは年内にやらなくてはいけない、更に原発の再稼働についてどう判断するのか、TPPの交渉をどうするのか。11月には沖縄県知事選挙があるが、アメリカと約束している普天間の辺野古への基地移転をどう進めるのか、これは集団的自衛権や日米ガイドライン見直しと関連したものなので、そう簡単なことではない。安倍政権はこうした大きな課題をどう乗り切っていくのか、決して楽な政権運営ではないと思う。

    待ったなしの野党再編成

    2014年8月8日(金)

    カテゴリー» 政治レポート

     中央政界も夏休みに入っている状況で、皆それぞれ海外に行ったり、選挙区に戻って国政報告をしたりしているようだ。そうした中、安倍政権は益々独裁的な色彩を強めており、首相はこれでもかというぐらい海外を駆け回って積極的平和主義をアピールし、諸外国のリーダーから理解を得ているのだということを、メディアを通じて国内に宣伝し人気を高めて支持率を回復したい考えのようである。与党・自民党の中は党内批判勢力が全くなく、内閣に従っているだけという状況になっており、もっぱら9月初旬の内閣改造・党役員人事に関心が集中している。

     一方、野党の再編成が色々と言われる中で、日本維新の会が分党し、次世代の党と二つに分かれた。維新の会の橋下徹代表は結いの党の江田憲司代表と連携を深めて新しい党を作る準備を始めている。橋下氏や江田氏の話を聞いていると、自公政権に変わる政権を担える勢力を結集したいようだ。私から見ると、維新の会も結いの党も次世代の党にしてもみんなの党にしても、今の安倍政権と目指す方向が同じように見える。集団的自衛権の行使容認についても、中にはもっと強硬な考えを持っている人達もいる。まさにアメリカと一体化していこうとしている。更に野党勢力を再編成した中で、あわよくば安倍政権と連立を組もうという考えすら垣間見える。

     今の安倍政権の姿を見ていて、非常に危機感を抱き始めている国民はかなり多くなってきていると思う。そういう人達の声を代弁する政治勢力が出てこないことは極めて不幸なことである。このまま秋の臨時国会が開かれても国民の懸念に応えていける政治勢力がない中での論戦にはあまり意味がない。今の安倍政権の基本政策ではダメなのだという対立軸を早く作らないと、一方的に一つの方向に流されてしまう。日本の将来に危険な状況をもたらし、国民生活が脅かされることになりはしないかという危機感が益々強まっている。

     今、野党第一党の民主党の支持率が全く伸びない。なぜ伸びないのかと言えば当然のことだが、せっかく政権を担当する機会を与えられたのに国民の期待に応えられずに、あまりにもひどい姿を晒してしまったことと同時に、これからどういう社会や国家をつくろうとしているのかがさっぱりわからないからで、これでは何の期待感も出てこない。民主党には野党第一党として、今の安倍政権の一方的なやり方、また意図的に危ない方向に引っ張っていこうとしていることに歯止めをかける政治勢力の中心になっていく責務があると思う。ところが民主党の中に新自由主義の人達がかなりいて、自民党と連携してもいいというような人達もいる。いわゆる6人衆と言われている人達だが、その6人衆も一つにまとまっているわけではない。海江田執行部はもっとはっきりと、安倍政権の暴走にブレーキをかける役割を果たすことを前面に出し、集団的自衛権あるいは憲法第9条についての間違った認識をはっきりと正していくべきだと思う。同時に経済・財政・金融政策についても、私は以前から指摘していることだが、GDPが全然伸びていかないのは個人消費が伸びないことが最大の原因であって、安倍政権は円安になって法人税が引き下げられてくれば、さも経済がよくなるような言い方をしているが、円安になっても石油をはじめ輸入食料品等の価格が上がり、国民生活は益々苦しくなるばかりで、一部の輸出大企業が潤うだけである。それが潤ったからといって日本の国民生活に良い影響があるのかと言えば決してそうではない。製造業の輸出大企業は生産拠点をどんどん海外に移しているし、法人税の引き下げに伴う利益が従業員に還元されているわけでもない。そういう状況下で消費税を上げるのであれば、法人税を下げるのではなく、中間所得層を中心にした思い切った所得減税をやるべきだと私は言い続けてきた。多くの中間所得層の人達の可処分所得が増えなければ、国内の個人消費が伸びるはずはない。今こそかつて自民党が実現した一億総中流社会を再構築する。そこに民主党が柱を立てるべきだと思う。

