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     「アベノミクス」の崩壊

    2016年2月19日(金)

    カテゴリー» 政治レポート

     私は最初からアベノミクスといわれている経済財政金融政策は失敗すると言ってきたが、いよいよその政策的な破綻が目に見えてきたと思う。今の安倍内閣の経済財政金融政策は小泉政権の時に始まった政策の延長線上にある。アメリカを中心として続いてきた新自由主義の考え方に則った路線、当時竹中平蔵氏が中心になって進めてきたものだが、簡単に言えば強いもの、大きいものをより強くし、大きくすれば全体がよくなるだろうという考え方である。経済用語で言うところのトリクルダウン、要するに富裕層や大企業を豊かにすると富が国民全体に滴り落ち、経済が成長するという考え方だが、一向にそういう状況にはなってこなかった。富裕層や大企業だけがどんどん富を蓄積する一方で、益々格差が拡大している。かつて一億総中流といわれた時代には、日本を支えてきた中間所得層の個人消費が中心になって日本経済の規模を大きくしてきたわけだが、その中間所得層がどんどん所得を減らしてくる状況の中で貧富の格差が拡大し、また大都市と地方の格差も益々拡大してきた。安倍内閣が目的としてきたデフレの解消は依然として実現されていない。本来ならば金融政策に先行して的確な経済財政政策を実行しなくてはいけないのに、それを実行せずに金融政策だけでデフレ解消をやろうとしたところにそもそも無理がある。

     小泉政権の頃を振り返ってみると、まさに金融緩和を実行した。日銀の当座預金残高を毎月30兆円〜35兆円に維持するということを続けた。ところがいくら日銀の当座預金残高が膨らんでいっても、そのお金が日本経済の中で回っていかない。金融機関も結局、当座預金で金利が稼げるので積極的な貸し出しには全く消極的な状況だった。なぜ金融機関がそういうことになったかというと資金需要がなかったからである。金融機関がお金を貸したいと思う企業は、借金をしなくても増資や社債発行等の直接金融という方法はあるし、潤沢な内部留保も持っている。一方、金融機関からお金を借りたい中小・零細企業には、危険なリスクを冒してまで貸したくない。貸し出しを増やすよりも日銀に積んでおいたほうがまだいいということなのだろう。そういう状況下で2001年から5年続けた量的緩和の効果が出なかったので2006年3月にいったんそれをやめたのである。

     ところが安倍政権になってから黒田日銀総裁を中心にして再びめちゃくちゃな量的緩和を始めた。本来、日銀には物価の安定、金融システムの維持、通貨の信用、中央銀行としての信頼維持という役割がある。そして物価安定の為の金融政策の中心は金利政策であるべきなのである。金利を上げたり下げたりしながら景気動向を見て調整をして物価を安定させるというのが本来のやり方だが、どんどん金利を下げて事実上ゼロ金利で推移してきたものだから金利政策が機能不全に陥ってしまった。今までに金利を上げるべきタイミングは何度かあったと思うが、それを見送ってしまった。結局ゼロに張り付いたまま今日までずっと来てしまった。そういう状況なのに、何とかしろと政権からプレッシャーがかかるから日銀としてできることは量的金融緩和以外にない。しかしその結果、デフレが解消されたかと言えば一向に解消されないし、GDPも大きくならない。辛うじてアベノミクスが成功したかに喧伝されたのは円安と株高。輸出企業及び株式を保有している企業や富裕層は円安と株高のメリットを受ける。だから円安と株高を維持することがアベノミクスの目的みたいになってしまった。経済界も「アベノミクスでよくなっている。」と評価していたが、経済全体がどうなっているのかを見ると、よくなっているどころかむしろ悪くなってきている。昨年まで実質賃金が4年連続で落ちている。また先日発表があったが、昨年10月−12月期のGDPは1.4%下がり、個人消費が0.8%減、住宅投資も1.5%減、公共投資2.7%減、輸出0.9%減と、なにもいい数字が出てこない。更に言えば安倍内閣が発足してから個人消費は1兆5,000億円も減っている。

