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    安倍政権は「戦争への道」を歩むな。

     5月14日(木)に安倍内閣が安全保障法制の法案を与党の了承を得た上で閣議決定し、翌15日(金)に国会に提出した。法案の内容について細かいことを言えば限りがないが、その前にまず基本的なことをないがしろにしてしまうことによって法治国家が成り立たなくなることに強い危機感を抱いている。三権分立のあり方、議院内閣制のあり方、それに関連した国会と内閣との関わり方、そして最も大切な憲法とは何なのかということ。そういう基本的なことが全くないがしろにされてきている。私は安倍内閣の暴走を目の当たりにして、もはや法治国家のリーダーとしての見識も常識も失われてしまったのではないかと言わざるを得ない。

     言うまでもないが、安倍首相は日本の行政の責任者なのであって、アメリカの政治の責任者ではない。先日訪米してアメリカの上下両院の合同会議でアメリカを礼賛するような演説を行い、何回にもわたって大きな拍手を受け、大層気持ちが高揚しているようだった。アメリカの上下両院は主権者であるアメリカ国民を代表している議員によって構成されているわけで、その合同会議でこの夏までに安保法制関連法案を成立させるということを言い切った。これはアメリカの国民に約束したことになる。日本の行政の責任者である首相が自分の所属している与党の了承もまだ取れていない、閣議決定もしていない、もちろん国会の審議も全く行われていないという段階で、アメリカの国民の代表である議員を前にして今夏までに法案を成立させると言い切ることは、日本の主権者である国民を全くバカにした話だ。安倍首相はなぜそういうことに気がつかないのか、私には信じられない。

     アメリカは今、経済、財政、金融をはじめ八方ふさがり、すべてが手詰まりの状況にある。特に外交安全保障政策においては思うようにいかない。本年は第二次世界大戦後70年の節目の年だが、アメリカは大戦後次から次へと国外の紛争に介入してきたが、アジアにおいても、また中南米や中東においてもそれがことごとく失敗した。そして今やそのツケがすべてまわってきている状況である。中国が台頭し、ロシアが益々存在感を大きくしてきている中で、アメリカ単独ではどうにもならない状況に陥っている。アメリカは従来から対日戦略を進めるにあたって、日本の経済力を常にコントロールできるようにしながら、日本の富の蓄積は実質的にアメリカが自由に使えるという関係を長い間がかかって作り上げてきた。それに加えて近年は安全保障政策でももっと日本を自由に使おうと考えているのは明白である。

     前回、安倍首相が訪米した時は極めて冷たい扱いをされた。首脳会談は行われたが、歓迎晩餐会も共同記者会見もなかった。ところが今回の訪米では手のひらを返したように、上下両院の合同会議で歴代首相として初めての演説が行われ、共同記者会見があり、歓迎晩餐会も催された。アメリカが今苦しい中で日本を完全に取り込んで、アメリカの国策に協力させようと前回とは180度違う対応をした。それに乗せられたようにアメリカを礼賛するようなことばかり話をすれば、アメリカの議会や政府が喜ぶのは当然である。日本はアジアの国であるのに、その演説からはアジアの近隣の国々に対する配慮が全く感じられなかった。中国や韓国はもとより、第二次世界大戦の時に日本軍によって被害を受けた東南アジアの多くの国々に対する配慮がまずなされるべきだろう。そして何よりも日本の主権者たる国民の代表であるという意識を第一に持つべきだが、演説を聴いていると安倍首相は一体どこの国のリーダーなのかと思ってしまう。

     また昨年7月の集団的自衛権の解釈変更を前提に、まだ安全保障法制が整理されていない段階にも関わらず、法案の成立をアメリカに確約した上で日米安全保障条約のいわゆるガイドラインの見直しも行った。これも国会軽視どころか国会無視、国民無視と言わざるを得ない。首相というのはそこまでの権力を国民から与えられてはいない。権力を縛る為に大きな役割を果たす最高法規である憲法を勝手に解釈して、憲法そのものを改正せず、憲法が予定しないことを解釈変更で平気でやってしまう。このことからしても行政権の長たる資格がないと言われても仕方がない。