     所得減税の財源はどうするのかと財務省は言うだろうが、財源は知恵を出せばいくらでも出てくる。その一つとしてこれも以前から主張していることだが、無利子非課税国債を発行する。GDPが大きくならない中で個人金融資産は増え続けており、今や1,630兆円以上になっている。そのうちの53%が現金や預金で、既に860兆円以上に上っている。そのお金を海外ではなく国内で回す知恵を出すことが大事である。特に高齢者や富裕層でたくさんの預金を持っているような人は、相続税を取られることが最も怖い。だから利子が付かないけれども相続税を免除する無利子非課税国債を発行すれば間違いなくよく売れると思うし、財務省にしても金利負担のないお金を借りることができる。財務省は一部の富裕層を優遇しているように思われるからよくないと常に言うが、富裕層の持っているお金を活用して国民生活をよくするということであって、何も富裕層を優遇しているものではない。また外為会計に大きな為替差益があるので、それを使えば簡単に思い切った所得減税はできるはずである。更に消費税率を引き上げることについて、政府、財務省はいつも社会保障充実の為だと言うが、社会保障の為に消費税が使われているのであれば、年金にしても医療・介護にしてももっと充実してきているはずなのに、依然として不安的な状況にある。消費税の税収が社会保障にきちんと使われてはいないことを裏付けている。以前指摘したことだが、消費税導入以後今日までの税収合計額と法人税を段階的に引き下げたことによる減収額がほぼ同じになっているのである。従って消費税は社会保障特別会計の特定財源として社会保障にしか使えないようにすれば国民は納得するだろう。しかし財務省はそれをやりたくないからあくまでも一般財源にしている。そういうところを厳しく指摘するべきではなかろうか。他方、大都市と地方都市の格差が拡大し、地方の過疎化・高齢化が加速し、限界集落が増え、自治体が維持できなくなってしまうということすら言われ始めている。ここでもう一度きちんと国土政策を見直してバランスのとれた国づくり、大都市に住んでいても地方に住んでいてもそれなりの豊かな生活が享受できるような環境をつくることが政治の責任である。そもそも竹中平蔵氏の考えで国土政策の中に競争原理を導入してしまったことが大都市と地方都市の格差を拡大させてしまった最大の要因である。本来国土政策は経済の論理で進めるものではなく、まさに政治の意思である。政治主導できちんとした考え方、基本的な計画を示して、政治が引っ張っていかなければ均衡ある国づくりはできるはずがない。もともと日本は自然とも調和し、全国それぞれの地域で個性的な文化を作り上げてきたバランスとの取れた国だった。だからこそ美しい日本といわれてきたのである。国土がどんどん崩壊し始め、地方に人が住まなくなってくるという状況を放っておいて美しい国になるはずはない。均衡ある国づくりはまさに政治の責任であり、民主党はそのことをはっきりと打ち出していくべきだと思う。

     外交・安全保障、経済・財政・金融の基本政策をもう一度党内できちんと議論して、それでも相容れない人達がいて、党内がまとまらないということになれば、維新の会が次世代の党と分党したように分党すればよいと思う。安倍政権と同じ方向を目指すような人達はそちらに行けばいい。そうではないという人達が大きな柱を立て、理念、政策をきちんと打ち出して結集していくことが何よりも急がれる。民主党が一時的に割れれば当然人数は減るが、それを怖がらずに勇気をもって堂々と行動すれば、心ある国民は支持すると思う。
    政治は何の為にあるのか、政党は何の為にあるのか、国会議員は原点に返ってよく考えるべきだと思う。特に今、力を失っている野党の人達にもう一度そのことをよく考えてもらって再スタートを切ってほしいと思う。

    安倍内閣の暴走を誰が止めるのか。

    2014年7月5日(土)

    カテゴリー» 政治レポート

     安倍内閣がついに集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行ったが、まさに結論先にありきでそこに持っていく為のシナリオを作って、そのシナリオ通りに事を進めてきた結果だと言わざるを得ない。

     私は集団的自衛権の行使を容認することには断固として反対であると一貫して言い続けてきたが、安倍内閣はこの閣議決定によって長く続いてきた我が国の立憲主義を根底から覆すという取り返しのつかないことをやってしまった。一内閣の解釈によって事実上憲法の条文を変えることを認めてしまったら、最高法規たる憲法が意味をなさなくなるわけで、絶対に許してはならないことである。

