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    2018年を展望して

    2017年12月12日(火)

    カテゴリー» 政治レポート

     今年もまもなく暮れようとしているが、多くの問題が持ち越されて年を越すことになる。

     今年はイギリスのEU離脱という大きな出来事があり、未だに混乱が続いている。EUの離脱交渉をめぐって、ユンケル委員長とメイ首相との会談が12月4日(月)と8日(金)に行われ、EUへの清算金の負担にイギリスが応じるとともに、他の条件について協議を続けることになったのでイギリスの強硬離脱によってEUが大混乱になることは避けられたと思うが、いずれにしてもイギリスがEUから離脱する。また欧州先進国の中でも最も安定したリーダーシップを発揮してきたドイツのメルケル首相が先般の選挙でCDU(キリスト教民主同盟)、CSU(キリスト教社会同盟)の議席を減らした。また連立与党のSPD(社会民主党)も大きく議席を減らして連立を離脱してしまった。そこで他の政党との連立工作を進めたがうまくいかず、シュタインマイヤー大統領の仲介でふたたびSPDとの大連立の交渉が進められつつあるが、まだ予断を許さない。

     イギリス、ドイツばかりでなく、その他の欧州諸国も大変な状況になってきているが、こうした中で、来年起こり得るリスクを私なりにいくつか考えている。一つ目は金融リスク、二つ目は戦争のリスク、三つ目は地政学的なリスク、そして四つ目は世界のリーダー不在のリスクである。

     世の中というのは混乱があればその中から必ず次の秩序がつくられていく。それがあるから人類の歴史はずっと続いてきている。

     振り返ってみると、第二次世界大戦の時は、戦争終結のかなり前から戦後の秩序をどう構築するかという話し合いが行われていた。当時はアメリカの国力が圧倒的に強かった。歴史的にアメリカの国力は、第二次世界大戦前夜、大戦の最中、戦後しばらくの間が最も強かった。日本が敗戦国となった前年の1944年7月にニューハンプシャー州のブレトン=ウッズで会議が行われ、米英を中心とする45ヶ国によって経済、金融の面から世界の秩序をどうするかが話し合われ、IMF(国際通貨基金)、IBRD(国際復興開発銀行、現在の世界銀行)の設立が決定された。それを裏付ける為に、基軸通貨としてドルをしっかりと位置付け、金1オンス35ドルと金兌換という固定相場制が合意された。その一方で、水面下において、スターリンが指導するソ連と自由主義国の中心国であるアメリカとが色々なディール(取引)をやっていた。そういう中で国連がつくられたが、後になって、アメリカでソ連のスパイ容疑で告発され有罪となったルーズベルト大統領の側近だったアルジャー・ヒスと、ソ連の外務大臣を長く務めたグロムイコが綿密な交渉、調整を行った結果、国連憲章がつくられている。

     従って日本が常任理事国に入りたいと言ってもなかなかうまくいかないし、依然として国連憲章の敵国条項から外されていないこういうことも、国連の成り立ちに立ち帰って考えてみればなるほどと思うことが多い。

     このように第二次世界大戦の終わりの頃につくられた秩序がずっと今まで続いてきたが、最近になってうまく回らなくなってきた。一つにはアメリカの国力低下が背景にある。ブレトン・ウッズ会議で金1オンス35ドルと決められた時には、世界の金の大半はアメリカにあった。その後、アメリカも経済が悪化し、財政も悪くなってくるので金も売らざるを得ない状況になってくる。ドルと金の交換を維持することができない状況の中から、1971年にいわゆるニクソン・ショックが起こり、ドルと金は交換停止になってしまった。それ以降、ドルはまさにペーパーマネーになってしまったわけで、実際には何の価値の裏付けはなく、決済通貨であることによって信用が維持されてきた。また一方において、ペーパーマネーとして、いくらでも印刷すればお金ができるので、どんどんドルを増やしていき、それを世界にばらまいて、アメリカの戦略をなんとか遂行しようとしてきた。そういう中で、マネーゲームの世界が生まれてくる。オーストリアのハイエクやアメリカのシカゴ学派の中心であるフリードマンらが新自由主義を唱え、それに政治的に呼応したのがイギリスのサッチャーであり、アメリカのレーガンである。サッチャリズムやレーガノミクスを実行して、政治的にも新自由主義に則って政策を実現しようとした。

     新自由主義というのは、私なりに簡単に解釈すると、大きいもの強いものをより大きく強くしていけば全体がよくなるという考え方であり、竹中平蔵氏と私が常にぶつかったのもこの点である。彼は大きいものをより大きく強くしていかなければ競争力も生まれないし、経済成長もあり得ないと言う。トリクルダウン(滴り落ちる)という言葉もよく使っていた。富裕層や大企業が豊かになってくれば、富が下に滴り落ちてくるから全体がよくなるという発想である。ところが私はそれには条件があると指摘した。お祝いのイベントの時にシャンパンタワーが用意されることがあるが、シャンパンのグラスをタワーのように積み上げていき、上からシャンパンを流すとどんどん上から下に落ちてきて、下のグラスまで一杯になる。ただしグラスが全部同じ大きさだから下のグラスにまで注がれるのである。上のグラスがどんどん大きくなっていったら、永久に下には落ちてこないことになる。まさに新自由主義に則って豊かになった人達はそういう考え方の人が多い。多くの豊かな人達が全体のことを考えてくれればよいのだが、共助共生の社会をつくるという発想がない。そういう人達は自分さえよければよいということで、限りなく富を追求する。

     その結果何が起こったかというと、現在世界の大富豪上位8人が下位からの36億人分の資産を保有する世界になってしまった。さらに世界の62人の富裕者が全世界の半分の富を持つようになってしまった。そして我が国でも自民党が中心になってつくってきた本来、資本主義ではできるはずのない世界に誇るべきいわゆる一億総中流社会を小泉政権以降崩壊させてしまった。現在日本でも2%の金持ちが20%の富を保有するという、格差の大きな国に変わってしまったのである。

