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    安倍政権は「戦争への道」を歩むな。

    2015年5月18日(月)

    カテゴリー» 政治レポート

     5月14日(木)に安倍内閣が安全保障法制の法案を与党の了承を得た上で閣議決定し、翌15日(金)に国会に提出した。法案の内容について細かいことを言えば限りがないが、その前にまず基本的なことをないがしろにしてしまうことによって法治国家が成り立たなくなることに強い危機感を抱いている。三権分立のあり方、議院内閣制のあり方、それに関連した国会と内閣との関わり方、そして最も大切な憲法とは何なのかということ。そういう基本的なことが全くないがしろにされてきている。私は安倍内閣の暴走を目の当たりにして、もはや法治国家のリーダーとしての見識も常識も失われてしまったのではないかと言わざるを得ない。

     言うまでもないが、安倍首相は日本の行政の責任者なのであって、アメリカの政治の責任者ではない。先日訪米してアメリカの上下両院の合同会議でアメリカを礼賛するような演説を行い、何回にもわたって大きな拍手を受け、大層気持ちが高揚しているようだった。アメリカの上下両院は主権者であるアメリカ国民を代表している議員によって構成されているわけで、その合同会議でこの夏までに安保法制関連法案を成立させるということを言い切った。これはアメリカの国民に約束したことになる。日本の行政の責任者である首相が自分の所属している与党の了承もまだ取れていない、閣議決定もしていない、もちろん国会の審議も全く行われていないという段階で、アメリカの国民の代表である議員を前にして今夏までに法案を成立させると言い切ることは、日本の主権者である国民を全くバカにした話だ。安倍首相はなぜそういうことに気がつかないのか、私には信じられない。

     アメリカは今、経済、財政、金融をはじめ八方ふさがり、すべてが手詰まりの状況にある。特に外交安全保障政策においては思うようにいかない。本年は第二次世界大戦後70年の節目の年だが、アメリカは大戦後次から次へと国外の紛争に介入してきたが、アジアにおいても、また中南米や中東においてもそれがことごとく失敗した。そして今やそのツケがすべてまわってきている状況である。中国が台頭し、ロシアが益々存在感を大きくしてきている中で、アメリカ単独ではどうにもならない状況に陥っている。アメリカは従来から対日戦略を進めるにあたって、日本の経済力を常にコントロールできるようにしながら、日本の富の蓄積は実質的にアメリカが自由に使えるという関係を長い間がかかって作り上げてきた。それに加えて近年は安全保障政策でももっと日本を自由に使おうと考えているのは明白である。

     前回、安倍首相が訪米した時は極めて冷たい扱いをされた。首脳会談は行われたが、歓迎晩餐会も共同記者会見もなかった。ところが今回の訪米では手のひらを返したように、上下両院の合同会議で歴代首相として初めての演説が行われ、共同記者会見があり、歓迎晩餐会も催された。アメリカが今苦しい中で日本を完全に取り込んで、アメリカの国策に協力させようと前回とは180度違う対応をした。それに乗せられたようにアメリカを礼賛するようなことばかり話をすれば、アメリカの議会や政府が喜ぶのは当然である。日本はアジアの国であるのに、その演説からはアジアの近隣の国々に対する配慮が全く感じられなかった。中国や韓国はもとより、第二次世界大戦の時に日本軍によって被害を受けた東南アジアの多くの国々に対する配慮がまずなされるべきだろう。そして何よりも日本の主権者たる国民の代表であるという意識を第一に持つべきだが、演説を聴いていると安倍首相は一体どこの国のリーダーなのかと思ってしまう。

     また昨年7月の集団的自衛権の解釈変更を前提に、まだ安全保障法制が整理されていない段階にも関わらず、法案の成立をアメリカに確約した上で日米安全保障条約のいわゆるガイドラインの見直しも行った。これも国会軽視どころか国会無視、国民無視と言わざるを得ない。首相というのはそこまでの権力を国民から与えられてはいない。権力を縛る為に大きな役割を果たす最高法規である憲法を勝手に解釈して、憲法そのものを改正せず、憲法が予定しないことを解釈変更で平気でやってしまう。このことからしても行政権の長たる資格がないと言われても仕方がない。

     安倍首相にしてみれば、昨年暮れの総選挙で自民党が圧勝し、連立与党の公明党と組んで絶対多数を持っている現状では、どんな法案を出しても最後は数の力で通せるという見通しがあるから解釈変更を平気でやるのだろうが、仮に法案の成立が見通せたとしても、我が国では最高法規である憲法を基にした様々な法律、手続きがあるわけで、その手続きをきちんと踏むことが法治国家として最も大事なことである。自分はこう思う、こうすべきだと思うのなら、その為にきちんと手続きを踏んで、国民に粘り強く説得をしていくことをしなければいけないのに、そういうことを置き去りにして、結果が見えているのだからといったような驕り高ぶりは極めて危険なリーダーの姿勢だと思う。

     今回閣議決定した安全保障法制関連法案は、集団的自衛権を行使できるようにする武力攻撃事態改正法案など10本を束ねた「平和安全法制整備法」と、戦争中の他国軍を後方支援する「国際平和支援法案」に集約したということだが、その中身を見ると政府の解釈によってどうにでもなってしまうことになる。「平和」だとか「国民の安全を守る」といった言葉ばかりが躍るが、実際には全く逆である。安倍首相の言い方だとアメリカと一緒になって、アメリカに協力していれば日本の平和を守れるのだという。しかしながらアメリカは自国の国益を第一に考えるわけで、自国の国益が守られた時に世界の平和が守られたという言い方をする。しかもそのアメリカの国益はそのまま日本の国益ではない。