     年が明けてから急激に株価が下がってくるという状況になり、ちょっと信じられないような乱高下が続いている。もともと日本の株式市場は6割以上が外国人投資家の資金によって動いている。この1月の外国人投資家による日本への株式投資額は約1兆6,000億円の売り越しになっている。従ってそれだけでも当然株価は下がるはずである。更に昨年11月に鳴り物入りで株式上場が実現した郵政3社の株式も、公開価格を割り込む状況になってきている。こうした状況を何とかしないとアベノミクスは失敗だと言われてしまう。そこで日銀と内閣が一体のようになってマイナス金利を導入した。ところがその結果がいい方向ではなく、全く逆の方向に向かっている。マイナス金利の発表直後はアメリカが一時的に金利を上げたこともあってドル高円安になったが、すぐにその流れは変わり、円高ドル安の流れになってきている。本来、為替レートはドルと円で言えば双方の購買力平価で動いていくもの。実際のドル、円の実力がどうなのかということで上がったり下がったりしていくのが本来の姿である。それを人為的に変える為、無理なことをやるからかえっておかしくなる。アメリカ経済は今、決していい方向に向かっているわけではない。原油価格が大幅に下落したことによって、伸びるはずだったシェールガス産業はまったく振るわない。石油ばかりではなく資源価格全体が下がってきている。一時、住宅バブルのような現象があったが、それもずっと続くようなわけではない。アメリカの経済の先行き不安があるので決して金利を上げたからといってドル高にはならない。逆に日本の場合は、惨憺たる状況にはなっているけれども、巨額の個人金融資産を活用して国債を国内で回しているのでまだ力はあると市場では見られている。しかも対外純資産が世界一の国であるし、外貨準備も潤沢に持っている。世界の通貨がおかしくなってきている中で、円が一番安心できる通貨だということで円が買われる傾向が強まっている。以前にも述べたが、ドルと円との関係だけを見ているとわかりにくいが、他の通貨と円に関してはずっと円高の動きになってきているのである。

     日銀当座預金の一部をマイナス金利にするということでマイナス金利政策が始まったが、早くも市場にその影響が出ており、国債の金利も急落している。国債を大量に持っている金融機関などは持っていれば持っているほど含み損が大きくなってくるからできるだけ早く売りたい。ところが本来なら金融機関は潤沢なお金を企業や個人に貸し出すのが筋なのに資金需要がないということで、日銀が市場から国債をどんどん買っている間は一時的に国債を購入する。いずれは外国株式や外国債券に資金を振り向けていくのだろうが、なかなか貸し出しには回らない。しかしながら、日銀が国債を買い入れるといっても限界があるわけで、日銀が国債を買えなくなる状況になった時には金融機関も個人も買わなくなるから、国債の買い手がなくなって国債が暴落する。その結果、最終的に国民生活が破壊される政府機能の停止という最悪の状況を招くことになる。

     赤字公債の発行については、毎年、財政特例法を通して実行してきた。本来、財政法で赤字公債の発行は禁止されているのに、それを特例だと言って毎年赤字公債を発行してきた。その結果、特例が特例ではなく当たり前のようになってしまった。更に今国会に提出している特例公債法案は、これが成立すれば単年度ではなく2016年度から2020年度までの5年間赤字公債を発行できることになってしまう。これでは財政規律が保たれるはずはない。このことにしても本来、財務省に大きな責任がある。もともと佐藤内閣で福田大蔵大臣の時に、財政特例法をつくって赤字公債の発行に踏み切ったのである。当時は世界経済が非常に混乱していて、日本にも世界経済をリードする役割を果たしてほしいとの声も強くあり、日本の経済の立て直しの為に思い切った財政出動しかないとの判断で赤字公債の発行に踏み切ったのである。その効果は確かに表れて、その後、高度経済成長路線が始まったのである。そうなれば当然自然増収が生まれてくる。そういう状況になった時に赤字公債の発行を止めなくてはいけなかった。あくまでも特例法であって、財政法では禁止しているのだから当時の大蔵省が「止めましょう。」と強く主張しなくてはいけなかった。ところが何も言わずに発行を続けて自然増収による増収分を大盤振る舞いし、全部使い切ってきた。当時の大蔵省、今の財務省に大きな責任がある。今、アベノミクスの無謀な量的緩和や国債の大量買入れで日銀が大きな責任を背負わなくてはいけないのと同じように、財務省の責任は極めて大きい。ところがメディアは一切そういうことを言わない。何か目に見えない力にコントロールされているとしか思えない。

     資源市場と為替市場と金融市場はみな連動して動いている。日本だけの話ではなく、世界の市場が混乱をしてきている状況は益々顕著になってきている。そういう中で国民生活をどう守っていくのかを政治の責任として真剣に考えるべきではなかろうか。そしてまず最初にやらなくてはいけないのは、小泉内閣以降ずっと主張してきたことだが、中間所得層に対する思い切った所得減税を実行することだと思う。財務省はその財源がないと言うが、外為特会に20兆円の積立金がある。その積立金の一部を使えば所得減税は確実に実行できる。そういうことをやって個人の家計を少しでも豊かにしなければ、アベノミクスの破綻によって多くの国民の生活はガタガタに壊されてくることになるし、当然税収も落ち込むことになり国や地方の財政も破綻する。

     世界的に新自由主義の限界が表れてきている。中東も大混乱をしている。宗教や民族の問題が存在することは間違いないが、それとともにそれぞれの国の中で貧富の格差拡大が限界を超えてしまっていることが混乱を生み出す大きな原因になっている。世界が新自由主義と早く決別して経済財政金融政策を全く新しい発想でやり替えていかなくてはいけない。もう一度日本を立て直していかなくてはいけないギリギリの段階まで来てしまったように思う。

    平成28年(2016年)を展望する。

    2015年12月27日(日)