     そして一部の富裕層は税負担を免れる為に、世界に数ヶ所ある、いわゆるタックス・ヘイブン(租税回避地)で巨額の資金の運用を行っていることが、最近パナマ文書やパラダイス文書によって露見し、世界中で批判を浴びている。

    (続く)

    立憲民主党の躍進を期待する。

    2017年10月7日(土)

    カテゴリー» 政治レポート

     いよいよ総選挙に突入することになるが、今回の衆議院の解散は、私から見ると、安倍首相の恣意的な解散であって、大義名分がまったくない解散だと言わざるを得ない。しかも野党が臨時国会の召集を再三求めていたのにそれを3ヶ月も放置しておいて、9月28日(木)に国会を召集すると所信表明演説も代表質問もなく、基本政策についての与野党の論戦を全く行わずに、冒頭で解散したことはまったくの暴挙で、言ってみれば政権延命の為の解散としか言いようがない。

     マスメディア等でも色々言われているが、国会を開くと前国会から引き続いて森友問題・加計問題で追及されることが目に見えている。また衆議院の補欠選挙もやらざるを得ない。更には安全保障政策や経済財政、金融政策などの行き詰まりも明らかになってくる。野党が力を失っている間に思い切って選挙をやって、多少議席を減らしても安倍政権が信任されたという姿をつくりたいという、まさにその1点で解散をしたのであって、北朝鮮の脅威が現実のものになりかねない中で、国民にとっては誠に迷惑な話である。

     現に10月10日(火)から選挙戦に入るわけだが、いつの選挙でも選挙前には色々な動きが出てくる。特に個々の議員または候補者は自分が生き残る為、あるいは当選をする為に色々なことを考えて行動するというのは、いつの選挙でも見られることである。従って今の状況はそれほど驚くことではないが、ただ全く常識外れなことをやったのは民進党の前原誠司氏である。

     9月1日(金)に行われた民進党の代表選挙を勝ち抜いて代表になったのだから、野党第1党の党首として堂々と今回の解散を受けて立って、安倍政権打倒の為の選挙を先頭に立ってやらなくてはいけない立場にも関わらず、民進党という政党は残しながらも、選挙で民進党の候補者は立てないという信じられないことを小池百合子氏との間で決めてしまった。野党が結集をして政権を倒すというのは当然のことで、政権を倒すのであれば、希望の党とも協力しながら、民進党が野党第1党として大きく議席を伸ばすように行動するのが代表の責任である。希望の党との合流を決めた直後の民進党の両院議員総会で前原氏は、政権を打倒する為にそういう選択をせざるを得なかったと説明した。それを受け止めた民進党の人達は全員、希望の党という名前で戦うのだと理解したのは当然である。

     ところがその後の希望の党の公認候補を選定する作業の中で、小池代表は、これは合流ではないのだから民進党の人を全員受け入れることはさらさらないと発言し、いわゆる排除の論理によって候補者の選別をしていく。そして結果的にはリベラル系の人達が排除されるということになった。その一方で、与党であっても自分の親しい議員の選挙区には候補者を立てないことや、維新の党と協力して維新の勢力の強い大阪では希望の党の候補者を出さないことを勝手に決めてしまう。まさに小池氏の「私党」になってしまった。自分の好き嫌い、自分の判断ですべてを決めるという非常に思い上がった存在になってしまった。まさに民主主義政党ではなく、最初から独裁政党の体質を持っていると言わざるを得ない。だから都民ファーストの会のオリジナルメンバーがやむにやまれず離脱をすることも起きてくる。

     しかも都知事と党首を天秤にかけて、希望の党の期待感、支持率がどんどん大きくなって、野党第1党として他の野党と力を合わせれば首班指名で総理になれる可能性があるのか、あるいは難しいのか、そこを見ながら都知事を辞めるか辞めないかの判断をしているようだ。都政の重要さ、更に国政の重要さというよりも、自分が何になれるかをすべての尺度として判断しているように見える。野党第1党になれる可能性があるとするならば、自民党政権、なかんずく安倍政権とは目指す社会の姿形がどう違うのか、理念と基本政策を明示するのは当然のことである。ところが未だにそれが見えてこない。小池氏はマスメディアの使い方やネーミングには極めて優れた人だと思うが、どういう社会をつくろうとしているのか、その基本的な理念が全く見えない。こういう人が大きな国民の支持を集めることは非常に危険なことだと思う。もともと小泉純一郎氏や竹中平蔵氏と極めて近い考え方の人であり、その路線を進んでいくことは大体想像がつく。10月6日(金)の朝、小池代表が理念、政策を発表した。思った通り、安倍政権と大差はない。経済政策についてもアベノミクスに代わる「ユリノミクス」を実現させるなどとマスコミ受けを狙ったことを述べていた。

     安倍首相の恣意的な解散による今回の選挙では、憲法改正が大きな争点になってくる。もともと私は憲法改正そのものに反対ではない。ただ9条は変えるべきではないと主張している。憲法改正そのものは反対ではないというのは、例えば私が従来から提唱しているように、衆参両院の役割を明確にすることもその一つである。衆議院は現行のように人口比例による議席配分を行うが、参議院は人口比例ではなく地域代表という位置付けを明確にして、アメリカの上院のような役割を持たせる為には憲法を改正しなければならないのである。

     今回の解散について思うことは、憲法7条によって衆議院を解散するという天皇陛下の詔書がいつも通りに読み上げられて解散されたのだが、憲法7条というのは私の持論だが、天皇陛下の国事行為を規定したものであって、総理の解散権を規定したものではない。あくまでも総理が解散できるのは、憲法69条の規定によってのみである。内閣不信任案が可決されるか、信任案が否決をされた時は、10日以内に衆議院が解散されない限り、内閣は総辞職しなければならないという規定である。その69条にしか総理の解散権について触れた条文はないのである。私が大学時代に憲法を学んだ有名な憲法学者・宮沢俊義さんも7条解散は明らかに違憲であると盛んに言われていた。このことは議院内閣制の根幹にかかわることだと思う。