     安倍首相は「最高責任者は自分だ。」としきりに言うが、安倍首相は行政権の最高責任者であるが、国家の最高権力者ではない。憲法65条に「行政権は、内閣に属する。」と書かれており、それをもって自分は最高責任者だと言っているのだろうが、その行政権は憲法が内閣に与えているのであって、憲法の上位に内閣総理大臣が位置しているわけではない。憲法によって行政権を委ねられているということである。従って憲法を変えていいとか勝手に解釈していいというような権限を与えられているわけではない。だから憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と書かれているわけで、憲法を遵守するということ、勝手な解釈は許さないという当然のことを述べて敢えて釘を刺しているのである。

     そして本来は憲法に違反しているのかしていないのかの判断は裁判所がやるべきことである。立法権、行政権に携わる人達の行為が憲法に違反しているのかどうかは最終的には最高裁が判断する。それを一内閣が勝手に判断してよいなどとは全く想定していない。憲法81条には「最高裁判所は一切の法律命令規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と明記されている。そして憲法の下で行政権を委ねられている内閣の行為が憲法に違反しないようにするとともに、多くの法律の整合性を保つ為に内閣法制局がある。従って内閣法制局は法律の専門家の集団でなくては困るし、そのトップである内閣法制局長官は主に法制局内部から専門家を起用することが慣例となっていたのである。ところが今回は内閣法制局でブレーキがかかると困るから、長官に外務省出身者を敢えて起用し、憲法に違反していないということを法制局に言わせる、むしろ積極的に進める為に手伝わせようとした。まさに内閣法制局が本来やるべきことをいい加減にしてしまった。今、解釈改憲はおかしいと主張している人達の中に複数の良識ある内閣法制局長官経験者がおられるが、今回のことで内閣法制局の権威は著しく損なわれたと思う。

     そもそも国権の最高機関である国会が、内閣のやっていることはおかしいと当然言わなくてはいけない。ところがその国会において、特に最大の与党の自民党が黙ってしまっている。かつての健全な自民党であれば、党内で党を二分する大激論が行われたはずだが、現状は村上誠一郎代議士が勇気を持って正論を述べているだけで、他の多くの議員は執行部を恐れて御身大切とばかりに異論を唱えようとしない。その自民党が多数を占めている上に野党の中にも共同歩調をとる党があるのだから、国会の場で反対意見が非常に出にくくなっている。そのことも安倍首相の行動を早めたことにつながったと思う。

     国権の最高機関である国会は与野党ともにここでもう一度、内閣総理大臣はどういう立場なのか、憲法上どういう権限を与えられているのかよく考えなくてはいけない。歴代の内閣が個別的自衛権は容認できるけれど、集団的自衛権の行使は容認できないという判断をしてきた。憲法上の制約があるから容認できないわけであり、行使を容認したいのなら堂々と憲法改正をやるべきで、内閣が勝手に判断して憲法を事実上変えてしまうことを許してはならない。更に連立与党である公明党の良識ある判断に期待したが、残念ながら我々の期待は裏切られてしまった。公明党の幹部が閣議決定後に述べていることは我々には意味不明である。平和主義は公明党が一番大切にしていることで、平和の党であることは全く変わっていないと言っているが、そうであるならば集団的自衛権の行使を容認することがどうして平和を守ることにつながっていくのか、私には全く理解できない。

     集団的自衛権の行使を推進しようとしている人達の言い方によると、周辺の国々、中国や韓国や北朝鮮の日本に対する攻撃の抑止力が強まったと言うが、これは全く逆だと思う。抑止力が強くなるというより、むしろ攻撃される危険性が増すことに他ならない。安倍首相は国民生活を守り、国の安全を守る、その為にプラスなのだと強調するが、アメリカの総合的な国力が落ちてきている中でアジアにおけるアメリカの存在感を維持する為に、いかに日本を利用していくかということがアメリカの本音だろう。日本の国土や国民の安全を守る為というよりも、日本の国の外でアメリカと共に戦う、そのシステム作りを始めようとしているとしか思えない。