    カテゴリー» 政治レポート

     ちょうど昨年の今頃に今年を展望し、「激動の予感」と題して見通しを縷々述べたが、この1年を振り返ってみて、やはり思った通りの展開になってしまったとの感じが非常に強い。私の見通しは誤っていなかったが、よい方向に進んだのではなく、どんどん悪い方向に進んでおり、益々危機感を強めているというのが実感である。来年は更に難しい年になると私は見ている。

     日本の政治の面から言うと、安倍政権は益々危険な方向に進み始めているように見える。個々の政策の誤りはもちろんあるが、一番いけないのは立憲主義をないがしろにしていることである。今、国会の場でも与党、野党を通じてそういう最も大切なことを厳しく指摘し、批判をすることが流れとして出てこない。国の基本的な仕組み、秩序を維持する為の立憲主義が真っ向から否定され始めていることが何よりも恐いことだと思う。堂々と憲法改正の手続きを踏めばよいのに今は通らないだろうからと、いわゆる解釈改憲の手法で集団的自衛権を容認してしまったり、平和国家としてのイメージをどんどん壊していくように武器輸出三原則をなし崩しにしてしまったり、非常に強引なやり方をしている。

     最近は司法の判断もお構いなく行政を進めていく。沖縄・辺野古への普天間基地の移転の問題でも今、沖縄県と厳しく対立しているが、この問題でも裁判に持ち込まれていることがあるにも関わらず、その裁判の結果がどうなろうと、とにかく所定の方針通り進めていくと官房長官が平気で言っている。本当に恐ろしいことだと思う。世界情勢が大きく変わり、アジアの情勢も大きく変わってきている中で、日米安保体制もこれからいかにあるべきなのか、一度立ち止まって考え直さなくてはいけない時期に、アメリカの軍事力を補完してほしいという要請にただ応えていけばいいというようなやり方をとる。翁長雄志知事が沖縄の県民の意思を体して政府に堂々と発言をされていることは決して間違っていないと思う。

     原発の再稼働にしても政府の一方的な考え方でどんどん進めていく。TPPにしても今後の国民生活や日本の産業がどうなるのか、とりわけ農業をはじめ各分野で働いている人達がどう影響を受けるのか。そういう視点に立って、日本として守るべきものは守る、堂々と言うべきことは主張するのが交渉の大前提だと思う。ところが日本の立場を述べることよりもアメリカと一緒になってとにかくTPP交渉をまとめる為に、担当大臣がまとめ役をやっていた。私からは一体何をやっていたのだろうかと見える。TPP交渉がまとまったといっても、アメリカの議会は来年の大統領選挙が済んでから本格的な審議をやろうという構えである。仮に大統領が誰になるかわからないにしても、アメリカの政権が変わり、もし議会がこれを認めないということになった場合、日本がなぜアメリカと一緒になって急いでまとめようとしていたのか、全く意味がないことになってしまう。確かにアメリカは日本にとって大事な国であり、安全保障、外交でも経済、金融の面でも緊密な関係をとっていくことは大切だとは思うけれど、ただ言いなりになればいいということではなく、アジアの情勢の変化、世界情勢の変化の中で日本がどういう道を進むべきかを真剣に捉え直していく時だと思う。ところがこういう大きな議論が国会でも行われない。一番いけないのは報道機関(マスメディア)が国民に正しい情報を提供することを怠っていることだ。最近のメディアの劣化には著しいものを感じる。このまま政権にすり寄ったり、持ち上げたりするようなことばかりやっていると、戦前、メディアが軍部に迎合して戦争に向かうことに加担してしまったようなことを再び引き起こすのではないかと怖さを感じる。特に大新聞やテレビ会社が政権に弱みがあるのかどうかわからないが、本来、大手のメディアが担っている公益性についての責任をもう一度真剣に考えてほしい。

     来年の参議院選挙が大きな節目になるが、野党がなかなか対立軸を作り得ていない状況で右往左往する中で、共産党がリーダーシップをとって候補者の一本化の動きを見せ始めている。政権に対立する勢力を大きくすることは必要だが、何の為に大きくするのか、野党再編成の中で何を目指していくのか、どういう社会を構築しようと思っているのかを示さないで、ただ野党共闘なんて言っているのでは政権側から単なる野合ではないかと言われてしまう。大切なことは、今の安倍政権のあまりにも偏った理念、政策に対して「それは間違いだ。」と国民の立場に立って堂々と言い切る政治勢力が生まれてくることであり、そうでなければ意味はない。参議院選挙の前にそういったことができなかったら、投票率がものすごく下がる危険性がある。前回の衆議院選挙でも、半分近い人が棄権をしてしまう中で果たして本当の民意が問われたことになるのだろうかと思ったが、そういうことも今から考えておくべきだろう。選挙年齢が下がること、更にネット選挙が本格化するということでかなり色々な影響は出てくると思う。特に新たに選挙に参加するような世代が投票行動をとる時に、十分な情報が得られているかどうかがすごく大事なことである。もともとあまり政治に関心を持たなかった人達であればなおのこと、正しい情報がより多く届けられることが正しい判断をする為に必要なことであり、改めてメディアの責任が問われることになろう。