     議院内閣制はあくまでも国民から選ばれた衆参両院、特に首班指名において優先権を持っている衆議院の指名によって行政権の長である首相が選ばれる。国会が、行政権の長である首相の生みの親であり、その産みの親である国民から選ばれた代表である衆議院を解散するというのは、よほど厳しく内閣と野党が対立をして、その結果として不信任案が出されたり、逆に与党から信任案が出されたりして、その結果、不信任案が可決された、あるいは信任案が否決された時にのみ解散をするということを憲法は想定していたはずである。7条の3項について総理の解散権を容認しているかのような解釈をして、しかも総理にとって最も都合のよい状況で解散を恣意的にするということは、私は全く憲法違反だと思っている。

     小池氏が選挙に出るのか、出ないのかが注目されてきたが、「都知事になって間もないのに都政を放り出して国政に戻るというのはあまりにも無責任」、「都知事に専念すべきだ。」と都民の多くが思うのは当然だ。築地市場の豊洲移転の問題にしてもまだ道筋がはっきりしていない。都政に重要課題が山積している中で、本人も選挙に出るべきかどうか判断をしかねているのだろう。

     小池氏はともかく、それに乗せられた前原氏は、結果として民進党を壊したのである。両院議員総会で了承されたというのも、皆が揃って希望の党で戦うのだということで了承されたわけで、そうではないということになれば、本来から言えば、両院議員総会をもう一度開き、申し訳なかったと謝った上で代表を辞めるというのが筋である。ところが時間切れでそれもできない。未だに民進党の代表は自分だと言っている。これまたずいぶん無責任な話である。

     今回の選挙の位置付けは何なのかと問われれば、これは安倍政権の5年を総括する選挙だと言わざるを得ない。従って安倍政権が目指している日本の国家像、社会像と我々が目指しているものとは違うのだということを、野党は堂々と明示すべきである。そうしなければ政権選択の選挙にはならない。希望の党にしても野党第1党になろうとしているのなら、それを国民に示さなくてはいけない。安倍政権打倒と言いながら、理念や政策が安倍政権とどこが違うのかがはっきりしない。これでは政権選択のしようがない。

     そういう中、今回の騒動のいわば副産物のように生まれてきたのが「立憲民主党」である。立憲民主党は「立憲」という言葉を頭に付けているだけに憲法に則って政治を行う、憲法に不備があるならばそれを改正することはいとわない、しかし憲法を改正しない限り、現在の憲法を遵守するのは当然のことというスタンスである。

     そして集団的自衛権の行使は憲法に反するということを主張している人達である。自衛隊の存在を憲法に明記することは私も必要だと思っているが、集団的自衛権の行使を容認するという閣議決定を行った上で、安全保障法制をつくりかえるという今までの内閣がやらなかったことをやってしまったのだから、その上で自衛隊の存在を明記するとなると、まさに自衛隊がアメリカを守る為の集団的自衛権の行使に使われてしまうことになるわけで、結果として日本の国民を危険に晒す可能性が極めて強くなることに他ならない。そこは大事なポイントだと思うが、そのことについては、立憲民主党は極めて明快だし、その他の政策、公約はこれから明らかになってくるだろうが、今までに結集した人達の言動からみると、極めて筋の通ったものになるだろうと思う。

     これまでの安倍政権の暴走をみて危ういと感じている国民はたくさんいると思う。これを何とか正してほしいという国民の期待を受け止められる政党が残念ながら今まではっきりしなかった。今回、立憲民主党という新党が生まれたことによって、安倍政権は危ういと思っている人達の受け皿として、この政党が今回の選挙で大きく躍進してほしいと思っている。

     今の北朝鮮問題にしても、安倍首相はアメリカと相談をしながら「制裁を強める。」ということばかり言っているが、制裁を強めることは結果的に相手の反発も生まれてくる。金正恩という計り知れないようなことをやるリーダーを持っている国であり、しかもそれに対して「制裁を強める。」と言っているアメリカのトランプ氏も常識では計れないような大統領であり、そういう中でアメリカと一体となって「制裁」と言っていることは、結果的に日本が攻撃を受ける可能性をむしろ大きくしていることだと思う。

     北朝鮮問題に関しては、私は前から言っていることだが、やはりロシアの影響力が極めて大きい。金日成を擁して北朝鮮がスタートした背後で大きな影響力を持っていたのは旧ソ連、引き続きロシアになってもその影響力は続いている。ロシアのプーチン大統領が「制裁だけでは解決しない。」と言っているのは、それなりに北朝鮮情勢を熟知しているからだと思う。せっかく安倍首相がプーチン大統領と何度も会って「何でも言える間柄」と誇示しているわけだから、つい先日、ウラジオストクに行った時に、「北朝鮮の問題を平和的に解決することが日本の国民、国土を守ることになるばかりか、アジアや世界の安定の為にも不可欠なので、何とか外交交渉で解決する為にプーチン大統領に大きなリーダーシップを発揮してもらいたい。」ということをなぜ言わなかったのか。日本の総理であるならば、日本の国民、国土を守ることが第一義である。その為に最大限の外交努力をするのは当然のことではなかろうか。

     今、中東情勢をみてもロシアの影響力はきわめて大きくなっている。プーチン大統領がどういう政策を実行するかによって、北朝鮮はもとより中東情勢やヨーロッパの情勢も大きく変わってくるのである。