     集団的自衛権が行使できるという憲法解釈の変更に基づいて今回つくられた法案が国会で成立してしまえば、日本の国民の安全を守る為ということで他国に対する攻撃に対処できるようになり、更には地域を限定しないでどこにでも内閣の思うまま自衛隊を出せることができるようになってしまう。そもそも自衛隊の存在は憲法上明記されていない。憲法9条では、国際紛争を解決する手段としては武力を行使しないとはっきりと謳っている。それをアメリカ側からの強い要請によって、憲法9条は自衛の為の武力行使は禁じていないという憲法解釈に基づいて、警察予備隊という存在として今の自衛隊は発足しているのである。あくまでも専守防衛、日本が直接武力攻撃をされた時に日本の国民と国土を守る為に存在しているのであって、国外に出て行って武力行使をすることは明白な憲法違反である。

     安倍首相は日米安全保障条約を強化して、アメリカと一体化しアメリカの外交安全保障政策に協力をすることが日本の安全を守ることにつながるという信念を持っている。私は全く違う考え方だが、それはそれとしても安倍首相が自分の考えが正しいと思うのなら、法治国家の手続きに則ってまず憲法改正を堂々とはかるべきなのであって、憲法改正をやらずにどんどん拡大解釈をして自分の思ったように進めて世論を誘導するというやり方は、まさに法治国家を自ら崩すことにつながる。

     安倍首相の世代は直接戦争に駆り出されたことのない世代だから、自らの正義を守る為には戦うのは当たり前だと思っているのかもしれないが、戦争というのは決して勇ましいものではない。古今東西、権力者は常に正義の戦いを強調するが、権力者の判断によって起こされた戦争によって、犠牲になり被害者になるのは善良な一般の国民なのである。今、世界各地で起こっている内戦を見ても明らかで、シリアやイラクやソマリアなどから難民が自由を求めて命がけで国外へ脱出している。日本は世界で唯一の被爆国であり、戦争で尊い多くの人命を失い、多大な犠牲を払ったその敗戦の焦土の中から再出発して、平和を守りながら国民の努力により今日の日本を作り上げてきたのである。いかなることがあっても戦争だけは絶対にやってはならない。安倍首相はよく「普通の国になる」とか「積極的平和主義」だとか、さも美しそうな響きを持つ言葉を使いたがるが、国の交戦権を禁止し、国際紛争を武力で解決しない平和憲法を持つ国が他にないとすれば、「普通の国ではない」ことに誇りを持つべきだと思う。そういう国だからこそできる国際的な役割があるのではないかとなぜ考えないのだろうか。

     私が常々言っていることだが、新たな敵を増やさない、敵を作らないという高度な外交戦略を構築し、それを実現することこそが日本の安全を守ることにつながると思う。いまや衰えつつあるといってもアメリカは超軍事大国である。戦後70年の間に世界に多くの敵を作ってしまった国である。先進国の中で最も敵の多い国がアメリカなのである。その国の外交安全保障政策に協力するどころか一体化していくことになれば、作らなくてもよい敵をどんどん増やすことになる。その結果、海外で経済活動をして日本の経済を支える役目を果たしているような在外邦人をどんどん危険に晒すことになる。そういう危険な政策はとらずに、日本が多くの国にとって必要な存在になるような国づくりを進めるべきだと思う。

     例えば国連を中心にした様々な平和維持、平和管理の為の国際機関の事務局機能をどんどん日本に誘致する、あるいは紛争当事国の仲立ちをし、日本で水面下の交渉の場を提供したりする。そういうことは紛争当事国と直接の利害関係を持っている国がいくら呼びかけても実現しないが、平和憲法を持って平和のメッセージを発信してきた日本だからこそ実現できると思う。そういうことがどんどん目に見えてくれば国際社会において日本の存在はますます大きくなってくる。特にこれから国際情勢は更に混乱してくるだろうし、国連だけではどうにも解決できない状況になってくるのは間違いない。まさにこのような時だからこそ日本の果たすべき役割があると思う。政治ももっと知恵を絞っていかなくてはいけない。

     こういう危機的な状況の中で、まず国会議員が党派を超えて国会の権威を守らなくてはいけない。国権の最高機関である国会は主権者である国民から選ばれた議員が国民を代表して議論をしているのだから、国会が指名をした首相の暴走は国会が止めるのだという意識をしっかりと持ってほしい。与党の中でもかつての自民党にはもう少し見識がある人達がいた。内閣を担う主流派がいれば、それを批判する立場の反主流派、また非主流派、中間派といった存在があったが、今は誰も表立って内閣の批判をしようとしない。自民党がダメなら公明党が多少はブレーキをかけてくれるのではないかと期待したが、全くの期待外れだった。このような状況を打開するには改めて主権者である国民が声を上げることが最重要である。多くの人達が様々な分野から声を上げていくべきであるし、その声が大きくなってくれば当然国会に対しても内閣に対しても強い圧力になる。

     もう一つ大事なことは、司法の真価が問われることである。これから恐らく色々な市民グループなどが違憲訴訟を起こすと思う。それに対して司法が的確な判断を下すことが重要である。それを避けたり逃げたりしたら、司法自らが三権分立を崩すことになってしまう。行政府が憲法に違反する行動をとった時には明白に憲法に違反しているということを司法の判断として毅然と示さなければいけない。

     昨年暮れの総選挙の投票率は50%そこそこで、半分近くの有権者が棄権した。投票した人の約半分しか今の与党が票を得ていないとすれば、全有権者のうちの25%の民意をもってこのような暴走行為を行うのだから、他の75%の人達はもっと真剣に我が事として今の事態を受け止めてほしい。私どもの世代はまもなく消えていく世代だから、これから戦場に行くようなことはないが、次の世代、またその次の世代を担うような人達にとってはまさに我が事になる。自分が考えたところで何になる、自分が動いたところで何になるのかと思ってしまったら何も解決はしない。やはり一人一人が自分自身のこととして真剣に受け止め、行動を起こすべき時だと思う。

    憲法改正と国会の定数是正について。

    2015年4月8日(水)