     一方、経済、財政・金融についても来年は更に厳しくなるだろう。政府はアベノミクスが成功していると強調しているけれども、決して成功したとは言えない。国外の要因によってうまく進まないのだと責任逃れをするかもしれないが、日銀が異次元の量的金融緩和に踏み切り、大量の国債の購入をはじめ禁じ手のようなことを大手を振ってやってしまったのだから、どこかでけじめをつけなくてはいけない。アメリカは利上げに踏み切ったことで金融当局がある意味でフリーハンドを維持した。一方、日銀の場合には今の状況からいって金利を上げようがない。ETF(上場投資信託)やREIT(不動産投資信託)を買ったりするのは経済政策の分野に日銀が踏み込むことであり、金融政策としてこういうことをやること自体、中央銀行として極めて見識のないことだと思う。中央銀行は言うまでもなく、物価の安定、通貨の信用維持、システムの安定等を目的としているわけで、そこに最大の責任を負っている。今や100兆円を超える大量の国債を日銀が抱え込んでいるが、仮に国債が暴落するようなことになれば日銀自体が大変な状況になってしまう。それだけのリスクを負っていることは世界が見ており、中央銀行としての信用が揺らいできていると言ってもよい。そこをどうやってけじめをつけていくのか、日銀としてもよくよく考えてもらわなくてはいけない。

     私はずっと言ってきたことだが、もともとインフレターゲットを設けること自体、中央銀行としていかがなものかと思っている。過度のインフレの中で物価を安定させる為に金融政策を総動員するのは当然のことだが、意図的に物価を上げていくことの為に金融政策を実行することは中央銀行として決してやってはならないと私は思っている。日銀の内部にも一部にそういう危機感があるようで、国庫への納付金を減らして内部留保をしながら国債が暴落した時の危機に備えるというようなことを始めたようだが、そういうことでは追いつかないほど大きなショックが来る可能性はあると思う。

     今、世界経済はどこを見てもよいところがない。そのきっかけとなったのは石油価格の暴落とそれに連動した資源価格の暴落である。それによって資源国は一番先に打撃を受けたが、それと同時に多額の債務を抱えている新興国、ヨーロッパでもギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリアをはじめとして最近は産油国のノルウェーも通貨が下落している。中東などは惨憺たる状況になっているし、南米のブラジルやアルゼンチンも債務を抱えて国が破綻するかもしれないというところまで追い込まれてきている。新興国では今年から来年にかけて債務の借り換えをやらなくてはいけないところが多い。2008年のリーマンショック以降、安い金利で債券を発行しているものが、借り換えの時には高い金利になるので債務が拡大することになる。従って借換債が発行できない国も出てくる。いわゆる国としてのデフォルト宣言をするようなことになったらどうにもならない。世界の債権国、金を貸している国も、また新興国の債券を買っているような民間の金融機関もバタバタと危なくなってきたら、世界の金融システムが機能不全に陥ってしまう。もともと新自由主義に基づく金融システムというのは、メチャクチャな金融緩和によって金融市場全体をどんどん膨らませ、実体経済とかけ離れた量のお金が世界を動き回ることによってつくられてきた。金で金を買うマネーゲームの世界で儲けていた人はたくさんいるが、そういう人達から見ると、もともと資源というのは石油でも鉄鉱石でも金銀や銅にしても有限であり、金融市場に比べると市場が非常に小さい。そこに巨額のお金が入っていくから、一挙に値が上がったりする。逆にその資金が市場から引き上げられれば一挙に下がることになる。今そういう状況が起きている。

     今から40数年前のいわゆる石油ショックの時、石油価格が急激に上昇し、世界経済が大混乱に陥ったことがきっかけで、先進主要7ヶ国の首脳が集まって世界経済をどう維持していくかの話し合いをした。その後、毎年サミットは開かれてきたが、先進国首脳が集まって相談しても、先進国だけでは世界経済の課題が解決できなくなった。そこでBRICSなどの新興国が台頭してくる中で、参加国を増やしていく流れになり、最近ではその数が非常に多くなってしまったので、毎年首脳が集まって話をしても「船頭多くして船山に上る。」ではないけれど、まとまった結論が出せない状況になってきている上にアメリカの国力の低下もあり、もはやリーダーシップを取れる国がなくなってしまっている。

     戦後70年の節目の年であるが、第二次世界大戦後の世界秩序を構築する為に国連をつくり、また世界銀行、IMF(国際通貨基金)、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)などをつくったりして今日まで秩序を維持してきた。ところがそれがことごとく機能不全に陥ってしまった。それに代わる新しい仕組みが作られつつあるかと言えば全くそうではない。群雄割拠というか、皆が自分のことを考えて勝手なことを言ったりやったりするような時代になってきている。