     集団的自衛権の行使容認の例として機雷の除去、掃海活動を挙げているけれど、機雷はまさに戦闘行為の中で敷設されているのであって、それを除去することは敷設した側から見れば敵対行為になる。こちら側がいくら平和の維持の為に除去していると言ってみても、機雷を敷設した側はそんなふうには思わない。またアメリカがどこかの国と戦っている時に武器・弾薬やその他の物資を補給する。これを後方支援活動を言っているけれど、武器・弾薬などの物資を補給する行為そのものが戦闘行為と見做される。それから戦闘地域や危険な地域から邦人を早く日本へ返そうと、その邦人輸送をするアメリカの艦船を守ることも必要だと言うが、そのことを何もアメリカに頼む必要はないし、そういう危険な地域にいる邦人を日本に安全に返すことはまさに個別的自衛権で十分できる。アメリカの助けを借りなくても日本が独自の判断で行えばいいことである。そういうことを例に挙げて議論すること自体、全く意味のないことだと思う。

     いずれにしても日本が戦争に巻き込まれる恐れが格段に強まったと言える。「家族が自衛隊員である以上、命令には従わざるを得ないと思うけれど、日本の国土や国民を守る為に自衛隊に入ったはずなのに、他国に行って戦闘行為に参加しなくてはいけないというのはいかがなものか。」などと自衛隊員の家族が心配するのは当然のことだ。こういうことであるならば自衛隊に入っていてほしくないという声も出てくるだろうし、集団で自衛隊を辞めるような人達が出てくることもあり得る。そういうことが広まってきた時に現在の志願制が成り立たなくなってくる。自衛隊の勢力を維持する為に、いずれは徴兵制の道を開くことになってくる危険性もある。とにかくわざわざ日本の周辺を危ない状況にしていくような外交政策をとっておいて、危ないからアメリカと一体化しなくてはいけないというようなことを言うのも、平和国家のリーダーとしては間違っていると思う。世界の緊張が高まって危険な状況になればなるほど、日本を敵視する国を減らし、より多くの国にとって必要な存在になっていく道を選ぶべきだと思う。安倍首相は「普通の国になる。」と言うが、普通の国である必要はない。むしろ世界に例がない平和憲法を持っている特別な国であることを誇りに思うべきだし、他の国にはない独自の外交戦略を確立していくべきだと思う。

     安倍内閣の方針を支持する若い人達の中に、「日米安全保障条約を結んでいるのだから、お互いに守り合うのが当然ではないか。日本がアメリカに守ってもらっておきながら、アメリカを守れないというのはおかしい。」とコメントする人がかなりいる。それを言うのであれば、集団的自衛権の行使を容認するからには米軍の日本における駐留を断るべきだと言いたい。日本はアメリカを守る義務はない、守ろうとしても憲法の制約があってできない、だからそれに代わるものとして米軍の基地と駐留米軍を日本の国内に置くことを認める、しかも基地の駐留経費を日本も応分に負担するということで成り立ってきたのである。だから集団的自衛権の行使を容認するというのなら、自分の国は自分の力で守るという国民の覚悟を前提にして日米安全保障条約を見直し、米軍の基地や米軍の日本からの撤退を求めるべきではなかろうか。自らの力で自国を守れない国が他国を守れるはずがないし、米国と対等な立場で集団的自衛権を行使できるはずもない。

     やはりこの際は、今回の内閣の決定は憲法に違反しているという訴えを多くの国民が起こすべきではなかろうか。そして裁判所の判断を仰ぐことと同時に国民に信を問うべきであろう。直近の衆参両院の選挙の時に、集団的自衛権の行使を最大の争点として選挙に勝ったのならば、安倍首相が言っているように国民の判断を得ているのだと言えるかもしれないが、そうではないわけだから、やはりもう一度速やかに解散をして国民の信を問わなくてはいけない。しかしながら前述したように、今回の内閣の判断を容認するような野党もあるのだから、野党全体がまとまって解散に追い込むようなエネルギーは出てこない。国会が閉会になったので閉会中審査をやるようだけれど、内閣の決定を覆すような論戦は期待できない。秋の臨時国会か来年の通常国会で内閣は関連した法律の改正案を提出することになっていくが、その法案の審議を通じてもっともっと本質的なことを国民に知らせていくような論戦を展開する為に、今こそ野党は頑張らなくてはいけない。

     現在、集団的自衛権の行使容認に反対する人達のデモが首相官邸周辺をはじめ各地で行われたり、地方議会で反対決議が行われたりしている。こうした国会の外での一般の国民の勇気ある行動が国会議員を動かし、国会における国の命運をかけた大論争が始まることを心から期待している。

    集団的自衛権について

    2014年6月21日(土)

    カテゴリー» 政治レポート

     今国会が会期末を迎える。政府提案の法案などは、衆参両院とも与党が多数を占めているので政府・与党の思い通りに処理されてきたが、何と言っても最大の問題は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を少しでも早く行いたいという安倍首相の姿勢だ。

