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    英国の国民投票と参議院選挙

     先週、イギリスでEUからの離脱の是非を問う国民投票が行われた。投票前からどちらが勝つかわからないような状況の中、残留を主張し運動をしていた女性の国会議員が殺害されたことに対する影響もあって、一部では残留派が勝つのではないかと予想する人もいた。しかし結果は僅差で離脱派が勝利し、EUからの離脱が決まってしまった。今回のことは将来に対して色々な示唆を与えているように思う。トップリーダーの責任、言動は極めて重く、内外に対する影響がいかに大きいかが文字通り示された。離脱決定後すぐに株式市場や金融市場に大きな影響が出て、為替も乱高下するという状況になった。

     元はといえば、キャメロン首相が前回の総選挙で勝って、政権を維持したいが為に国民投票の実施を約束してしまったことが発端である。今回の国民投票はまさにEUに残るか残らないかという二つに一つの選択を国民に問うことだったが、離脱を選択した人達の中には、キャメロン政権に対する批判、キャメロン首相の政策、あるいは政治手法に対する批判がかなりあったと思う。私の親しいイギリス人もそういうことを言っている。キャメロン首相自身が政権維持の為の大きな賭けをやって、その賭けに敗れた。彼は辞めればそれで済むだろうが、取り返しのつかない大きな負の遺産を残し、国民に対して多大な損失を与えてしまった。国民投票の結果が大差であればまだ治めようもあるだろうが、これだけ拮抗した状況だと負けた方もなかなか収まりがつかないだろう。この対立を再び調和させて連合王国としての協調を取り戻すことは、極めて難しいのではないかと思う。

     もともとスコットランドは連合王国から独立をしたいという考えが強く、2014年に独立の是非を問う住民投票を行った経緯がある。結果として連合王国にとどまることになったが、独立したいという考えがなくなったわけでも収まったわけでもない。そしてそのスコットランドにはEUに残りたいという圧倒的な民意がある。せっかく収まった独立の機運がまた大きなうねりになって表れ、連合王国から独立をしてEUに残りたいという動きがかなり現実的なものになってくるのではないかと思う。

     EU離脱ということになっても、ユーロに加わっていなかったポンドは独立した通貨として今まで通り続いていくだろうが、離脱となれば当然他のEUの国々との間の人の出入りなどにも今までと違った制限が加わってくる。貿易産品にも関税がかかってくる。また金融市場をはじめ、ヨーロッパの中心的な役割を果たしているイギリスに拠点を構えてEU諸国でビジネス展開をしている企業も多い。そういう企業がこれからどういう判断をするのか。イギリス経済ばかりではなく、EU全体にも世界経済・金融にも大きな影響を与えることになる。今回の国民投票の結果がどう収まっていくのか、まだまだ予断を許さない状況だと思う。

     もともとEUに加わる時に国民投票を実施したわけではなく、その時の政権の判断で加盟したのである。今回もこれだけ国民を巻き込んで混乱した状況をつくったことは本当に政治の選択として正しかったのかどうか、よく考える必要がある。民主主義国家においては国民が最終的な主権者であることは当然であるが、それぞれの国の政権が信頼を失っているような時に、何でも国民に訴えかけて国民投票を実施すればよいのかというと決してそうではない。その流れが定着していくことは、裏を返せば代議政治の否定になる。大事なことはすべて国民投票に委ねようという流れが出てくることは、議会制民主主義の国にとって極めて大きな問題なのである。

     個々の問題についてすべて国民に民意を問うことは、IT化が進展する社会において技術的に不可能なことではない。ただしその結果、国が混乱をしたり衰退をしたり滅んでしまっては、一体誰が責任を取るのかということになってくる。もともと代議政治、議会制民主主義というのは、特定の個人が考え出した仕組みではない。色々な国や民族が試行錯誤を繰り返していく中で、どういう政治の制度をつくったら最善なのかを考えた挙げ句に到達した一つの仕組みなのである。それは決して完全なものではないかもしれないし、手間暇のかかる仕組みかもしれない。しかし最も間違いの少ない仕組みだということで、多くの国がこれを取り入れるようになってきたのである。特に社会が多様化し、複雑になってくればくるほど、それぞれの分野における政策を決定する為には専門的な知識も必要になる。一人一人の有権者、国民がすべてのことを知り尽くすことは不可能なことであり、だから自分の意見を代弁してくれる、あるいは考え方を汲み取ってくれる人を選んで、その人に政策判断を委ねているのである。ところが委任を受けた議員の人達が、その責任に耐えられず、むしろ責任を放り出していくようになってくれば、重要なことはすべて国民投票で判断をしようという方向に向かうことになり、代議政治が形骸化してしまう。イギリスにおいては、国会議員をはじめ政治家が今何を問われているのかを、ここで真剣に考えるべき時ではなかろうか。日本の場合も、舛添要一前東京都知事の問題など政治スキャンダルが続いていく中で、政治に対する信頼がどんどんなくなってきている。政治家の質も劣化しつつある。日本においても政治家に任せておけないので国民が自分達で何でも決めようではないかという流れが出てくることは、極めて危ないことである。今回のイギリスの問題を他山の石として、今何が問われているのかを自分自身の問題として考えるべきだと思う。