     安倍首相にしてみれば、昨年暮れの総選挙で自民党が圧勝し、連立与党の公明党と組んで絶対多数を持っている現状では、どんな法案を出しても最後は数の力で通せるという見通しがあるから解釈変更を平気でやるのだろうが、仮に法案の成立が見通せたとしても、我が国では最高法規である憲法を基にした様々な法律、手続きがあるわけで、その手続きをきちんと踏むことが法治国家として最も大事なことである。自分はこう思う、こうすべきだと思うのなら、その為にきちんと手続きを踏んで、国民に粘り強く説得をしていくことをしなければいけないのに、そういうことを置き去りにして、結果が見えているのだからといったような驕り高ぶりは極めて危険なリーダーの姿勢だと思う。

     今回閣議決定した安全保障法制関連法案は、集団的自衛権を行使できるようにする武力攻撃事態改正法案など10本を束ねた「平和安全法制整備法」と、戦争中の他国軍を後方支援する「国際平和支援法案」に集約したということだが、その中身を見ると政府の解釈によってどうにでもなってしまうことになる。「平和」だとか「国民の安全を守る」といった言葉ばかりが躍るが、実際には全く逆である。安倍首相の言い方だとアメリカと一緒になって、アメリカに協力していれば日本の平和を守れるのだという。しかしながらアメリカは自国の国益を第一に考えるわけで、自国の国益が守られた時に世界の平和が守られたという言い方をする。しかもそのアメリカの国益はそのまま日本の国益ではない。

     集団的自衛権が行使できるという憲法解釈の変更に基づいて今回つくられた法案が国会で成立してしまえば、日本の国民の安全を守る為ということで他国に対する攻撃に対処できるようになり、更には地域を限定しないでどこにでも内閣の思うまま自衛隊を出せることができるようになってしまう。そもそも自衛隊の存在は憲法上明記されていない。憲法9条では、国際紛争を解決する手段としては武力を行使しないとはっきりと謳っている。それをアメリカ側からの強い要請によって、憲法9条は自衛の為の武力行使は禁じていないという憲法解釈に基づいて、警察予備隊という存在として今の自衛隊は発足しているのである。あくまでも専守防衛、日本が直接武力攻撃をされた時に日本の国民と国土を守る為に存在しているのであって、国外に出て行って武力行使をすることは明白な憲法違反である。

     安倍首相は日米安全保障条約を強化して、アメリカと一体化しアメリカの外交安全保障政策に協力をすることが日本の安全を守ることにつながるという信念を持っている。私は全く違う考え方だが、それはそれとしても安倍首相が自分の考えが正しいと思うのなら、法治国家の手続きに則ってまず憲法改正を堂々とはかるべきなのであって、憲法改正をやらずにどんどん拡大解釈をして自分の思ったように進めて世論を誘導するというやり方は、まさに法治国家を自ら崩すことにつながる。

     安倍首相の世代は直接戦争に駆り出されたことのない世代だから、自らの正義を守る為には戦うのは当たり前だと思っているのかもしれないが、戦争というのは決して勇ましいものではない。古今東西、権力者は常に正義の戦いを強調するが、権力者の判断によって起こされた戦争によって、犠牲になり被害者になるのは善良な一般の国民なのである。今、世界各地で起こっている内戦を見ても明らかで、シリアやイラクやソマリアなどから難民が自由を求めて命がけで国外へ脱出している。日本は世界で唯一の被爆国であり、戦争で尊い多くの人命を失い、多大な犠牲を払ったその敗戦の焦土の中から再出発して、平和を守りながら国民の努力により今日の日本を作り上げてきたのである。いかなることがあっても戦争だけは絶対にやってはならない。安倍首相はよく「普通の国になる」とか「積極的平和主義」だとか、さも美しそうな響きを持つ言葉を使いたがるが、国の交戦権を禁止し、国際紛争を武力で解決しない平和憲法を持つ国が他にないとすれば、「普通の国ではない」ことに誇りを持つべきだと思う。そういう国だからこそできる国際的な役割があるのではないかとなぜ考えないのだろうか。