     公明党との間の与党協議がうまく進まないということで、自公の間では今国会中の閣議決定は難しいと判断したようだが、更に協議を加速させてできるだけ早く閣議決定したいという安倍首相の意向は益々強くなってきている。公明党は自民党の提案に対して色々と意見を言っているようだが、行使を容認した上でそれにできるだけの歯止めをかけたいという、いわば条件闘争になっているように見える。これでは全く何の歯止めにもならない。

     そもそもこれは極めて簡単な話で、集団的自衛権の行使は認められないという歴代内閣の解釈を変えて、行使を容認できるようにしたいという安倍首相の考えに対して容認できるかできないかをハッキリ言えばいいだけの話なのである。個別的自衛権も集団的自衛権も国際法では認められている権利だが、日本は平和憲法を持っていることから個別的自衛権はギリギリ行使できるけれど、集団的自衛権の行使は憲法上容認されないというのが歴代内閣の基本的な考えであるわけで、集団的自衛権の行使に条件を付ける云々というような話ではない。

     憲法上の制約があるから集団的自衛権の行使は容認されないということなのだから、行使を容認したいと言うのなら堂々と憲法を改正するということにならなければおかしい。憲法上の制約を取り除く為には憲法を改正するしか方法はないはずである。それを憲法改正の手続きを取らずに内閣によって憲法解釈を変えてしまうことは立憲主義そのものを否定することになる。今の自公協議を見ていると、その最も大切なところを飛び越えてしまって、集団的自衛権の行使を容認するにあたっての条件についての話し合いをやっているに過ぎない。公明党は平和を守るという立党の精神よりも政権与党であり続けたいという方を優先しているように見えて仕方がない。極めて残念なことだと言わざるを得ない。公明党には何とか頑張ってほしいと期待を持って見守っているところである。

     そして何よりも残念なことは、自民党内で安倍内閣の方針に異論を唱える人達の声が全く聞こえてこないということである。このコラムでも何度か指摘してきた通り、まさに安倍内閣の本質が表れてきたが、それにブレーキをかける政治勢力が共産党と社民党以外には国会の中に見当たらない。国民や有識者の間には我々と同じような意見の人達はかなりいると思うが、残念ながら国会の中に我々の意見を代弁するような人達がほとんどいなくなっている。

     それと時代が変わったと言えばそれまでのことかもしれないが、かつての60年安保の時のような、国の将来を憂う若い人達のエネルギーは一体どこへ行ってしまったのだろうか。日本の若者は元気がなくなってしまったとつくづく感じる。「長いものには巻かれろ。」、「寄らば大樹の陰」といったような人達はいつの時代もいないわけではない。しかし国や国民が危険に晒される恐れがあるという大きな判断を政治が下す時には、それを注視して堂々と発言したり行動したりしなければ、その暴走は止められない。最後は国民の判断なのである。しかも今のマスメディアは現内閣をサポートするような流れになってしまっており、批判的なメディアが少ないことも恐ろしいことである。

     日米安全保障条約において、アメリカが日本を守る義務を負っているのに日本がアメリカを守る義務を負っていないのはおかしいと言う人がいるが、アメリカの国益の為に日本がアメリカを守る義務を負うことは日本の憲法上あり得ないことなのである。だからアメリカを守る義務は負わない代わりに日本国内に米軍基地の駐留を認めて、その駐留経費を日本が応分の負担をしてきている。そのことが安保条約上担保されていることで成り立っているのである。仮に集団的自衛権の行使を容認するということになったとしたら、まさに日本にとって不平等な条約になってしまうのである。

     集団的自衛権の行使を容認することは、アメリカにとって極めて都合のよいことである。安倍内閣は日本が危険に晒された時のことばかり話をするけれど、集団的自衛権は日本が危ない時ばかりではなく、アメリカが危ない時には日本が共同防衛の義務を負う。安倍首相は自国の安全が守れないとか、国民の安全が確保されないといったことばかり言うけれど、そういうことを言いながら一方では中国、韓国との関係を悪化させ、ロシアとの関係も決してよくなっているわけではない。今日、中国の台頭あるいは中東の不安定な情勢、ロシアの対ウクライナの問題等々、世界が益々多極化、多様化している中で、日本の安全を守るということは、世界中に敵を持っているアメリカと一体化することではなく、できる限り日本を敵視する国を作らないことが日本を守る最も重要な外国戦略だと私は言い続けてきた。