     中東でももともと欧米列強が自分達の利益の為に国境線を設定したが、それぞれの国の中で政治の安定を図ることができなくなってしまって、結局、国境を超えた民族、宗教の動きにかき回されて大混乱をしている。シリアやイラク等からの難民の流出が止まらない上に各国でテロ事件が発生し、ヨーロッパ全体の社会情勢が益々不安定になっている。またISをはじめとする過激な集団の活動により、イスラム圏内でも混乱が激しくなっている。

     そういった世界情勢の中で、第二次世界大戦の時はチャーチルやド・ゴールなど、強いリーダーシップと見識を持った人達がいたが、今、世界を見回してもそういう確固たる歴史観を持ち自分の国ばかりでなく、国際社会全体をまとめていけるだけのリーダーシップを持った人は見当たらない。その上、国際的な機関が使い物にならなくなってきている状況だから、将来への明るい見通しが持てないのである。

     今、際立っているのはロシアのプーチンと中国の習近平の2人である。今の世界の状況を見ながら自分が中心となって世界の新しい体制を作ろうという野心だけは見えるが、果たしてそのように動くかどうか、決してそう簡単なものではない。プーチンはロシア国内における人気は非常に高いものがあるので、思い切ったことをやれるのだろう。一方、習近平は無理に無理を重ねているので、人民元にしてもIMFのSDR(特別引き出し権)の枠を取ったということで国際通貨としての評価が得られたと思っているかもしれないが、元が暴落してくる可能性も出てきている。経済が決していいわけではなく、貿易を見ても輸出、輸入とも落ちてきている。元を国際通貨として認めさせる為に、まさに国を挙げて金融市場で元の価値を維持してきたということだが、いつまでも支えきれるものではない。最近は海外への投資も上手くいっていない。オーストラリアで住宅価格が下落し始めているが、これは中国の投資が減ってきたことが原因である。シンガポールでもそういう兆しが出てきている。日本でも中国人投資家による、いわゆる住宅バブルが弾ける時が近付いているような感じがする。

     国際経済、国際金融も石油安や資源安から端を発してどんどん悪い方向に向かってきている。日本の景気はアベノミクスで上手くいっているのだと政府は強弁するけれども、今までは株高と円安でそれを維持してきたが、両方とも危なくなってくるだろう。本来、株式市場に任せておくべきものを、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)を使って無理やり株価を上げたりしてきた。それはちょっと間違えるとわずか数ヶ月で10兆円近い資金を失ってしまうという危ない状況もつくり出してしまう。また円安にしても、一時的にはアメリカが利上げをしたのでドル高になり円安が続くと見えるかもしれないが、アメリカ経済が本当の実力でドル高を維持していればよいが、そうではない。アメリカ経済そのものに陰りが出てくることになると、いつまでも円安が続くことはあり得ない。その結果、アベノミクスが破綻することになってくる。アベノミクスによって国内で誰が潤ったのかということになると、結局のところ大企業と富裕層が利益を得ただけに終わってしまう。

     消費税率の引き上げ時期が近付いているので、軽減税率の導入を決定したり、あるいは低所得年金受給者(約1,250万人)に1人当たり3万円を給付とするという一時的な手当てをしてお茶を濁そうとしているが、これから所得が増えていく見通しもない時に多少お金をもらったからといって、直ちに生活の豊かさに還元されてくることはあり得ない。ましてや日本の経済を今日まで大きくしてきた原動力である中間所得層の可処分所得を増やす為の所得減税を行って、個人消費の拡大を図るような思い切った需要政策をとらない限り、日本の経済の先行きは難しくなる。私は常にそのことを言い続けてきたが、それと正反対の政策を安倍政権は取っている。「一億総活躍社会」と言っているけれど、一部の人の活躍の場はあっても、多くの人の活躍の場は益々減ってくる。人手が足りない時期がある程度続いたが、これからは人手が余って仕事がなくなってくる時期も近付いてきているような気がする。

     また政府をはじめ地方自治体も借金でどうにもならなくなってきているが、個人金融資産は依然としてあるわけで、その個人金融資産をいかにうまく国内で循環させるか、その政策が最も急がれることだと思う。対外純資産もあるわけだし、国内の個人金融資産もあるわけだから、それを国内で循環させながら個人消費が拡大していくことになれば、利益を上げている大企業をはじめ多くの企業が国内への設備投資を行うというよい流れになってくるだろう。とにかく国内で物が売れない。売れているのは中国人観光客が「爆買い」しているくらいである。更に大都市と地方都市の格差は益々拡大している。地方が疲弊している状況にある時に、国内に投資しろと言ったところで企業は投資するはずがない。法人税を引き下げる代わりに設備投資をしろなどということは、市場経済の国の政権がやることではない。経済界にそんなことを言うのではなく、黙っていても企業の経営者が国内に投資をしたくなるような環境をつくることが政治のやるべきことである。