    カテゴリー» 政治レポート

     憲法改正についての動きが色々出てきているが、一方で衆参両院の定数是正の問題も長い議論になっている。特に来年に控えている参議院選挙までに参議院の定数是正をやるべきだということで議論が進められている。私は以前から指摘していることだが、参議院の定数を衆議院と同じように人口比例代表という考え方で整理をしていくと本来の参議院の存在意義が失われていくことなると思う。

     振り返ってみれば、もともと帝国憲法を廃止し、新しい憲法をつくる時にGHQが用意した憲法草案では一院制を採っていたのを、日本が強く働きかけて二院制を認めさせ、現在の衆参両院がつくられた経緯がある。参議院は戦前の帝国憲法下では貴族院だった。貴族制度の廃止に伴い、貴族院そのものが廃止されることは当然の流れだったわけだが、貴族制度を廃止することはよしとしても、国会の中での貴族院の持っている性格、つまり衆議院の政党政治の利害関係のぶつかり合いというものを超えて、より高い次元で国益を考える役割が失われてはいけないという考え方から日本が二院制を主張したのである。

     その時、参議院の構成については、日本全国のそれぞれの地域の代表と職能職域の代表によって構成されるという整理をした。従って地方区と全国区という二つの選挙区がつくられ、職能職域代表は全国区で選ばれることにした。このように二院制をつくった原点から考えると、衆議院のような人口比例代表は考えていなかったわけである。それと同時に、議院内閣制なので衆議院は当然政党政治の場になる。各政党が政権を目指して選挙を戦って、最も国民の信を得た政党の代表が衆議院で内閣総理大臣の指名を受ける。参議院も首班指名選挙は行うが、参議院に総理大臣を選ぶ権限は与えられていない。衆参両院の議決が異なった場合には両院協議会を開くが、そこで意見が一致しなければ衆議院が指名した人が首相になる。議院内閣制の仕組みの中で衆議院の優位性が認められているからである。衆議院は政党の理念、政策がぶつかり合う場になるのは当然のことだが、参議院は発足の経緯から言っても、国民の立場に立って国益を考えて衆議院の政党政治の行き過ぎをチェックすることをやらなければ、参議院をつくった意味がないのである。

     ところが参議院の選挙制度に政党比例代表の仕組みを導入してしまった。私はそのことが参議院の自殺行為だったと思っている。私自身、参議院議員を2期務めた経験があり、参議院改革に精力的に取り組んだ経験もある。その時にも私は同じような意見を主張していた。戦後間もなく参議院がスタートした頃、参議院がまだ政党化されていなかった頃に、無所属議員の集まりとして緑風会という会派があった。私が議席を得たのは1974年。当時先輩議員の中に緑風会に所属をしておられた方が数名おられた。例えば迫水久常さん、新谷寅三郎さん、郡祐一さん等で、そういう方々から伺った話では、政府委員は衆議院に呼ばれる時よりも参議院に呼ばれる時のほうがより緊張したという。参議院にはそれだけ見識を持った論客が揃っていて堂々たる議論を展開されるから、生半可の知識では対応できなかったというのだ。参議院には非常に良識のある方々がおられて、自らが選ばれている地域あるいはまた職能職域を代表して、大所高所から専門的な議論をしておられた。そういう状況だから政府・与党は、衆議院はこなせても参議院はなかなか思うようにいかない。政府提案の法案でも簡単には通らなかったのである。長期政権を担った吉田茂元首相も参議院対策には非常に頭を悩ませた。その結果何をやったかというと、参議院議員からも閣僚を起用するようにした。意図的に参議院を行政府に取り込もうとしたのである。

     一方、全国区という選挙制度の下で議席を得ていた人達は、あまりにも選挙区が広く、選挙費用がかかり過ぎることから、個人の力で選挙を戦うことが容易ではなくなり、組織的に選挙戦を展開できる団体の代表のような人でないと全国区ではなかなか当選できなくなっていた。こういうことがあって無所属議員の集まりであった緑風会が自然消滅をして、結局参議院議員も政党に所属するように変わっていったのである。しかし参議院が政党化してしまうと本来の参議院の役割は果たせなくなってくる。その参議院の政党化を完全に進めてしまうきっかけをつくったのが、政党比例代表の仕組みを参議院に導入したことである。

     現在では衆参両院の役割がどう違うのかといった議論があまりされなくなってしまった。二院制だから憲法上どうしても参議院の審議をやらなくてはいけないということで参議院での審議が形骸化してしまうと、時代の流れがこれだけ早くなってきている時に国会の審議に長い時間をかけることはあまり合理的ではないという意見や、二院制は税金の無駄使いではないかと指摘する人も多くなってくる。国会議員の中でも一院制を推進する議員連盟をつくったりするような人達もいる。

     一方、議員の定数が多すぎるのではないかという議論は常にあり、国会の中よりもむしろ一般の有権者やマスメディアはよくそういうことを言う。現在の政党の中にも橋下徹大阪市長が率いる維新の会は議員定数削減を大きな公約に掲げている。また法律家の間では常に1票の価値の平等が取り上げられる。1票の格差が大きな問題になって、人口がどんどん増えている地域の定数を増やし、減っている地域の定数を減らしていく定数是正が一つの流れになってしまっている。衆議院でそういう議論が出てくることは当然のことだと思うが、もともと参議院は人口比例代表の考え方で構成された院ではないのだと、もう一度原点に立ち返ってよく考えていかないと、結局参議院無用論になってくると思う。

     また最近は国会議員の質が著しく劣化してきているように思う。例えば今まで政治に関心があったわけでもなく、政治家になろうという努力をしてきたわけでもない人が、たまたま党の幹部と個人的な繋がりがあったからということだけで政党の比例名簿に載り、その政党がたまたま大きな追い風を受けた為に議席を得てしまうというようなことが当たり前のようになっている。その結果、いわゆる小泉チルドレン、小沢チルドレン、安倍チルドレン、橋下チルドレンと言われるような議員が現実に生まれている。そういう人達が基本的な勉強もせず、ただ議員として与えられた立場を特権のように思って勘違いしてしまう。最近もそういった類のスキャンダルが次から次へと出てきている。少なくとも比例名簿に載せる前に、果たして国会議員たる資質があるのかどうか、各政党は十分に精査して国民、有権者に自信を持って推薦できるということでなければこういう現象が繰り返されてしまう。
    政党比例制度が仕組みとしてある限りは、政党が候補者に責任を持たない限りこういうことが繰り返されてしまう。私は参議院が政党化されることは日本の将来の為にもマイナスだと従来から思っている。