     アメリカは第2次世界大戦以後、世界各地に手を広げてアメリカの影響力を世界に及ぼしていこうという戦略を取ってきた。中東にもアジアにも中南米諸国にも介入していったが、ことごとく失敗している。ただ対日政策だけは長期にわたって戦略的にきちっと組み立てて実行してきた結果、唯一成功している。アメリカにとって日本ほど従順な国は他にはない。だからアメリカの総合的な国力が落ちてきている中で、アメリカの世界戦略、なかんずくアジア戦略を推進していく為に日本をどう使うかということをアメリカとしては当然考えていると思う。しかもアメリカの製造業が衰退してきた中で、兵器産業がアメリカにとって大きな力の拠りどころになっている。日本を取り巻く危険な情勢の中で、日本の防衛力強化を求めながら日本や韓国に兵器を売ろうとしているのは明らかではなかろうか。最近の動きを見ていると、アメリカの軍事戦略に日本は完全に組み込まれていると言わざるを得ない。

     日本の周囲に危険な国があるとすれば、日本の国を守る為に防衛力を強化することは必要だが、しかしその防衛力を使わないで済む環境をつくる外交努力がもっと大切なことなのである。よく「武力」という言葉を使うが、「武」という字は「戈を止める。」と書く。戈を止める力というのはあくまでも防衛力であり、他を攻めるというものではない。その思いを大切にして我が国は専守防衛を今日まで守ってきている。ところが、安倍内閣は集団的自衛権の行使を容認することによって専守防衛から一歩踏み出してしまった。そしてそのことによってかえって国民を危険に晒すことになってしまう。日本外交の一番大事なところは、日本を敵だと思う国をできる限り減らしていく努力であり、更には世界の平和な環境を構築する為に日本の存在が必要なのだと思われるような国づくりを進めていくことだと思う。スイスにしても北欧諸国にしても、平和な国際社会を維持していく為に積極的な役割を果たそうという意思を持って外交を進めている。そういう国を攻撃しようという国はどこにも生まれてこないわけで、そういう国づくりに学ぶべきだと思う。今回の選挙では、北朝鮮問題を含む安全保障政策も大きな争点になるだろう。

     この他にも社会保障政策、年金や医療等の安定と将来に対する安心を持ってもらう思いきった政策も大事になってくる。その財源問題として当然、消費税がいかにあるべきかという問題も争点になる。財政政策、金融政策についても、財政と金融が一体となっているようなことで日銀を政府の懐ろのように使っているのが現状で、これは自ずからから限界が来る。アベノミクスなるものの危うさは、今回の選挙戦を通じて大きく争点として取り上げていくべきだと思う。

     立憲民主党の枝野幸男代表は、自分もこういう政党をつくるとは全く想像していなかったと正直に語っているが、せっかく今回の騒動の中での副産物のように党が誕生したのだから、安倍政権の対抗軸となる理念、政策を今回の選挙戦で堂々と打ち出して国民の支持を集め、野党第1党として政権交代の中心的な役割を果たすことが、日本の将来の為に必要なことではないかと思っている。その躍進を祈りつつ、有権者の賢明な判断に期待をしている。

    アベノミクスの失敗と日銀の信頼回復

    2017年7月12日(水)

    カテゴリー» 政治レポート

     東京都議選が終わったが、都議選については以前このコラムで、このままいけば自民党は大幅に議席を減らすと述べた通りの結果になった。都民ファーストの会が都議会における第1党となったわけだが、これも小池百合子知事に対する期待度が今まで以上に高まったということよりも、自民党に対する不信感が相対的に都民ファーストの議席を増やしてしまったということだと思う。選挙そのもので勝利したと言えるのは、共産党と公明党である。共産党は常に一貫した政治主張をしているから、それに一定の評価があったということだろうし、また自民党がだらしがないのでこの際一貫した主張を続けている共産党に投票しようという人の声もあちこちで耳にした。その結果として順調に議席を伸ばした。一方、公明党は非常に強かさを見せつけた。評判の悪い自民党と組んでいてもとても議席が増えない、小池氏寄りに動いた方が議席が増える、小池知事も公明党候補の応援に積極的に回り、結果、候補全員が当選という公明党らしい選挙戦を展開した。

     一地方の議会の選挙とはいえ、首都東京の議会の選挙であり、国政の動きに有権者がかなり影響を受けたことは間違いない。安倍政権並びに自民党に対する信頼が相当揺らいできている。森友問題にしても加計問題にしても、国政を私物化しているのではないかという懸念を国民は持っている。そういったことを隠そうとする隠蔽体質も明らかになった。とにかく誰も責任を認めないという無責任体制が蔓延している。そこへ持ってきて、およそ国会議員としてふさわしくないような資質を持った人が次々と不祥事を起こしたり失言をしたりする。そういうことが相次いだことが都議選の結果に表れたのだと思う。

     いずれにしても国政選挙が来年の任期切れまでに行われることになるが、今まで安倍政権には色々なことがあったにしても、衆参両院で絶対多数を持っていることによる数のおごり、何でもできるのだという傲慢さがあった。集団的自衛権を容認する閣議決定をした時の強引な手法、あるいは今回のいわゆる「共謀罪」法を無理矢理通すやり方、強気の政権運営というよりは権力のおごりがはっきりと表れた。連立を組んでいる公明党は、安倍政権の支持率が高いということで、積極的な批判をしないどころか、むしろ擦り寄るような協力姿勢を示して、集団的自衛権の容認や「共謀罪」法成立に協力した。ところが都議選の結果を見て、自民党の足元を見たというか、山口代表の発言にしても、憲法改正は政権の政治課題ではないというようなことを公然と言い始めた。国政選挙は小選挙区比例代表制であり、個々の選挙区を見ていくと、自民と非自民とがかなり接戦になっているところが多い。そういう中で、公明党の協力は自民党にとっては不可欠なこと。それがわかっているだけに、これから公明党は政権の連立を組みながらも今までとは違った、自民党の足元を読んだような強気の姿勢も見えてくるのではないかという感じがする。