     色々述べたが、要するに世界が無秩序の時代、大混乱の時代に進みつつある中で、そのことを早く見抜いて日本の進むべき道を国民にはっきりと示して国民の合意形成をする、透徹した予見力と何よりもリーダーとしての見識が求められている。ところが政治家ばかりでなく、経済界にも官僚や学者、文化人、更にはマスメディアの分野にも見識のあるリーダーが見当たらなくなってしまった。戦後70年が経ち、歴史的な転換点に立っている今日、現在の政権、与党をはじめ国会の責任は極めて大きいわけで、そういうことを踏まえた真剣な議論を是非とも行ってほしいと思う。

    安倍政権の陰り

    2015年10月23日(金)

    カテゴリー» 政治レポート

     安倍首相は安全保障関連法の成立以降、経済のことばかり言っているが、アベノミクスなるものもいよいよ破綻寸前のような状況になってきていると私は思う。一部の大企業が収益を上げているのは間違いないし、株高で潤っている人達がいるのも間違いない。ただ株式市場だってどこでどう動くかわからない。まだ円安が続いているように見えるが、円−ドルの関係、円−ユーロの関係だけを見ていると円安になっているが、その他の国の通貨と円との関係を見ているともう既に円高に向かっている。今の流れが変わってくると政府や日銀がどんなに円安に誘導しようとしても限界が来るだろう。

     安倍首相は最近、「一億総活躍社会」を目指すと言うが、何を言おうとしているのかさっぱりわからない。そんなことよりも私が以前から主張しているように「一億総中流社会」を再構築する方がよほどイメージとしてハッキリしていると思う。一方では2020年度にGDP600兆円を実現させると表明している。名目で3%程度の経済成長が続けば可能だと言っているが、どうやって3%成長に持っていくのかその手順が全く見えない。やはり個人消費が安定的に伸びていくことにならなければGDPが大きくなるはずがない。その為に具体的に何をやるのかが明確になってこなければいけない。格差がどんどん広がって、しかも地方が疲弊している状況の中で「一億総活躍社会」と言われてもピンと来ない。

     抽象的なことばかり言って日本をどういう国にするのかが明確に示されていないが、その一方でアメリカの言うことだけは聞いている。TPPにしても原発再稼働にしても、CSIS(戦略国際問題研究所)のジャパンハンドラーズと言われるような人達が当初から日本に対して要求していることをシナリオ通りに進めている。リチャード・アーミテージ元米国務副長官とジョセフ・ナイ元米国防次官補が3年前に出した「第3次アーミテージ・ナイリポート」の中で書かれたことをそのままやっているだけではないかと先の国会審議でも指摘されていたが、まさにそういうことである。

     更に国際情勢を見ていくと、アメリカの力が落ちていることは間違いない。反面、ロシアのプーチンと中国の習近平の2人が次の覇権というか、自分達を中心にした世界をつくるという野心がはっきり見えてきている。中国とロシアとこれからどう付き合っていくかも日本にとって大きな問題である。アメリカと一緒になっていればよいということではもはや解決できない。台湾、ASEAN、インドなどアジアの自由主義国との関係をもっと強めて信頼関係を構築し、中国に対してもロシアに対しても、またアメリカに対しても堂々と物が言えるようなアジアの一つのまとまりをつくっていくことが大事である。これは日本一国だけでできるわけではない。アジアにおいて同じ自由主義、民主主義を基本とする国と連携を強めていくことが急務ではなかろうか。

     色々考えてみると今の安倍内閣、自民党がこれからどうなってしまうのか不安ばかりが強くなる。与党の国会議員も安倍内閣をサポートしてさえいればよいというのではなく、激動する国際情勢をしっかり見極め、過去の歴史に学び、新しい方向を見出していかなくてはならない時だと思う。

    安全保障関連法について。

    2015年10月6日(火)

    カテゴリー» 政治レポート

     9月27日(日)に閉会した通常国会において、与党は例のないような大幅な会期延長を行い、安倍内閣としての最大の懸案だった安全保障関連法を強引に成立させてしまった。私は以前のレポートでも述べているが、明らかに憲法に抵触する集団的自衛権の行使を容認する道を開いてしまった。多くの憲法学者がそれは憲法違反だと指摘していることに対して、憲法の解釈がどうなろうと、国民の生活に対して責任を負っているのは学者ではなく自分達政治家だと発言するに至っては、権力のある者の驕りや慢心という以前に立憲国家としての基本を最初から間違えていると言わざるを得ない。戦後の70年の政権運営の上で取り返しのつかない汚点を残してしまったと思う。

     憲法に違反しようがしまいが、現実の世界や国際情勢はどんどん変化している、そういう中で国民生活を守る為には憲法よりも自分達の考え方の方が正しいのだというような主張である。いわゆる解釈改憲というか、憲法改正をしないで政府が勝手に従来の法解釈を変えてしまうという手法が当たり前のようになったら非常に恐ろしいことになる。法治国家としての国の基本法である憲法がないがしろにされてしまうことになると、国家の仕組みそのものが成り立たなくなってくる。