     衆参両院とも人口比例を基本にして定数是正を行えば、人口の増えている地域の定数が増えて、人口が減っていく地域の定数は減っていくのは当然のことだが、そうなれば人口の多い地域の声が益々大きくなって、少ない地域の声は小さくなっていく。近年、日本の国土の荒廃が著しく進んでいる。それは人があまりにも偏って居住するようになったからである。もともと日本はバランスよく人が居住し、自然と調和し、その自然環境を守りながらそれぞれの地域で個性的な文化を形成してきた国である。ところが明治維新の中央集権体制が今日までずっと続いてしまい、しかも小泉政権以降は国土政策に競争原理を導入してしまった。人口の少ない地域に公共投資をすることは、経済合理性から考えて無駄な投資だと言わんばかりの政策が続いてきた。小泉政権以降は地方の過疎化、高齢化、少子化が極端に進んでしまった。いわゆる限界集落がどんどん増えて、国土保全をすることがそこに住む人の力ではできなくなってしまった。また大きな自然災害が起きれば、災害復旧・復興の為にかえって巨額の予算が必要になってきている。

     世界に誇るべき日本の文化は決して大都市から生まれたのではなく、また現在も大都市にあるのではなく、政治の灯が当たらなくなりつつある地域にこそ日本文化の原点がある。政治はそうした地方にもきちっと目配りしながら、全国どこに住んでいても生きがいが感じられる生活が享受できるようにしていくべきではなかろうか。そういうことを考えても選挙制度は最も大切な政治課題である。

     よくメディアや学者が定数是正、1票の格差の話をするが、例えば有権者数が40万人の選挙区があったとして、過去5回の選挙の平均投票率がその地域では75%だったとする。過疎地域だけれどその地域を何とか改善してほしい、住みやすくしてほしいという願いのもと75%の人が投票しているとすると、30万人が投票していることになる。かたや仮にその選挙区の2.5倍(100万人)の大都市の選挙区があったとする。そこの選挙区で過去5回の選挙の平均投票率を見たら30%しかなかった。その場合の投票人口も30万人。人口が2.5倍あっても投票人口は変わらないというケースはよくあることなのだ。定数を有権者数だけで比較してけしからんというのはかなり一方的過ぎる意見だと思う。やはり選挙区における平均投票率も定数是正の議論の時には加味して、議論を進めるべきだと思う。

     こういうことを諸々考えてみると、参議院はどうしてつくられて、どういう役割を期待されているのかということを改めて原点に立って考え、衆参両院の役割分担を憲法上明確にすべきではないかと私は思っている。憲法改正の話が色々表に出始めている時であり、衆参両院のあり方をもう一度見つめ直すことも憲法改正の大きな論点にしていくべきだと思う。

     参議院がつくられた経緯から考えてみても、参議院の政党化が参議院の無力化に結びついてしまったのだから、参議院は政党比例代表をやめにして、アメリカの上院の仕組みのように地域代表という考え方で47都道府県それぞれ一律に定数2にし、3年ごとに半数を改選していけば参議院議員は94人に減る。選挙の際に、政党の推薦を受けることは構わないが、当選をした人はすべて無所属になり政党政治から離れるようにすべきだと思う。それぞれ高い見識を持って国益を考え、衆議院の政党政治の行き過ぎを是正する。
    それと行政府と一線を画して立法府の院に徹する。参議院議員は閣僚とか副大臣とか政務官にはなれないということにすべきで、内閣に入りたい議員は衆議院に転進すればよい。参議院は立法府に徹して、法律を直したりつくったりする。最近は議員立法が減ってきて内閣提出の法案が圧倒的に多くなっているのだから、参議院議員を中心に議員提案の法案を出していく。そうしていくことが逆に行政府に対しても大きな存在感を示すことになる。

     最近の政治手法は小泉首相以来、首相が国会を従えるようなやり方になっている。安倍首相も「日本の最高責任者だ。」としきりに言うけれども、国権の最高機関は国会であって、内閣総理大臣は国会で指名されて内閣を組織している行政権の長であり国の支配者ではない。最近は首相が国会に対して指示命令をするような態度を取るし、与党もまた唯々諾々として、内閣主導という言葉の下に力を失ってしまっており、内閣に対して言うべきことを言わなくなってきている。三権が互いにチェック・アンド・バランスをするのが三権分立のあるべき姿だが、現実には行政の長である首相が自分の生みの親である立法府の上に君臨しているような姿になっており、司法もそれに従っているような姿になっている。憲法上首相には最高裁長官の罷免権はないけれども指名権は与えられている。安全保障や外交など高度な政治判断を要するような案件については最高裁が判断を示さないことがあるが、これでは益々行政権が強くなってしまう。憲法に反しているということを本来は司法が判断しなくてはいけないのに、高度な政治判断を要する案件だとして逃げてしまうのでは結局、行政権の独走を許してしまう。

     集団的自衛権の問題にしても、明らかに憲法に反していることなのに内閣の判断で憲法を都合よく解釈して閣議決定してしまった。これが憲法違反だということを言える存在がないと三権分立は成り立たない。だから私は憲法裁判所が必要だと思っている。憲法を改正して最高裁で判断がつかないような案件を憲法裁判所に持っていくような仕組みもつくっていかないと、内閣の暴走を止められないだろう。

    日本郵政の株式上場について。

    2015年2月23日(月)