     私が公明党の親しい幹部に折にふれて言ってきたのは、もともと公明党という政党は、平和の党であり庶民の党であることを誇ってきたのに、そのことを忘れて安倍政権に単に協力するだけになってしまったのでは、公明党本来の存在意義がなくなるということである。公明党の党勢拡大という次元で物を言うのではなく、国民の立場を踏まえて政権内部で堂々と行動をするということになっていかないと、連立を組んでいる意味もない。果たして今まで通りの自公の選挙協力が次の選挙で実現するのかどうか、そこもかなり陰りが出てきたように感じる。直近の新聞各紙の世論調査でも内閣支持率が急激に下落して30数%となり、政権末期の数字に近づいている。

     一方で、野党第1党の民進党が都議会でも議席を減らし、その存在感が一向に大きくならない。前々から言っていることだが、今の安倍政権が目指している方向に対して、そうではないと思っている国民はたくさんいるわけだから、そういう人達の声を代弁することで初めて野党第1党の責任が果たせるのである。ところが民進党からは全くそういう姿勢が見えてこない。これでは国民からの期待感が出てこないのは当然である。旧民主党政権の失敗に国民は懲りているし、そのことを決して忘れてはいない。もうあの人達には政権を任せたくないという期待感のなさが自民党、与党を助けてきたとも言える。

     このまま安倍路線が進んでいけば、将来日本は危なくなるという危機感を持っている国民はたくさんいる。まさに今こそ、将来の社会、国民生活がいかにあるべきかを党内できちんとまとめて発信をしていかなくてはならない時なのである。民進党内に優秀な人材はいるのだから、そういう人達が党の中で激しい政策論争をすることに遠慮する必要はない。そして自分達はこういう考え方を持っているのだということを堂々と外に向かっても発信していかないと、国民の期待感は出てこない。自分の理念、政策を主張することは政治家として当然のことであり、思い切ってそういうことをやってほしいと思う。

     さて、アベノミクスは上手くいかないと私は最初から言い続けているが、結果としてその通りになってきている。いま誰もアベノミクスという言葉を使わなくなってきている。デフレを解消して景気を回復させる為に、本来であれば経済財政政策として需要、特に内需をつくり出していく政策を取らなくてはいけないのに、それをやらずに金融政策だけでデフレを解消しようとしたところにそもそも無理があった。中央銀行である日銀が物価上昇率2%という目標を掲げて、その為にジャブジャブと金融緩和を行った。黒田日銀総裁は、現在のマイナス金利の下で金利を上げ下げする政策は取りようがないので、それに代わる金融政策として、いわゆる量的緩和を続けてきたわけだが、その結果、日銀の体質が著しく劣化してしまった。

     安倍政権の評価は、円安と株高の二つによって維持されてきた。その環境を維持する為、日銀が協力し、市場から国債を大量に買い込む。国債ばかりではなく様々な債券、株式を買う。債券やETF(上場投資信託)はまだしもREIT(不動産投資信託)までどんどん買い込んでいる。その結果として、日本の大手優良企業の大株主が日銀というようなことが当たり前のようになってしまっている。日銀が保有する資産がどんどん増えて、いまやGDPを上回るような資産に膨れ上がっている。これは日本だけの現象とも言えない。日米欧の先進国すべてにおいて中央銀行が金融市場を支える構造になってしまっており、どこかで幕を引かないと大変なことになるという危機感が強く出てきている。アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)は3月と6月の2回、フェデラル・ファンドレート(FF金利)の引き上げを行った。金利を上げると同時に、資産の整理にも入り始めている。アメリカは世界最大の債務国であり、また一方で大きな貿易赤字を抱えている。トランプ大統領としてもこれを改善する為には、最終的に思い切ったドル安に持っていくしか手段がなくなってくる。そうなると当然円高になり、日本の輸出企業は大打撃を受けることは間違いない。

     景気が悪くなって株価が下がってきた時に、株価を維持する為に日銀が更に同じことを続けようとすると、日銀そのものの信頼が全くなくなってしまう。中央銀行が破綻するという状況も今のままでいけばあり得るのである。物価の安定と通貨システムの安定維持、中央銀行の信頼維持という日銀本来の役割を果たそうとすると資産の整理に向かわざるを得ない。そうなった時に国債が大暴落する。そうなると政府が予算編成すら思うように実行できなくなる事態も考えられる。そうなれば日本経済、国民生活は大混乱に陥ることになる。

     今後対外的な要因によってそういう破綻回避の為の非常措置を取らざるを得ないような状況になることも予想されるが、大混乱になる前に日銀が本来の信頼を維持していく為に段階的に資産の整理をしていく為のプログラムをきちんとつくって実行していくようなことをやらないと、非常に危険なことになると思う。

     結局、アベノミクスは何だったのかと振り返ってみると、GDPは大きくなっていないし、デフレの解消もまったくできていない。日本はかつて世界有数の経済大国だったが、いまや一人当たりGDPは世界22位、23位にまで低下している。しかもGDPが大きくなっていない中で、資産がものすごく偏在している。以前にも指摘したが、かつては一億総中流社会といわれた中間層が社会の安定勢力としてつくられていたが、小泉政権の下で竹中平蔵氏が進めた政策をそのまま受け継いだ安倍政権のいわゆるアベノミクスを推進している間にいまや2%の富裕層が20%の資産を持つ、非常に偏った格差のある国になってしまった。一部の富裕層と大企業だけが喜ぶという結果をもたらしてしまったのである。アベノミクスによる金融政策は失敗だったと認めて、それ相応の責任を取らなくてはいけないはずだが、今は全くの無責任時代になってしまっている。当然、黒田日銀総裁の責任は大きい。岩田副総裁も2%の物価上昇目標が達成できなかったら責任を取りますと就任時に公言していたのに全く知らん顔をしている。政治家も官僚も経済界もマスメディアも学者も、自分の言動に一切責任を持たないようなことが当たり前のようになってしまった。こういうことでは国民の信頼が維持されるはずがない。