     ちょうど参議院選挙が行われている最中だが、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられて初めての国政選挙であり、新しい有権者の人達も戸惑いと同時に1票の重みを強く感じているのではないかと思う。一人一人の政治参加を重く受け止めている若い人達もたくさんいるようだ。そういう人達がどういう判断をされるのかによって結果が決まってくるだろう。参議院とは一体何なのかを、今回の選挙を通じてもう一度考えてほしいと思っている。私は参議院議員の時からずっと言い続けてきたことだが、参議院は決して政党化してはならないということである。政党化してしまうと、衆議院と同じように政争の中に巻きこまれてしまうし、参議院がつくられた本来の意義が見失われてしまうことになると、警鐘を鳴らしてきた。

     評論家や政治学者の方々の発言を聞いていても、衆議院と参議院を同じような目で見ており、参議院の本質的な役割をもう一度見直すべきだと言われている方は非常に少ない。すぐに1票の重さ、軽さという話になって、人口比例代表という考え方がすべてなのだという割り切りをする人がほとんどである。これにはメディアにも大きな責任がある。こうした考え方で割り切ってしまえば、人口の多い大都市の議席がどんどん増えて、衰退をしつつある地方の声は益々反映されなくなくなる。結果的に地域格差が益々拡大することになる。政治の側もその考え方を唯々諾々として受け入れてしまっており、それが政党の都合と重なって同じ議論ばかりが繰り返されてきた。そうした中でどうにもならないからと、人口が減少した二つの県を一つに合区してしまう。今回は鳥取・島根の両選挙区と、高知・徳島の両選挙区が合区されたが、こんなことをやるのだったら参議院はなくてよいということになってしまう。人口比例代表という考え方で国会の構成を割り切っていくのであれば一院制でよいということになる。ここでもう一度、参議院は何の為につくられたのか、参議院の本質的な役割とは何なのかを考えてほしいと思う。参議院の本来の意義を踏まえておかないと、政権選択ではない参議院選挙というのは極めて虚しいように感じられる。

     もともと日本が戦争に負けた後、占領政策の中で日本の憲法もつくられたわけだが、当時アメリカは一院制を求めていたのに対して日本側は強く主張して、貴族院に代わる参議院をつくり今日の二院制ができたのである。当時参議院をつくろうと主張した人達には、参議院議員はまさに地域を代表し、また職能・職域を代表する人達によって構成され、国家、国民の為に衆議院における政党間の利害対立を是正するという基本的な考え方があった。そのことを忘れて政党比例代表の仕組みを参議院に導入して衆議院と同じ性格に変えてしまったことは、参議院の自殺行為だと私は言い続けてきた。

     今回の参議院選挙で自民党が改憲勢力を確保するかどうかといったことがメディアの関心の中心になってしまっており、参議院本来の意義を見つめ直すべきではないかという声がかき消されてしまっている。非常に残念なことである。有権者の方々も参議院の本来の役割に思いを致し、政党よりも人物を選ぶことに重きを置いてほしい。議員内閣制である以上、衆議院で内閣総理大臣が決まってしまうわけだから、衆議院が政党の権力闘争の場になるというのは当然のことであるが、それが時として国民不在の中で政争だけが行われるようなことがよく起きる。これを国民の立場を踏まえて是正をしていくのが参議院の本来の役割である。政党の都合だけに振り回されるのではなく、国民や地域の代表として将来を見据えてどう判断するのかを堂々と主張し、行動する議員をつくっていくことが非常に大事な時だと思う。

     今回のイギリスの一連の動きを見ている中で、私はまさに日本の政治の将来に対しても大きな示唆を与えられたように思っている。今回の出来事はイギリスやヨーロッパの経済や金融に特化した問題のようにとかく日本のメディアも受け止めているが、そうではなく政治の仕組みに対して根本的な問いかけをしているのだということを、この際真剣に考えるべきではないかと思う。