     安倍首相や与党幹部は、審議時間を長くとったということばかり強調するけれども、どんなに審議時間を長くとっても基本的に間違ったことをやっているわけだから、国民の理解が得られるはずがない。首相自身も国民の理解が得られていないということは認めながらも、いずれ理解される時が来るだろうと言っている。岸内閣の日米安保改定の時のことを引き合いに出して、当時は大変な騒ぎで反対の人が多かったけれども、時代が経って間違いではなかったことが認められたということも述べている。しかしあの時は憲法に違反することをやったわけではないので、それを引き合いに出すこと自体間違っている。

     今回の安全保障関連法案については、特定の組織が反対運動を展開したというのではなく、多種多様なそれぞれの立場から個人的に容認できないという人達の自主的な動きが広がって、一つの反対運動になっていった。組織的な反対運動ではないからいずれ収まるだろうと甘く見ているのかもしれないが、民主政治を否定する行為を政権与党が行ったのだから、そのことに対して間違いはあくまでも間違いであるという主張をこれからも諦めることなく続けていかなくてはいけない。

     安倍首相は安全保障関連法案がまとまってもいない段階でアメリカに行って、スピーチをして成立を約束した。そこから既に間違えている。今回の法案が通ったことをアメリカが歓迎するのは当然のことで、アメリカのアジア戦略や世界戦略に日本を巻き込んで自由に使うという道が開かれたと言えるだろう。自衛隊の海外における活動範囲が広がり、アメリカの総合的な国力がどんどん落ちてきている中で、それを補完する役割を日本が背負わされることになってくる。

     それと連動した話だが、10月1日(木)に防衛装備庁という防衛省の外局がスタートした。武器の輸出・購入あるいは兵器の開発及び他国との共同開発などの中心的な役割を担う。これはまさに安全保障関連法がどういう背景の下に進められてきたかを物語っている。日本が長い間守ってきた「武器輸出三原則」も既に変更されてしまったが、紛争当事国に対して武器の輸出はしないとしても、輸出した相手の国がそれをまたその国の判断で紛争国に譲り渡すようなことは十分あり得る。まさに世界の軍拡競争の一翼を担うようなことになりかねない。平和国家としてこの70年守ってきたことがガラガラと音を立てて崩れていくような気がしてならない。

     「積極的平和主義」と言うけれど、何のことやら訳がわからない。平和を守る為に今まで以上に積極的な役割を果たしていこうというのであるならば、何も世界の警察官としての役割を果たせなくなったアメリカの軍事戦略に協力し、その補完的な役割を果たすことが最善の選択ではない。私は以前から述べてきたように、日本を敵視しない国を多くしていくという平和外交の展開の方が遥かに国民を守ることにつながってくると思う。

     ホルムズ海峡の魚雷の掃海作業などの支援にしても、公海上で同盟国の戦艦を守るというようなことにしても、始めてしまったら限度がないのである。安倍首相は戦争から国や国民を守る為にやっているのだと強弁を続ける。日本から他国に戦争を仕掛けるようなことはあり得ない、戦争を仕掛ける為の法律ではないというのはその通りだけれど、巻き込まれなくてもいい戦争に巻き込まれてくる危険性が大きくなったことは間違いない。だから安全保障関連法案に反対した人達は「戦争法案」という呼び方をしていたわけである。

     法案が通ったからもう仕方がないと諦めてはいけない。やはり間違いは間違いなのだから、皆がその主張を諦めることなく続けていく。そしてできるだけ早く政権を変えることが必要だと思う。来年の参議院選挙で政府与党に大きな打撃を与えることは、民主的な政治手法として当面一番大事なことだと思う。

    今こそ参議院の出番だ!

    2015年7月24日(金)

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     安全保障法制については、私が見通していた通りの動きになっている。安倍首相をはじめ安倍政権は、日本の国民の意思よりもアメリカに対する約束を優先させることを最初から実行するつもりでいたとしか思えない。結論先にありきで、後は国会の審議時間を消化していけばいいという、消化試合のような意識で国会の論戦に臨んでいたということだと思う。

     菅官房長官にしてもしきりに審議時間のことを取り上げる。過去の重要法案の審議時間と比べて今回は遥かに上回っているということばかり言うけれど、もともと一本一本が自衛隊法をはじめ非常に重要な法律であるのに、その改正案を無理に10本まとめて1本にしているわけだから、過去の重要法案の審議時間と比較すること自体間違っている。そして何よりも今問われているのは、審議時間のことではなく、多くの人達が憲法違反だと言っているように、内閣の憲法解釈を変えることによって憲法を形骸化していくという、立憲主義の基本に反することを最初からやっていることなのである。