     このまま放っておけば、先程指摘したような状況が海外からどっと日本に押し寄せて、日本が呑み込まれていくことになる。そうなると今度は、金融資産を中心にして資産を大きく増やしてきた富裕層にしても一挙に富を失う状況も出てくる。これは日本だけではなく、世界でも同じような現象が起こってくる。中国だってどこでどうなるかわからない。中国では1千兆円くらいあるといわれているヤミ金融のお金が動き回って何とか経済を回しているのが実態だから、極めて脆いものがある。こういう大混乱の時代に突入する時に備えて、今から日本は思い切って価値観を変えることが必要になってくると思う。何が幸せなのか、幸せな国民生活とはどういうことなのか、その原点にもう一度立ち戻って考える時が来たと思う。

     何しろマネーゲームの世界がどんどん大きくなって、実体経済を壊してしまい、世界の金融市場をはじめとしてグローバルな市場をつくる中で、富を増やした企業、富裕層は個人的な幸せを謳歌しているかもしれない。世界の大富豪8人が保有する資産が世界人口の下位の36億人の資産と同じであったり、62人の大金持ちが全世界の半分の富を持っているという歪んだ世界構造になっている。そういう中で、日本でもお金だけが唯一価値があるのだと、拝金主義が当たり前のようになってしまい、皆がお金だけを追い求めていくような流れになると、人間性がどんどん失われ、日本の良き理念であった共助共生という考え方も失われてしまう。これから世界の経済が大混乱してくる中で、日本が本来持っている共助共生の理念に基づいた新たな国づくりを皆で力を合わせてやっていくべきであり、その理念とモデルを世界に積極的に発信していくべきだと私は思っている。例えば大企業の経営にしても毎年毎年売り上げを伸ばし、利益を増やしていくことが株主に対する経営者の責任であると思っているのだろうが、たとえ売り上げは伸びなくともそこで働いている従業員や取引先、顧客達が満足できる、幸せを感じられる経営に切り替えていく時だと思う。

     政治の面でも、昭和30年(1955年)に当時の左右社会党が統一して日本社会党が発足し、それに呼応して保守合同が行われ自民党が結党されて、いわゆる55年体制といわれる二大政党時代が始まったが、その時に自民党は、いかに国民所得を増やし経済規模を大きくするかを最重要政策課題にした。社会党はいかにそれを公正・公平に分配するかに重きを置いた。そのバランスがうまく取れた結果として、本来資本主義ではつくれないはずの一億総中流社会を構築できたのである。

     我が国はそういうことをやってきた実績があるのだから、GDPを大きくするだけでなく、GDPが伸びない中でも1人1人の国民の豊かさをどうやって実感できる社会をつくるのかにもう一度重点を置き換えるべきだと思う。そういう意味では歴史的転換期にある今日こそ、多くの国民が幸せを感じられる社会を再構築する為の絶好のチャンスであり、またこのチャンスを生かしていくべきだと思う。

    政治家の見識について。

    2017年3月31日(金)

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     最近の日本の政治状況を見ていて、政治家の見識のなさをつくづく感じる。特に安倍首相はトップリーダーなのだから、自分がどういう立場にあって、どういう役割を果たさなくてはいけないのか、常に客観的に自分を見つめる目を持っていなくてはならない。ところが権力の座にあると皆が持ち上げてくれるし、中央省庁の大きな組織を背景にした巨大な行政権限を使えば何でもできると思い込んでいるようだ。どこの国でもトップリーダーになった人は、最初はそれなりの志を持って国民の為にどうやっていい政治を行うのかを考えているはずだが、次第にそういう意識が薄れて、国民の為にというより私欲を優先するようになってしまい、政権が腐敗し崩壊するといようなことを繰り返してきている。そういうことを安倍首相も知らないはずはないと思うが、やはりその自覚が足りないと言わざるを得ない。

     国会の委員会審議などでよく質問者を野次ったりしているが、極めてみっともないことである。政権を担当している立場にある人は、常に批判に晒されるのが当たり前である。その批判に耐え抜いて、自分の考えで誤っているところを正しながら国民の為に政策の実現を図るという謙虚さと、批判を敢えて受け入れる度量、器の大きさが必要だ。選挙の街頭演説で他党を批判したり自分達の政策をアピールしたりすることは戦いだから当然だが、国会の委員会審議で野党に野次を飛ばしたり、あなたの党はだからダメなのだと罵ったりすることは、今までの総理にはなかったことである。多くの国民、良識のある国民は、いかにも総理大臣は軽くなったなと思っていることだろう。

     そういうところからいわゆる脇の甘さが出てくるのだと思う。学校法人「森友学園」の問題にしても、自分が関わっていないから自信を持っているということかもしれないが、学園の籠池氏の証人喚問にしても、最初は「民間人だから慎重にすべきだ。」と与党は断っていた。ところが籠池氏から侮辱されたからなのだろうか、急遽、証人喚問をすることを決めた。疑惑を招くようなことが現実に籠池氏の周辺にあるわけだから、そういうことをどんどん暴き出して自分達は被害者なのだということを国民に印象づけようとしたのかもしれない。安倍首相は「私や妻が関わっていたのであれば、総理大臣も辞めるし国会議員も辞める。」と公言したが、このようなことは安易に言うべきではない。事実関係がきちんと明らかになった上で、自分がどうするかを判断すべきであって、このようなことを言うから余計に野党は嵩にかかって、メディアと一緒になって新しい事実をどんどん表に出そうとする。こういう混乱を招いた大きな責任は安倍首相にもある。