    カテゴリー» 政治レポート

     昨年暮れに日本郵政の西室泰三社長が記者会見して、郵政の株式売却について方針を述べ、親子関係にある3つの会社を同時上場するという前例のない上場を行うことを明らかにした。親会社である日本郵政の上場は既に決まっており、政府は東日本大震災の復興財源に株式売却益を充てると言っている。日本郵政の株式については改正郵政民営化法でも元の郵政民営化法でも3分の1は政府保有のまま残すが、3分の2は市場で売却することになっているので既定路線ではあるが、子会社である金融2社、ゆうちょ銀行とかんぽ生命の株式売却まで同時に行うとはずいぶん思い切った決断だと受け止めている人が多いと思う。

     株式の保有のあり方については、改正民営化法の第七条一項で日本郵政、二項で金融2社について規定している。金融2社の株式については「その全部を処分することを目指し」と書かれている。「目指し」と書いてあっても「すべてを処分する」ことは法律でハッキリしている。更に但し書きというか条件のようなものが付いており、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の「経営状況とユニバーサルサービス責務の履行への影響等を勘案しつつ、できる限り早期に処分するものとする」となっている。西室社長は金融2社の株式の50%まで段階的にできるだけ早く処分し、そこで一呼吸置いて3社の一体性が維持されているのかどうかなど、経営状況をよく見た上で次の段階に移ると言っている。

     郵政三事業はもともと郵貯、簡保の収益で郵便事業を支えている構造になっている。これは国営時代そして事業庁、公社の時代から何ら体質は変わっていない。全国均一料金であまねく公平にサービスを提供している郵便事業はどうしても黒字を生み出す地域は少ない。赤字体質になってしまうのを貯金、保険の黒字で補って、税金の投入は一切せずにうまく運営してきた。日本郵便が不動産事業をはじめとして、新たな収益を生み出す事業を次々展開して大きな黒字を生み出す会社に変わっていけば別だが、その見通しはまだついていないと言わざるを得ない状況である。従って日本郵政の株式価値を維持するのは、金融2社の持っている収益性にあるわけだが、金融2社の株式を同時上場してどんどん売っていくことになると、それに伴って日本郵政の企業価値や株式価値が落ちてくるのは一目瞭然である。

     本来、金融2社の株式の売却については、政府の政治判断ではなく株主である日本郵政の経営者の判断に委ねられているのである。従って虎の子である金融2社の株式売却益は当然のことながら、日本郵政グループの企業価値と株式価値を向上させていく為に使うべきだろう。ところが西室社長が記者会見で述べられていることによると、当面の資金需要には手持ち資金で対応できるという。そうだとすれば何も今、日本郵政として金融2社の株式を売り急ぐ必然性はない。それにも関わらず法律に書いてあるからと売り急ぐのは他に狙いがあるとしか思えない。それは何かと考えてみると、西室社長が3社同時上場を発表した記者会見の最後に「アベノミクスを成功させなくてはいけない。アベノミクスをバックアップする為にやるのだ。」という趣旨の発言をされていたが、それが目的なのかと疑わざるを得ない。

     アベノミクスなるものは第一の矢と第二の矢が放たれ、大胆な金融緩和と思い切った財政出動は既に実行されている。しかし一番大事だと言われている第三の矢、成長戦略に基づく具体的な政策が未だに出てこない。農協改革などが成長戦略の一環だとも言っているが、果たして経済成長をもたらすインパクトになるのかというと、必ずしもそうは思わない。今のアベノミクスは株高と円安の2つによって辛うじて維持されている。成功したと一部で言われているが、円安と株高によって恩恵を受けている人達は一部の輸出大企業と富裕層だけである。その人達は円安と株高が維持される限りアベノミクスを支持するだろう。しかしそれが思うようにいかなくなって、逆に円高が進み、株価が下がってくるとアベノミクスを成功したとは言わなくなる。だから何としても株高を維持しなくてはいけないのであろう。

     日本郵政の株式上場はNTT株上場以来の大型企業の上場であり、当然市場は高い関心を持っている。主幹事証券会社が株主である財務省と会社の幹部とも相談をしながら、今年の後半に上場しようと準備を進めている。初値がどれくらいになるのかを皆が注視しているが、初値がついた後株価がどんどん上がっていけばいいが、下がっていったら財務省も当て込んでいた売却益が得られず困ることになろう。また内閣としてもアベノミクスの成否に関わることであり、何としても高値を目指していかなくてはならない。ところが冷静に考えてみて、金融2社は十分な収益性を持ち、十分過ぎる金融資産を持っている会社だから、その会社の株式を買いたいという人はたくさんいる。株式価値が向上していくことも十分見込めるであろう。その一方で金融2社の収益力が日本郵政を支えている構造が変わらない中で、金融2社の株式がどんどん売られていけば、当然株式を所有する新しい株主の意見は強まっていく。日本郵政が責務を負っている郵便と金融のユニバーサルサービスは、日本郵政が金融2社をコントロールできる力を持っていて初めて可能になるのであって、金融2社の株式の売却が進むにつれその力が弱くなっていくと、ユニバーサルサービスの責務を果たすことも非常に難しくなってくる。金融2社の株式が売られていくことによって、日本郵政の株式価値も企業価値も下がってくることになる。新たに大きな収益を見いだす道もまだ見つかっていない。将来の不安ばかりがあるような企業の株式は常識からしても売れない。市場での値が下がってくるという悲観的な見通しがあるとすれば、どこかに買い手を作らなくてはいけない。絶対に買ってくれるところを作らなくてはいけないということから、日本郵政そのものに自己株式を買わせることにしたのではなかろうか。これはタコが自分の足を食うようなもので、買い手が付かないような日本郵政の自己株式を、優良子会社の株式を売って買うというのだから経営者としてはずいぶんおかしなことをやるわけだが、それをやってくれないと幹事証券会社も困るし、財務省も困る。内閣としてもアベノミクスを成功していると言わざるを得ないから、そういうことを考えたのだろう。しかしながら、私は今日本郵政がやるべきことは、金融2社の株式を売り急ぐことではなく、自社の企業価値、株式価値を向上させていく為に、具体的にこれから何をやるのかを明確に示すことだと思う。つい先日、豪州の物流会社を6,200億円という巨額を投じて買収すると発表したが、一般的に考えればまずは業務提携から始めて国際的な事業展開をやりながら、それがうまくいくようであればその会社を買収するというのが常識的なやり方だと思う。これも先に買うことを決め、巨額の投資をするわけで、こういうことが日本郵便の収益性を高めることにどうつながっていくのかが全くわからない。

