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    2018年を展望して

     先の衆院選はなんら大義名分のない選挙で、安倍首相の続投を国民の支持を得て認めてもらうのだという、まさに自分の為の解散総選挙だったと思う。

     安倍首相にしてみれば、選挙の直前に小池百合子氏と前原誠司氏によって野党は分断され、与党の圧勝に終わったのでしてやったりと思っていることだろう。しかし国民は安倍首相を支持しているかというと、必ずしもそうではない。議席全体では与党で約7割近くを取っているということかもしれないが、比例区において有権者総数の何割を取ったかという絶対得票率でみると、自民・公明両党は4人に1人、自民党単独では6人に1人である。従ってここには民意と議席数との大きな乖離がある。基本的に現行の選挙制度が持っている欠陥とも言える。

     安倍首相は相変わらず憲法改正を実現させたいと思っているようだが、今回の解散を見ていて、改めて日本の統治機構の仕組みそのものに大きな弱点、欠陥があるということを感じないわけにはいかない。

     安倍内閣もそうだが、歴代の自民党内閣が衆議院を解散する時に、いつも憲法7条による解散だと言う。しかし憲法7条というのは、あくまでも天皇陛下の国事行為を列記して規定した条文であって、総理の解散権を認めた条文ではない。私が大学時代に憲法を学んだ有名な憲法学者・宮沢俊義さんは、当時から7条解散は違憲であると言っておられた。

     総理が解散権を行使できるのは唯一、憲法69条にある規定によってのみである。そこには内閣不信任案が衆議院で可決、または信任案が否決された場合に10日以内に衆議院が解散されない限り、内閣は総辞職しなければならないと書いてある。総理が自分の都合のいい時に解散をしてよいということは、憲法は全く予定していない。もし憲法改正をやるのであれば、真っ先に総理の解散権を69条に明確に限定すべきだと、私は一貫して主張してきた。

     行政権のトップである内閣総理大臣は国会で指名されるが、国会はそれぞれの地域の代表、また比例代表として選ばれた人達で構成されている、国民のいわば代弁者、代表であるが、その人達が内閣総理大臣を誰にするか指名選挙を行って、その結果、指名された人が行政権のトップに座るわけであり、立法府なかでも衆議院は言ってみれば議院内閣制の下では、総理大臣の産みの親である。その産みの親である衆議院を恣意的にいつでも解散してよいという、そんないい加減な統治機構はあり得ない。

     また最高裁長官については首相に罷免権はないが、内閣の指名に基づいて天皇に
    よって任命されることが憲法で規定されている。安倍首相は、司法権の長である最高裁長官も、立法府の衆参両院議長も内閣の閣僚も、すべて総理が決められると思っている。しかもそれに加えてもう一つ大きな権力であるマスコミ、マスメディアも今や総理に擦り寄っている。一部を除いて大手の新聞は一切政権を批判しない。公共放送であるNHKが頑張ってくれなくてはいけないのに、そのNHKにどんどん権力の手が入っている。まさに三権にマスメディアを加えた四権の上に安倍首相は君臨しているようにしか見えない。これは非常に恐ろしいことである。

     私はいつも我が国と台湾との友好関係を大切にしているが、その台湾では中国の国父と言われ敬愛されている、孫文の唱えた五権憲法に基づいて統治機構がつくられている。行政・立法・司法の三権に、監察権と考試権を加えた五権分立の下で、互いにチェックアンドバランスが働いている。

     日本の場合には残念ながら、最高裁が高度の行政判断を必要とすることについては憲法判断を避けてしまう。例えば安倍内閣が集団的自衛権を容認する閣議決定をして、それに基づいて安保法制をつくり変えたが、その時にしきりに引用されたのが1959年の砂川事件の判決である。砂川事件は米軍の基地をめぐる事件の裁判であり、最高裁は米軍が駐留していることは違憲ではないという判断を下したのであって、この判決が集団的自衛権を容認しているのだという根拠には全く当てはまらない。それにも関わらず最高裁はこの閣議決定について何も言わない。最高裁が行政権の下位に位置付けられてしまっているような状況に非常に怖さがある。

     憲法改正をするのなら総理の解散権を明確に規定することと同時に、最高裁が高度の行政判断について合憲か違憲かの判断をしないのであれば、独立した憲法裁判所をつくるべきだと、私は従来から主張している。憲法裁判所が最終判断をすることにならなければ今の最高裁判所では内閣の暴走を止めることはできない。

     憲法9条をどうするかという課題もある。立憲民主党の枝野代表の言っていることは極めて明快である。集団的自衛権の容認は憲法に反する、憲法に反する閣議決定をしておいて、それに基づいて安全保障法制をつくり変えたことはとても認められるものではない。安倍首相や自民党が自衛隊の存在を憲法9条に付け加える改正が必要だと主張しているが、憲法に反する安保法制を認めた上で自衛隊の存在を明記することになれば、結局、日米安全保障条約、日米同盟の下で日本の自衛隊がアメリカのアジア戦略、世界戦略に使われしまう恐れが極めて強い。そこを明確に整理しないと、自衛隊の存在を明記するところまで踏み込めないと言っている。私も同じ考えである。アメリカの総合的な国力が落ちてきている中で、軍事的にも経済的にも金融の面でも日本がこれを補完することをアメリカは求めており、現実にそのような状況になりつつある。

     今、北朝鮮の問題があるので、日本の国民はアメリカの力を必要とすることに対してあまり抵抗感もない。

     先日、岸田前外務大臣と小野寺防衛大臣がアメリカに行った時に、陸上型ミサイル迎撃システムのイージスアショアを早く売ってほしいと申し入れている。2機で約2,000億円という。アメリカの総合的な国力が落ちる中で、特に製造業の力が弱まっているが、健在なのは航空機産業と兵器産業である。兵器は原価が外部からはなかなかわからない。日本がアメリカから兵器を買う場合にそれを値切るようなことはしないだろうから、アメリカにしてみればよいお得意様として考えているだろう。

     北朝鮮の問題で戦争が起こる可能性がないわけではない。しかし核戦争をやったら二国間の問題ではなく、世界全体、人類が滅亡に向かう恐ろしいことになる。核兵器は絶対に使ってはならないし、核廃絶の方向に世界が向かうのは当然のことである。従って、アメリカと北朝鮮の問題を平和裏に解決することが何よりも重要だと思う。

    (続く)