     「森友問題」に関して毎日新しいことが表に出てくるし、メディアはおもしろがってそれを報道しているので、泥沼に足を突っ込んでしまったような、収拾のつかない状況になりつつある。どこかで幕を引かないとどうしようもない。そこでこの際、衆議院の解散・総選挙に打って出るしかないと、首相周辺で色々取り沙汰されているようだ。確かに安倍首相にしてみれば、長期政権を狙う為に、早めに選挙をやりたいという考えは昨年来持っている。昨年暮れにロシアのプーチン大統領を地元山口県に招いたが、その時に何か成果があれば、それをもって解散したいという考えだったのだろうが思うようにいかなかった。またアメリカでトランプ新大統領が誕生し、トランプ氏との会談で何か国民が期待するようなものが得られれば選挙に持ち込みたいという考えもあっただろうが、それもできなかった。そして近づきつつある今度の東京都議会の選挙。小池知事は非常に人気が高いことから、新党をつくって小池支持の議員をできるだけたくさん作りたいと着々と手を打っている。与党の自民党と組んでいる公明党は、自民党と組んでいても分がわるいということで小池寄りに舵を切った。今の状況で都議会選挙が行われると、自民党は大幅に議席を減らすことは目に見えている。自民党は衆議院において今の小選挙区制度の下で圧倒的多数の議席を得ているが、それは言うまでもなく公明党の協力を得ているからである。その公明党が都議会選挙では自民党と離れ、国政選挙では自民党と協力することがうまくできるのか、果たして都議会選挙の後に今まで通り自公協力による総選挙ができるのかどうかは予断を許さない。一時期、同時選挙を考えている人もいたようだが、それはとてもできない話である。都議会選挙が済むとまた新しい勢力図ができてくるので、その前に選挙をやってしまいたいだろう。

     自民党の党則を変えて、先日の党大会で総裁任期の延長を決めたこともあり、安倍首相は選挙で勝って、引き続き政権を担当したいという考えを明確に持っている。小選挙区の区割りの見直しを行うことになっているので、新しい見直し案が公表されて、その周知期間を取るとなると、その間は選挙はできないということもはっきりしている。したがってその前に解散・総選挙をやってしまおうという考えが出てくるのもわからないこともない。新年度予算が成立したので、後は日切れ法案の処理を行って即解散と考えているようで、4月11日(火)告示−4月23日(日)投開票ということが囁かれている。ただ天皇陛下のご退位の道筋をどうつけるかという難しい問題があるので、それに差し障りがあってはいけないという配慮が総理周辺にはあるようだ。いずれにしても早期解散を考えると、日程はその時期しかない。果たしてこれがどうなるか、官邸の意向ということで自民党がすんなり受け入れるのかどうか、連立を組んでいる公明党がどう受け止めるのかということもある。

     そんな各党や政権の都合より、総選挙になればこれからの日本の舵取りをどうするのか、日本社会をこれからどのように再構築していくのか、与党、野党の明確な考え方が堂々と選挙で示されて、国民の選択を仰がねばならない。まさに衆議院選挙は政権選択の選挙なのである。それをいかにも「森友問題」で幕を引きたいからと、疑惑隠しのようなことで選挙を利用しようとしているのなら、全く言語道断である。権力の濫用と言われても致し方ない。確かに解散権は総理の専権事項だと言われているが、そのようなことで解散権を使うことはあまりにも国民をバカにしたことだと思う。

     逆に野党は今、「森友学園」問題に対する総理の姿勢を徹底追及して政権にダメージを与えようとしているわけだが、海外のメディアをはじめ各国も日本の大きな政治スキャンダルという捉え方をしており、日本の政治状況がどうなるかを非常に注目している。ただ、こういう状況になっているのに野党の支持率は全く伸びない。野党第一党の民進党は1桁台の支持率である。このことは野党として猛反省をしなくてはいけない。有権者は安倍政権がいいと思っているわけでもなく、自民党政権が万全だと思っているわけでもないが、今の民進党に比べればまだましだという不毛の選択をしているようだ。野党第一党の民進党に政権を任せられないという国民の意思が支持率調査の上で明確に表れているわけで、一体これはどういうことなのか、民進党はしっかりと考えなくてはいけない時だと思う。自分達が政権を再び担当する立場を国民から委ねられた時には、こういう国や社会をつくります、国民生活はこう変えていきますという、将来に向かって国民に期待感を抱かせるだけの政治理念と基本政策を示さなければ政権を獲れるはずがない。いつまで経っても民進党としてそれを国民に明示することができないところに、支持率が上昇しない大きな原因があると思う。

     アメリカでトランプ政権が実現した背景は申し上げるまでもなく、一部の人達だけが豊かになるような政治を続けられたのでは自分たちは幸せになれないという国民の悲痛な叫びが大きくなっていたことである。アメリカはもともと1%の少数の人が大半の富を独占するような著しい格差のある社会だが、近年更にその格差が拡大してしまった。アメリカを健全に支えていたような人達が雇用の場を失ない、家庭も崩壊し、住む家もなくなるということがどんどん深刻化しているのである。

     かつて日本では多くの国民が、自分は決して金持ちではないが、それほど貧しいわけでもないという、中間層意識を持っていた。多くの国民が中間層に集約されていく、いわゆる一億総中流社会を長く続いた自民党政権の下で野党の政策もうまく取り入れながら構築したのである。今、他の先進国が目指している社会を日本は既につくっていたのに、それを小泉政権以降の政権がわざわざ壊してしまった。今、日本においても2%の富裕層が20%の国民の資産を占有するという歪んだ社会構造になってしまっている。健全な中間層があって初めて社会は安定をするし、大きな消費も生まれるし、経済力も大きくなっていく。以前から主張していることだが、一部の人達が富を占有する社会ではなく、多くの人達がそこそこの消費力を持って、それぞれの夢を実現できるような社会を目指していくことが日本にとって一番大切なことだと思う。将来に夢も希望も描けないから色々な犯罪が増えてくるし、皆が無気力になり、自分の生活のことだけを考えるので精一杯ということになってしまう。これはまさに政治の責任だと思う。小泉政権以降の自民党政権が間違った政策を実行してきたから、色々なところに歪みが出てきて、日本の良さが失われつつある。中間層をもう一度見つめ直して一億総中流社会を再構築する。そこに野党は大きな理念、政策の柱を立てるべきである。

