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    憲法改正と国会の定数是正について。

     憲法改正についての動きが色々出てきているが、一方で衆参両院の定数是正の問題も長い議論になっている。特に来年に控えている参議院選挙までに参議院の定数是正をやるべきだということで議論が進められている。私は以前から指摘していることだが、参議院の定数を衆議院と同じように人口比例代表という考え方で整理をしていくと本来の参議院の存在意義が失われていくことなると思う。

     振り返ってみれば、もともと帝国憲法を廃止し、新しい憲法をつくる時にGHQが用意した憲法草案では一院制を採っていたのを、日本が強く働きかけて二院制を認めさせ、現在の衆参両院がつくられた経緯がある。参議院は戦前の帝国憲法下では貴族院だった。貴族制度の廃止に伴い、貴族院そのものが廃止されることは当然の流れだったわけだが、貴族制度を廃止することはよしとしても、国会の中での貴族院の持っている性格、つまり衆議院の政党政治の利害関係のぶつかり合いというものを超えて、より高い次元で国益を考える役割が失われてはいけないという考え方から日本が二院制を主張したのである。

     その時、参議院の構成については、日本全国のそれぞれの地域の代表と職能職域の代表によって構成されるという整理をした。従って地方区と全国区という二つの選挙区がつくられ、職能職域代表は全国区で選ばれることにした。このように二院制をつくった原点から考えると、衆議院のような人口比例代表は考えていなかったわけである。それと同時に、議院内閣制なので衆議院は当然政党政治の場になる。各政党が政権を目指して選挙を戦って、最も国民の信を得た政党の代表が衆議院で内閣総理大臣の指名を受ける。参議院も首班指名選挙は行うが、参議院に総理大臣を選ぶ権限は与えられていない。衆参両院の議決が異なった場合には両院協議会を開くが、そこで意見が一致しなければ衆議院が指名した人が首相になる。議院内閣制の仕組みの中で衆議院の優位性が認められているからである。衆議院は政党の理念、政策がぶつかり合う場になるのは当然のことだが、参議院は発足の経緯から言っても、国民の立場に立って国益を考えて衆議院の政党政治の行き過ぎをチェックすることをやらなければ、参議院をつくった意味がないのである。

     ところが参議院の選挙制度に政党比例代表の仕組みを導入してしまった。私はそのことが参議院の自殺行為だったと思っている。私自身、参議院議員を2期務めた経験があり、参議院改革に精力的に取り組んだ経験もある。その時にも私は同じような意見を主張していた。戦後間もなく参議院がスタートした頃、参議院がまだ政党化されていなかった頃に、無所属議員の集まりとして緑風会という会派があった。私が議席を得たのは1974年。当時先輩議員の中に緑風会に所属をしておられた方が数名おられた。例えば迫水久常さん、新谷寅三郎さん、郡祐一さん等で、そういう方々から伺った話では、政府委員は衆議院に呼ばれる時よりも参議院に呼ばれる時のほうがより緊張したという。参議院にはそれだけ見識を持った論客が揃っていて堂々たる議論を展開されるから、生半可の知識では対応できなかったというのだ。参議院には非常に良識のある方々がおられて、自らが選ばれている地域あるいはまた職能職域を代表して、大所高所から専門的な議論をしておられた。そういう状況だから政府・与党は、衆議院はこなせても参議院はなかなか思うようにいかない。政府提案の法案でも簡単には通らなかったのである。長期政権を担った吉田茂元首相も参議院対策には非常に頭を悩ませた。その結果何をやったかというと、参議院議員からも閣僚を起用するようにした。意図的に参議院を行政府に取り込もうとしたのである。

     一方、全国区という選挙制度の下で議席を得ていた人達は、あまりにも選挙区が広く、選挙費用がかかり過ぎることから、個人の力で選挙を戦うことが容易ではなくなり、組織的に選挙戦を展開できる団体の代表のような人でないと全国区ではなかなか当選できなくなっていた。こういうことがあって無所属議員の集まりであった緑風会が自然消滅をして、結局参議院議員も政党に所属するように変わっていったのである。しかし参議院が政党化してしまうと本来の参議院の役割は果たせなくなってくる。その参議院の政党化を完全に進めてしまうきっかけをつくったのが、政党比例代表の仕組みを参議院に導入したことである。