     どういう内閣であっても憲法の条文の解釈を変更し、関連した法律を変えていくということは、憲法そのものをないがしろにしていることになる。内閣の憲法解釈で事実上の憲法改正をやってしまうことは立憲主義国家を根底から壊すことであり、絶対に許してはならない。来年は第二次世界大戦終了後、70年の節目を迎えることになるが、我が国は今まさに戦後最大の危機に直面していると思う。

    集団的自衛権について

    2014年4月16日(水)

    カテゴリー» 政治レポート

     今、日韓関係、日中関係が極めて不正常な姿になっている。韓国や中国や北朝鮮やロシア、そういう国々に対して日本の主張を通す為には、もっとアメリカと一体化してアメリカの力を借りなくてはいけないという考えの人もかなりいることは間違いない。

     しかし日本が武力に訴えて国際紛争を解決したり侵略行為はやらない国だというように思われてきたのは、やはり先の大戦の反省から平和国家としてのイメージを、憲法を基にして作り、それを今日まで守ってきたからである。仮に憲法が自衛権を認めていたとしても、あくまでも専守防衛という日本が他国から攻撃を受けたり侵略をされたりした時に自ら守る権利を持っているという範囲のことであって、同盟国が他国から攻撃を受けた時にそれを守る義務を負っているとか権利を持っているということではない。

     日米安全保障条約を持ち出してすぐ「日米は同盟関係だ。」、「イコールパートナーだ。」という言い方をする人がいるが、日米安保条約を結んだ時の状況を考えてみれば、アメリカは日本が現行憲法を持っていることは充分に承知しており、その原案がアメリカ側で作られたということからしても、アメリカはその憲法を前提にした上で安保条約を結んでいるのである。

     日本が他国から侵略をされたり攻撃を受けたりした時に、アメリカは日本を守る義務を負っているが、アメリカが他国から攻撃されたり侵略されたりした時に日本はアメリカを守る義務を負っていない。そのかわりアメリカのアジア戦略に基づいてアメリカ軍を日本国内に駐留させる、そしてその駐留軍を日本は守り一定の経費を負担することがお互いの責任として結ばれている条約なのである。それを飛び越えたことを日本が率先して行う必要は全くない。

     アメリカは今、国力がどんどん弱くなってきている。もちろん今でも世界最強の国であることは間違いないが、第二次世界大戦当時のアメリカの相対的な国力から考えると、世界が多様化して色々な大国が次々と力を蓄えてくる中で、アメリカは世界の警察官としての役割をもはや果たせなくなってきている。アメリカのアジア戦略を実行していくには日本の力をもっと借りたいというのが本音だろう。日本側から集団的自衛権の行使容認をやってくれればアメリカにとってはありがたいのは当然のことだが、そのことによって日本が受ける影響の大きさを考えてみた時に、今の時期にこんなことをやる必要は全くない。

     他国から侵略されたり攻撃されたりする可能性は皆無ではないし、特に今は緊張が強まっている。日本の国土と国民の生命、財産を守ることは政府の責任として当然やらなくてはいけない。だから自衛隊の存在は国民の多数が容認している。

     私の従来からの考え方だが、政治的に言えば日本を守る最大の道は日本を敵だと思う国を少なくすること、理想を言えば日本を敵視する国をなくすことだと思う。日本の存在がどこの国にとっても意味がある、必要だというところまで行けば理想だが、そう簡単なことではない。そうした中で日本を敵視する国を新たに増やす必要は全くない。日本の同盟国とみんなが言っているアメリカは、世界中に敵を持っている国である。言い換えればアメリカくらい敵の多い国はない。そういう国の世界戦略に同盟国として日本が深く関わって、共同で戦略を作ってきているのならまた違うのかもしれないが、アメリカの世界戦略は日本と相談して作っているのではなく、アメリカはアメリカの国益を考えて構築しているのである。その為に使える国は使う、協力してもらえる国には協力してもらう。日本がアメリカの51番目の州なら別だが、あくまでも独立した国同士の関係である。アメリカの世界戦略とかアジア戦略に100%同調するようなことをやったら、作らなくてもよい敵をどんどん増やすことになってしまう。

     集団的自衛権の行使を容認してアメリカと一体化するということではなく、世界にこれ以上敵を作らない、また今の日本を敵視する国に対してできる限り日本の真意を粘り強く説明して理解を得ていくという、高度な外交努力の積み重ねが日本を守る最大の道だと思う。