     私が常々言っていることだが、新たな敵を増やさない、敵を作らないという高度な外交戦略を構築し、それを実現することこそが日本の安全を守ることにつながると思う。いまや衰えつつあるといってもアメリカは超軍事大国である。戦後70年の間に世界に多くの敵を作ってしまった国である。先進国の中で最も敵の多い国がアメリカなのである。その国の外交安全保障政策に協力するどころか一体化していくことになれば、作らなくてもよい敵をどんどん増やすことになる。その結果、海外で経済活動をして日本の経済を支える役目を果たしているような在外邦人をどんどん危険に晒すことになる。そういう危険な政策はとらずに、日本が多くの国にとって必要な存在になるような国づくりを進めるべきだと思う。

     例えば国連を中心にした様々な平和維持、平和管理の為の国際機関の事務局機能をどんどん日本に誘致する、あるいは紛争当事国の仲立ちをし、日本で水面下の交渉の場を提供したりする。そういうことは紛争当事国と直接の利害関係を持っている国がいくら呼びかけても実現しないが、平和憲法を持って平和のメッセージを発信してきた日本だからこそ実現できると思う。そういうことがどんどん目に見えてくれば国際社会において日本の存在はますます大きくなってくる。特にこれから国際情勢は更に混乱してくるだろうし、国連だけではどうにも解決できない状況になってくるのは間違いない。まさにこのような時だからこそ日本の果たすべき役割があると思う。政治ももっと知恵を絞っていかなくてはいけない。

     こういう危機的な状況の中で、まず国会議員が党派を超えて国会の権威を守らなくてはいけない。国権の最高機関である国会は主権者である国民から選ばれた議員が国民を代表して議論をしているのだから、国会が指名をした首相の暴走は国会が止めるのだという意識をしっかりと持ってほしい。与党の中でもかつての自民党にはもう少し見識がある人達がいた。内閣を担う主流派がいれば、それを批判する立場の反主流派、また非主流派、中間派といった存在があったが、今は誰も表立って内閣の批判をしようとしない。自民党がダメなら公明党が多少はブレーキをかけてくれるのではないかと期待したが、全くの期待外れだった。このような状況を打開するには改めて主権者である国民が声を上げることが最重要である。多くの人達が様々な分野から声を上げていくべきであるし、その声が大きくなってくれば当然国会に対しても内閣に対しても強い圧力になる。

     もう一つ大事なことは、司法の真価が問われることである。これから恐らく色々な市民グループなどが違憲訴訟を起こすと思う。それに対して司法が的確な判断を下すことが重要である。それを避けたり逃げたりしたら、司法自らが三権分立を崩すことになってしまう。行政府が憲法に違反する行動をとった時には明白に憲法に違反しているということを司法の判断として毅然と示さなければいけない。

     昨年暮れの総選挙の投票率は50%そこそこで、半分近くの有権者が棄権した。投票した人の約半分しか今の与党が票を得ていないとすれば、全有権者のうちの25%の民意をもってこのような暴走行為を行うのだから、他の75%の人達はもっと真剣に我が事として今の事態を受け止めてほしい。私どもの世代はまもなく消えていく世代だから、これから戦場に行くようなことはないが、次の世代、またその次の世代を担うような人達にとってはまさに我が事になる。自分が考えたところで何になる、自分が動いたところで何になるのかと思ってしまったら何も解決はしない。やはり一人一人が自分自身のこととして真剣に受け止め、行動を起こすべき時だと思う。