     安倍首相の発言を聞いていると、日本を取り巻く国際環境が変わったのだからその中で国民生活、国民を守っていく為に大きな責任を負っているということをしきりに言う。だからと言って、自分達の判断に憲法を合わせていこうとするのは立憲主義の基本に全く反する。まず憲法を守ることが立憲主義、立憲政治の基本である。憲法の遵守義務について、特に公職にある人はそのことを重く受け止めなければいけない。今の憲法では国際環境の変化の中で国土や国民を守ることが難しいというのであるならば、何度も指摘したことだが、堂々と憲法改正の手続きを踏んで、国民に粘り強く説明、説得をしながらそれを実現させていくべきである。それこそが立憲政治の基本である。

     今回、前例のない大幅な会期延長を行ったが、多くの人達やメディアが指摘しているように参議院で60日経っても結論が出ない場合には、衆議院で再可決をして法案を成立をさせる、いわゆる「60日ルール」を使って成立させる為の日数を見込んで大幅な会期延長をしたのは見え見えである。私に言わせれば、これほど参議院を馬鹿にした話はない。これがまかり通ることになったら、まさに参議院はいらなくなる。参議院は衆議院のカーボンコピーに過ぎないと言われることがあるが、参議院は改めてその役割を問われている。「良識の府」と言われているのは、衆議院が法案の審議で判断を誤ったり、それ以前に憲法に反する判断をした時に、参議院議員が各々の良識を踏まえて、それは間違いであるとして正していく大きな役割が与えられているからである。私はその参議院が衆議院と同じように政党化していることが参議院の自殺行為になっているということを繰り返し述べてきた。参議院議員が自分の所属する政党にとらわれず、一人一人が自らの良識を踏まえ、国民の立場に立って正しい判断をしなくてはいけない重要な時を迎えている。

     安保法制に反対する国会周辺のデモや抗議集会などが今までにない盛り上がりを見せている。ところがそういう人達の行動をたいしたことではないと言わんばかりの発言が安倍内閣から相次いでいる。麻生副首相も先日、国民の大多数が反対しているのならば、自分達のところに反対の意思を伝えるメールや電話がもっと来るはずだが、たいした数ではないと発言していた。またその一方で、安倍首相は安保法制について「国民の理解が十分に得られているとは思わない。」と発言している。そう思っているのならば、国民が十分理解できる段階までしっかりした議論を積み重ね、その上で結論を出すのが筋だと思う。ところが結論が先にありきで、その時は国民の支持を得られていないかもしれないが、年月が経てば国民の理解が進むだろうということを、祖父の岸信介元首相がかつて日米安保条約改定をやった時のことを引き合いに出して述べていた。

     民主政治では多数決によって最終的に結論を得るのは当然のことであるが、その一方において少数意見を尊重するというもう一つの大きな柱がある。正しい少数意見を、議論を積み重ねていく中で多数意見に高めていき、その実現を図ることは議会政治の最も大切なことである。仮に安倍首相の判断が正しいとしても、それが国民の中でまだ少数意見であるのならば何も今急いでやる必要はない。議論を積み重ねていく中で多数意見になるような、堂々とした議論をした上で結論を出すことが議会政治の常道だと思う。安倍首相はそのことについても考え違いをしているのではないだろうか。

     今回の安保法制に反対するデモや抗議行動は、そう簡単に収まるとは思えない。これから参議院の議論が始まって新しい論点が示されたりしてくると、ますます世論は喚起されることになってくると思う。安倍内閣は強気で進んでいるけれども、半面、世論の動向を非常に気にしているように見える。だから新国立競技場の問題も白紙に戻すと言わざるを得なかった。安保法制と新国立競技場の問題を合わせて批判されては敵わない。安保法制は絶対に譲れないけれども、新国立競技場の方は譲ってもいいということで、これ以上支持率を下げない為にこのような判断をしたとしか思えない。それだけ世論に敏感であることは間違いない。経済面では株高と円安によって安倍内閣の支持率が維持されてきたが、それも危うさが見えてきた。このような状況にあって今の時期を外したら、アメリカとの約束が果たせないので何が何でもやってしまおうという動きがますます強まってくるのではなかろうか。

     安倍内閣は今まさに戦後の安全保障政策の大転換をしようとしているが、私はそれが日本や日本の国民にとって有益だという判断には全く賛成できない。どう考えてみても日本の国土や国民の危険性が増すとしか思えない。それを敏感に感じ取っている国民がどんどん増えてきているということだと思う。デモや抗議行動の盛り上がりが衰えることなく、更に広がっていくと安倍政権も衆議院の再議決がやりにくくなってくる。しかし、アメリカと約束したことだから何が何でもやろうとするだろう。それをやらせない為には、主権者である国民が立ち上がる以外に道はない。世論の盛り上がりがもっともっと大きくなってくること、その盛り上がりの中で参議院がしっかりした議論をやって、参議院としての明確な結論を出すことが大事だと思う。そのことが良識の府である参議院の権威を守ることにつながってくる。

     私は今こそ参議院の出番が来たように思う。これからの参議院の審議に期待をしながら見守っていきたい。