     郵便局ネットワークの最前線で頑張っている局長さん達にすれば、地域の利用者が何を求めているかが一番よくわかっている。利用者は郵便のサービスだけを求めているのではなく、金融サービスも全国すべての郵便局で引き続き提供してほしいと願っている。今後、金融2社がすべての郵便局に対して金融サービスを委託し続けていくというのなら安心だが、そういうことは民間の企業経営者として確約できるはずはない。損をすることがわかっているようなことをやれば経営者として背任にも問われる。利益を生み出さないことがわかっているような仕事はできないのが当然である。金融ユニバーサルサービスを法律で義務付けることがあれば別だが、ゆうちょ銀行もかんぽ生命も民営会社なのだから、損をしてまでも公的責任を果たせと法律で規定することは不可能である。だから株式の3分の1は政府が最後まで持ち続けることになっている親会社の日本郵政に対して、ユニバーサルサービスの責務を負わせるということを法律で規定しているのである。そのユニバーサルサービスを永続的に実行していく担保になるのは何なのかというと、金融2社に対してコントロールできる力を日本郵政が持ち続けることである。それには株式の所有以外にない。金融2社の株式のギリギリ49%までは売っても51%は日本郵政が持ち続けることにならない限り、日本郵政本体に義務付けているユニバーサルサービスの責務は絵に描いた餅のようなことになってしまう。

     現在、金融2社は日本郵便に委託手数料を支払って全国の郵便局で金融サービスを提供しているが、今後不採算の郵便局が増えてくれば手数料を上回る収益を得ることは難しくなってくる。その時には手数料を引き下げてもらうか、収益性の高い郵便局を選別して委託するか、あるいは親会社の日本郵政の負担によって継続するかの判断を迫られることになる。従って金融のユニバーサルサービスを全郵便局で提供する為には、日本郵政がその負担に備える為の原資を用意しておくことが不可欠である。しかし、現状ではそのような備えは全く見えない。元の民営化法ではユニバーサルサービスを維持する為の基金を設けることになっていた。当初1兆円の規模だったのを我々が竹中平蔵氏に厳しく指摘して2兆円にさせた経緯がある。しかしこれも改正民営化法では廃止になってしまった。従ってユニバーサルサービスを続けていく為の担保は何もない状況である。金融2社の株式が売却され、日本郵政の力がどんどん弱くなっていくことを考えた時に、ユニバーサルサービスの為の基金を作り、そこに売却益の一部を積んでおくことを実行しない限り、ユニバーサルサービスを続けていくのは難しいだろう。ところがそういう議論は現在全く行われていない。このままどんどん既定路線で進んでいったら、金融のユニバーサルサービスは維持されなくなる。そればかりか地方の郵便局の存立そのものにも関わる話になってくるのに、しっかりと枠組みを作り直さなければいけないという声が会社からも局長会からも政治の場からも出てこない。まさに危機的な状況にあると思う。

     郵政民営化に反対して小泉、竹中両氏と厳しく対立した十数年前から、郵政民営化を強行するとこういうことになると私が言い続けてきた通りの状況が今まさに表れてきている。現状を局長会をはじめ、郵政関係者や地方自治体、地域の利用者等がもう一度真剣に捉え直していただいて政治に強く働きかけないと、取り返しのつかない悪い方向に進んでしまう。全国郵便局長会としても与党である自民党をサポートしていれば何とかなると思われているとしたら、とんでもないことである。局長さん達が置かれている状況をよく理解し、その上で再見直し法案を出そうということになってきて然るべきだが、全くそういう動きが見られない。動きがないのならば、局長会そのものがもう一度しっかり状況を掌握して、そのことを政治に強く働きかけていく時ではないかと思う。これは郵便局だけの課題ではなく、地方で生活をしている人達の生活を守ることであり、また地域社会と日本の国土、国益を守ることにつながってくる大きな課題であり、高度な政治判断が求められているのである。

    民主党の新しい代表への期待

    2015年1月19日(月)

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     民主党の代表選挙が終わり、岡田克也氏が新しい代表になった。選挙中の予想通り3人の候補が誰も第1回の投票で過半数を取れず、上位2人による決選投票となった。地方議員の票では細野豪志氏が岡田氏を上回った。統一地方選挙の年なので、今までの民主党のイメージを変えてほしいという地方議員の期待がそういうところに表れていたと思う。第1回の投票で岡田氏と細野氏の2人は全く互角と言ってもいいような得票だったので、決選投票では1回目に長妻昭氏に投票した人がどう判断するかが決め手になったと思う。

     決選投票直前の岡田、細野両氏の演説を聴いていたが、細野氏の場合には党の改革の為に何をやるかという、いわば党内手続き的な話になってしまい、代表になった時にどういう方向を目指していくのか、日本をどういう国にしていくのかという理念が全く見えなかった。その点、岡田氏は、長妻氏が格差社会の是正を前面に出していたことを評価し、自分も同じ考えであるとして、今の安倍内閣の経済政策の誤りを正していくという考えを明確に示した。

     外交安全保障に関しても、安倍首相が村山談話を変更しないで全体として引き継ぐとしながら、その一方で戦後70年の節目に合わせて新たな談話を発表するようなことを言われているけれども、自分は日本という国に誇りを持っているからこそ、過去における過ちは過ちとして認めていくべきだと述べていた。そしてアジアの安定を図ることが日本の国益に結びついてくるということもハッキリ言われていたし、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認には賛成できないとも言われていた。アジアのみならず、世界が平和であることが日本の国益に結びつくという考え方は、私と同じである。岡田氏は私がかねてから主張しているようなことを経済の面でも、外交安全保障についても言われていた。野党第一党の代表として目指すべき方向を明確に示されていたという点で私は共感したし、またこの演説が岡田氏の勝利に結びついたと思う。