     現在では衆参両院の役割がどう違うのかといった議論があまりされなくなってしまった。二院制だから憲法上どうしても参議院の審議をやらなくてはいけないということで参議院での審議が形骸化してしまうと、時代の流れがこれだけ早くなってきている時に国会の審議に長い時間をかけることはあまり合理的ではないという意見や、二院制は税金の無駄使いではないかと指摘する人も多くなってくる。国会議員の中でも一院制を推進する議員連盟をつくったりするような人達もいる。

     一方、議員の定数が多すぎるのではないかという議論は常にあり、国会の中よりもむしろ一般の有権者やマスメディアはよくそういうことを言う。現在の政党の中にも橋下徹大阪市長が率いる維新の会は議員定数削減を大きな公約に掲げている。また法律家の間では常に1票の価値の平等が取り上げられる。1票の格差が大きな問題になって、人口がどんどん増えている地域の定数を増やし、減っている地域の定数を減らしていく定数是正が一つの流れになってしまっている。衆議院でそういう議論が出てくることは当然のことだと思うが、もともと参議院は人口比例代表の考え方で構成された院ではないのだと、もう一度原点に立ち返ってよく考えていかないと、結局参議院無用論になってくると思う。

     また最近は国会議員の質が著しく劣化してきているように思う。例えば今まで政治に関心があったわけでもなく、政治家になろうという努力をしてきたわけでもない人が、たまたま党の幹部と個人的な繋がりがあったからということだけで政党の比例名簿に載り、その政党がたまたま大きな追い風を受けた為に議席を得てしまうというようなことが当たり前のようになっている。その結果、いわゆる小泉チルドレン、小沢チルドレン、安倍チルドレン、橋下チルドレンと言われるような議員が現実に生まれている。そういう人達が基本的な勉強もせず、ただ議員として与えられた立場を特権のように思って勘違いしてしまう。最近もそういった類のスキャンダルが次から次へと出てきている。少なくとも比例名簿に載せる前に、果たして国会議員たる資質があるのかどうか、各政党は十分に精査して国民、有権者に自信を持って推薦できるということでなければこういう現象が繰り返されてしまう。
    政党比例制度が仕組みとしてある限りは、政党が候補者に責任を持たない限りこういうことが繰り返されてしまう。私は参議院が政党化されることは日本の将来の為にもマイナスだと従来から思っている。

     衆参両院とも人口比例を基本にして定数是正を行えば、人口の増えている地域の定数が増えて、人口が減っていく地域の定数は減っていくのは当然のことだが、そうなれば人口の多い地域の声が益々大きくなって、少ない地域の声は小さくなっていく。近年、日本の国土の荒廃が著しく進んでいる。それは人があまりにも偏って居住するようになったからである。もともと日本はバランスよく人が居住し、自然と調和し、その自然環境を守りながらそれぞれの地域で個性的な文化を形成してきた国である。ところが明治維新の中央集権体制が今日までずっと続いてしまい、しかも小泉政権以降は国土政策に競争原理を導入してしまった。人口の少ない地域に公共投資をすることは、経済合理性から考えて無駄な投資だと言わんばかりの政策が続いてきた。小泉政権以降は地方の過疎化、高齢化、少子化が極端に進んでしまった。いわゆる限界集落がどんどん増えて、国土保全をすることがそこに住む人の力ではできなくなってしまった。また大きな自然災害が起きれば、災害復旧・復興の為にかえって巨額の予算が必要になってきている。

     世界に誇るべき日本の文化は決して大都市から生まれたのではなく、また現在も大都市にあるのではなく、政治の灯が当たらなくなりつつある地域にこそ日本文化の原点がある。政治はそうした地方にもきちっと目配りしながら、全国どこに住んでいても生きがいが感じられる生活が享受できるようにしていくべきではなかろうか。そういうことを考えても選挙制度は最も大切な政治課題である。