     細野氏の場合は理念や基本政策を言われていなかったので、有権者から見ていても何をしようとしているのかよくわからなかったし、そのことが票を投じる民主党の国会議員にも不安感を与えたのではないかと思う。岡田氏は党内にある多種多様な意見を踏まえて活発な議論を行った上で、それを集約し民主党をまとめた上で安倍内閣に対峙していく、国会論戦でも先頭に立ちたいと言われている。そのことを着実に実現する為に全力を挙げてほしいと思う。

     民主党だけの力では今の巨大与党にはなかなか対抗できない。国会においてテーマごとに様々な野党共闘を行っていくのは当然のことだし、また今春の統一地方選挙、来年の参議院選挙で野党が協力していくのも当然のことだと思う。その先に野党再編成が視野に入ってきてもそれは自然の流れであろう。ただ野党再編成が国会議員の数合わせのようなことでは困る。やはり理念、基本政策がきちんと国民に示される中で、自民党に対抗できるような勢力を構築することが急務だと思う。

     私は以前から指摘しているように、アベノミクスがそう遠くないうちに行き詰まるのは必至だと思う。特に日銀の常識はずれの金融政策、量的緩和政策が行き詰まってくるのは間違いない。そうなった時のことを考えて、今から経済財政金融政策で何をやるべきなのか。岡田新代表には1月26日(月)から始まる通常国会の論戦の中でハッキリと示してほしい。一部の富裕層を除く多くの国民の生活は益々苦しくなっており、地方の疲弊も限界に達しつつある。安倍内閣の誤った政策に対する対立軸が民主党を中心にして作られていかないと、それこそ日本の政治は絶望的な状況になってしまう。自民党の中にも安倍内閣に批判的で、岡田氏に理念、政策が近い人もいないわけではないのだから、岡田氏が新しい民主党の中心になって、そういう人達も巻き込んで、野党の再編成から更に本格的な政界全体の再編成に持っていければ、政治に明るさが見えてくると思う。

    激動の予感

    2014年12月25日(木)

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     衆議院選挙の結果は私が言った通りの結果になったと思う。「安倍さんの、安倍さんによる、安倍さんのための選挙」だと誰かが言っていたが、国民はそのことを見抜いており、政治そのものに絶望しているようなところもあって、自分が投票しても何も変わらない、支持する政党も投票したい候補者もいないという状況で冷めた目で見ていた。そのことが52.66%という過去最低の投票率に表れている。有権者の半分近い人が棄権をしたわけで、これでは本当に民意を得たということにはならない。政権与党である自公にすれば選挙に勝ったということだろうが、選挙制度に助けられた面もあるし、獲得票を見ても有権者の4分の1くらいの支持しか得ていない。選挙の結果、民意を得た、国民から信任されたという意識を持って、先送りしている課題を次から次へと強引に推し進めようとすれば非常に不安定な政治、社会状況が生まれてくる。

     一方、野党はある程度結果は予想していたとはいえ相当ショックは大きいだろう。特に民主党は代表までもが落選をしたわけで党の立て直しが急務だが、党内をまとめられるような人がいない。相変わらず理念がバラバラで一つの方向が見えない。維新の党も今のままではやりようがないから、江田代表は野党再編成をやると言っている。民主党が割れて一部が維新と合流して一つの勢力をつくることもあり得なくはない。ただ維新にしても大きく議席を減らしてしまった次世代の党にしても、安倍政権が目指している方向と政策的にも似ている点が多い。これでは安倍政権を補完する意味しかない。現在の安倍政権の掲げている基本政策が国民生活を豊かにし、国力を大きくすることにはならないということをハッキリ示して対立軸をつくろうとする勢力が出てこないことが一番心配だ。野党が期待できないというのであれば、今の最大与党の自民党の中にかつてのような批判勢力があればまだ救いはあるが、まったくそうした動きが見られない。御身大切で物を言わない。それが輪をかけて心配なことである。

     安倍首相はかねてから戦後政治の総決算だとか日本を普通の国にするということを言っている。アメリカとの関係を益々強化し、集団的自衛権を行使して、国外の紛争解決にも積極的な役割を果たそうとしているように見える。しかしアメリカは公平、公正な立場で世界の秩序を守ろうとしているわけではなく、自国の国益を最優先していることは当然である。そういう国と一体になって外交や安全保障政策を進めていくと、今まで日本を敵だと思わなかった国がどんどん日本を敵視するようになってくる。そうなればなるほど日本を守ることは難しくなってくる。侵略したり攻撃しようとする外部の勢力から身を守る為に最低限度の自衛力、防衛力を持つのは当然のことで、憲法を改正するというのなら真っ先に専守防衛の立場から自衛隊の存在を憲法に明記すべきだと思う。さらにその前提として、国民が自らの国を自らの力で守るのだという強い意志を持つことが一番大切である。それがしっかりしてくれば日米安全保障条約をやめることも一つの選択肢として出てくる。そうすれば沖縄の基地問題などもまた違った方向が見えてくると思う。

     日米関係を重視することは間違いだとは言わないが、アジアにおけるアメリカの軍事戦略に日本が協力するという基本的な考え方に対して、沖縄の民意が先の知事選でも今度の衆院選でもハッキリと示されたのである。それにも関わらず、その民意を全く無視して従来通りの方針を進めようとしていることは、決して民主主義国家における政権のとるべき態度ではない。少なくともトップリーダーとして、あるいは内閣として沖縄の民意を重く受け止めて、今後アメリカと交渉していくということを言うべきだと思う。

     集団的自衛権の問題ばかりでなく、武器輸出三原則のなし崩し的な見直しをやって兵器産業を育成していこうとする意図が表れてきたが、これもまた非常に危険なことだと思う。兵器産業は商売ということから見れば確かに儲かるのだろう。だからアメリカでも軍需産業と石油資本は大きな力を持っている。しかし平和憲法を持つ日本は非核三原則あるいは武器輸出三原則を今日まで守ってきたからこそ、平和国家であることの裏付けとして諸外国に評価されてきたのだと思う。いま経済の先行きが不透明な中でGDPを上げていく為には産業振興、新たな成長産業をつくっていかなくてはならないのは当然だが、それは決して兵器産業や原子力産業ではない。もともと日本は先般ノーベル賞を受賞した3人の学者に象徴されるように、優れた頭脳と技術を持っている。そういうものをいかに応用技術として実生活に活かしていくかを考えるべきではなかろうか。例えば日本の省エネルギー技術や環境技術は非常に優れているのだから、それをどんどん海外に輸出していく方が平和国家としてよほど世界に貢献できると思う。

     私は来年は世界経済が大混乱するのではないかと見ている。思い返してみると約40年前、1973年の石油危機の後、世界経済が大混乱をした。それを何とかしなくてはいけないということで先進主要国首脳会議「サミット」が開かれた。当時のフランス大統領だったジスカール・デスタンが提唱して、フランスのランブイエで第1回のサミットが行われた。その時の大きなテーマは、世界経済を立て直す為に先進主要国の首脳がお互いに意見交換をしながら合意形成をした上で役割分担をしていくということだった。当時から日本は大きな石油消費国だったが、他の国から注文を付けられたのは、日本は石油消費を減らす一方で経済成長を成し遂げて世界経済の牽引力としての役割を果たせということだった。当時からすればそんなことは無理だという課題を与えられたが、日本は見事にそれを成し遂げた。世界でも最も効率のよいエネルギーの使い方をし、しかも経済は着実に成長させ、個人消費を中心にした大きな経済力を持つ国に発展をさせた。そのことを思い返してみればいまの日本の優れた頭脳や技術を踏まえれば、決して日本が経済再生することは不可能ではない。省エネルギーというとすぐに原子力に頼って、原発の再稼働という話になるけれど、私はやはり原子力は廃絶の方向に持っていくべきであり、それを国民生活にできる限り大きな変化を与えずに軟着陸をさせていく道順をつくっていくべきだと思う。

     第2次世界大戦の直前、戦中、終戦直後の時期がアメリカにとって最も国力が強かった時期である。まさに新しい世界秩序をつくる為の国際的な組織をつくって、アメリカが世界の秩序を守っていく中心的な役割を果たそうとしてきた。だがアメリカの国力はどんどん衰退の方向に向かってしまい、いまや財政的にも実質的な破綻状況にある。戦後、国際紛争に次から次へと介入し、ほとんど失敗をしている。いまやアメリカだけではどうにもならないようなところまで来てしまっている。オバマ大統領も任期が終わりに近づいてきている中、先の中間選挙でも負け、まったく指導力がなくなってきている。

     ヨーロッパを見ても、第2次世界大戦後のリーダーとして大きな発言力を持っていたような人達はすでにいないわけで、今それに匹敵するような指導者は残念ながらヨーロッパにはいない。ドイツのメルケル首相が一番長く政権を担当しているけれど、そのメルケル首相も終わりに近づいている。そういう中で、ロシアのプーチン大統領が際立って存在感を増しているが、そのロシアが今、原油価格の大幅な下落によって大きな経済的損失を受けている。ウクライナ問題等で果たしてヨーロッパやアメリカとの関係が修復できるのかどうか。中国は習近平国家主席が中華思想そのもののような大国意識ばかりを出してきており、周辺の国々を脅かすやり方が一層エスカレートする可能性がある。朝鮮半島においても北朝鮮も韓国も内部に多くの問題を抱えている。世界中安定した政権がなくなってきている。そういう中で非政府軍事組織としてのイスラム国であるとかタリバンであるとかアルカイダであるとか、過激派の行動が益々激しくなってきており、それを抑え込む力がどこにもなくなってきているという非常に危険な状況になっている。

     長い間、イスラエルとアラブの対立が世界の紛争の火種あるいは火薬庫と言われてきたが、いまやそういうことではなく、どこの国も自国の中で政権に対する非政府組織に脅かされる状況になっている。その大本の原因は何かというと、やはり貧困の問題であり、それぞれの国の中で格差がどんどん広がっていることにある。日本は先進国の中で最も格差の少ない国だったのだから、もう一度そのことを思い返して中間所得層を再構築することによって一億総中流社会をもう一度具現化していかねばならない。資本主義経済を中心にしながらも資本主義の弱点、欠点を補って格差の少ない日本型の資本主義社会を構築してきたことに誇りを持つべきである。日本がもう一度そういう姿をつくれば世界のお手本になると思う。

     多くの人達が日々の生活において一定の充足感や満足感を得られれば、間違いなく政治も社会も安定する。昔から「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるように、明日の生活にある程度の見通しが立ってくれば気持ちも落ち着いてくる。家庭が崩壊するとか地域社会が崩壊するとか、凶悪な犯罪が増えるとか、そういうことは自ずから少なくなってくるはずだ。安倍政権は国民の信を得たということでいい気になっては困るわけで、もっともっと世界や日本の現実を分析、直視し、より多くの人達に安心感を持ってもらえるような社会を目指して再スタートしてほしいと思う。

     私が何よりも心配しているのは、世代交代が進む中で、戦争を経験した世代が今の政治の世界にいなくなってしまったことである。勇ましいことを言うのは簡単だけれど、戦争というのは決して勇ましいものではなく、戦争ほど悲惨なものはない。いつの時代でも、またどこの国でも指導者が判断を間違えると戦争が起きるが、指導者は前線に行って戦うわけではない。常に号令を出すだけで、実際に犠牲になるのは何の罪もない一般の国民なのである。それだけ重い責任を負っているという意識を政権与党、特に自民党はしっかりと自覚してほしいと思う。