     よくメディアや学者が定数是正、1票の格差の話をするが、例えば有権者数が40万人の選挙区があったとして、過去5回の選挙の平均投票率がその地域では75%だったとする。過疎地域だけれどその地域を何とか改善してほしい、住みやすくしてほしいという願いのもと75%の人が投票しているとすると、30万人が投票していることになる。かたや仮にその選挙区の2.5倍(100万人)の大都市の選挙区があったとする。そこの選挙区で過去5回の選挙の平均投票率を見たら30%しかなかった。その場合の投票人口も30万人。人口が2.5倍あっても投票人口は変わらないというケースはよくあることなのだ。定数を有権者数だけで比較してけしからんというのはかなり一方的過ぎる意見だと思う。やはり選挙区における平均投票率も定数是正の議論の時には加味して、議論を進めるべきだと思う。

     こういうことを諸々考えてみると、参議院はどうしてつくられて、どういう役割を期待されているのかということを改めて原点に立って考え、衆参両院の役割分担を憲法上明確にすべきではないかと私は思っている。憲法改正の話が色々表に出始めている時であり、衆参両院のあり方をもう一度見つめ直すことも憲法改正の大きな論点にしていくべきだと思う。

     参議院がつくられた経緯から考えてみても、参議院の政党化が参議院の無力化に結びついてしまったのだから、参議院は政党比例代表をやめにして、アメリカの上院の仕組みのように地域代表という考え方で47都道府県それぞれ一律に定数2にし、3年ごとに半数を改選していけば参議院議員は94人に減る。選挙の際に、政党の推薦を受けることは構わないが、当選をした人はすべて無所属になり政党政治から離れるようにすべきだと思う。それぞれ高い見識を持って国益を考え、衆議院の政党政治の行き過ぎを是正する。
    それと行政府と一線を画して立法府の院に徹する。参議院議員は閣僚とか副大臣とか政務官にはなれないということにすべきで、内閣に入りたい議員は衆議院に転進すればよい。参議院は立法府に徹して、法律を直したりつくったりする。最近は議員立法が減ってきて内閣提出の法案が圧倒的に多くなっているのだから、参議院議員を中心に議員提案の法案を出していく。そうしていくことが逆に行政府に対しても大きな存在感を示すことになる。

     最近の政治手法は小泉首相以来、首相が国会を従えるようなやり方になっている。安倍首相も「日本の最高責任者だ。」としきりに言うけれども、国権の最高機関は国会であって、内閣総理大臣は国会で指名されて内閣を組織している行政権の長であり国の支配者ではない。最近は首相が国会に対して指示命令をするような態度を取るし、与党もまた唯々諾々として、内閣主導という言葉の下に力を失ってしまっており、内閣に対して言うべきことを言わなくなってきている。三権が互いにチェック・アンド・バランスをするのが三権分立のあるべき姿だが、現実には行政の長である首相が自分の生みの親である立法府の上に君臨しているような姿になっており、司法もそれに従っているような姿になっている。憲法上首相には最高裁長官の罷免権はないけれども指名権は与えられている。安全保障や外交など高度な政治判断を要するような案件については最高裁が判断を示さないことがあるが、これでは益々行政権が強くなってしまう。憲法に反しているということを本来は司法が判断しなくてはいけないのに、高度な政治判断を要する案件だとして逃げてしまうのでは結局、行政権の独走を許してしまう。

     集団的自衛権の問題にしても、明らかに憲法に反していることなのに内閣の判断で憲法を都合よく解釈して閣議決定してしまった。これが憲法違反だということを言える存在がないと三権分立は成り立たない。だから私は憲法裁判所が必要だと思っている。憲法を改正して最高裁で判断がつかないような案件を憲法裁判所に持っていくような仕組みもつくっていかないと、内閣の暴走を止められないだろう。