     同時に、日本の国民生活は世界全体を基盤にして成り立っているのだから、できる限り日本を敵視する国を少なくする。敵を作らない外交政策が何よりも重要である。それが日本の安全保障につながっていくのだと思う。南スーダンへの自衛隊の派遣の問題にしても、政府は「戦闘状態ではない。」ということを強調しながら自衛隊を派遣したが、実際には戦闘状態と認めざるを得ない状況になっている。だから撤退をするのだと堂々と言えばいいのに、これも「戦闘ではない。」と言うばかりで、「一定のけじめがついたから撤退をする。」と言い訳めいたことを言っている。繰り返しになるが、日本はできる限り、他の国から敵視されない外交を展開して国際社会に貢献するという本来の道を見出していくべきである。

     それともう一つはバランスの取れた国土の使い方である。東京一極集中がますます進み、地方が衰退を続けている状況である。地方の定住人口が減って、高齢化が進んでいけばいくほど自然環境は壊されていく。それぞれの地域の人達が自然と共生をしながら美しい国土を作り上げてきたのだから、それぞれの地方に若い人達が喜んで定住できるような国土政策を断行しなくてはいけない。その国土政策を経済の論理で論じようとするから間違えるのである。地方創生とかふるさと創生とか言いながら、意欲的に知恵を出してくるような地域に集中的な投資をしようとするが、これはまさに競争政策であり、国土政策に競争原理を持ち込むのは政治の怠慢だと思う。政治は経済の流れにただ従うのではなく、経済を主導しなくてはいけない。経済の論理に基づいて地方創生やふるさと創生をやればますます地域差が拡大してしまう。やはり日本全体としてどういう国土を形成するのかという国土計画をつくり、それを実現する為の公共投資を思い切って実行するべきだし、それと合わせて民間の投資を誘導していくような政策も必要になってくると思う。東京に集中している企業を分散化する為には、思い切った税制改革が必要であり、国税、地方税の見直しを大胆に考えていくべきだろう。また大企業でも営業機能は人口の多い大都市に置かざるを得ないだろうが、研究・調査部門や経理部門などは社会のIT化が進んでいる中で地方に移しても特に不都合なことはない。政治がリーダーシップをとって、そういった企業に対して税制上の優遇措置を講じるようなことを思い切って実行していくべきだと思う。

     地方交付税にしても、国税を地方に配分するという中央省庁主導のやり方になっているが、これも抜本的に変える必要がある。当然、地方に大胆な権限委譲が行われれば地方の責任もまた非常に大きくなっていく。自治体の責任者の資質も改めて問われることになるが、仕組みが大きく変わっていけば必ずそれにふさわしい人材が出てくるはずだ。そのことを期待して思い切った改革をやるべきだと思う。また税制に関して言えば、法人税の税率を下げることと消費税を上げることがセットになって行われてきているが、法人税の税率を下げても、収益を得た大企業が内部留保を増やすばかりで、従業員の所得に還元したり、あるいは国内の設備投資を行ったりするという流れはほとんど生まれてきていない。従って法人税の税率の引き下げをやることよりも、中間層をもう一度再構築していく為にも思い切った所得減税を行って、少しでも中間所得層の可処分所得を増やすべきだと思う。

     今トランプ大統領がやろうとしていることが、それなりにアメリカの国民に受け入れられるのは当然だと思う。所得減税も実行しようとしているし、失われた雇用を取り戻すことも、集中的な公共投資についても強調している。メディアはトランプ氏のことを一斉に批判しているが、アメリカ社会と日本社会では単純に比較はできないにしても、やはり日本でやるべき重要な政策のヒントはあるわけで、いいものは取り入れていくべきだと思う。

     世界が混迷の度合いを深めている。ヨーロッパも次第に分断されつつある。イギリスのEU離脱もいよいよ正式に交渉が始まろうとしている。オランダの選挙で極右政党が過半数を取ることは辛うじて回避されたが、4〜5月に行われるフランスの大統領選挙はどうなるのか、更に秋のドイツの総選挙はどうなるのか。ヨーロッパもバラバラになるような方向に向かいつつある。中東は言うまでもなく大変な混乱状況が続いている。

     こういう混迷の時代に、それぞれの国に優れたリーダーシップを発揮できる政治家が存在することが極めて大事なことである。政治家のリーダーシップとそれを裏づける志と見識の高さを、皆が改めて考えなくてはいけない時ではないかと思う。

    2017年を展望して

    2016年12月29日(木)

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     アメリカで次期大統領にトランプ氏が選ばれたことは、まさにアメリカ社会の行き詰まりを象徴している。トランプ氏は選挙に勝たなくてはいけないから、選挙戦でずいぶん極端なことを言っていたが、アメリカを実際に動かしている従来からの水面下の力がなくなっているわけではない。外交評議会をはじめとして、そういった力がトランプ政権に対して強く及んでいくことは間違いない。最近、発表されている人事を見ても、選挙中に強く攻撃していた金融界や石油業界から人材を登用しており、既存勢力との話し合いが進んでいるように見える。

     また、連邦準備制度にトランプ氏は挑戦的なことを言っていたが、FRBの仕組みに手を入れることは政治的に極めて危険なことであり、なかなか思い通りにはできないだろう。選挙では極端なことを言って勝ったけれど、かなりバランスの取れた政策を実行せざるを得ないだろう。ただ言えることは、外交や国際的な安全保障ということより、トランプ氏を支持した多くの有権者の期待に応えていく為にも、アメリカの経済を再生し、雇用の場を増やし、所得を増やすことに最優先で取り組むことになってくると思う。

     従来から私は言ってきていることだが、ロシアの存在感はますます大きくなってくるだろう。中東情勢もロシアがどう動くかで方向が決まることになりつつある。ヨーロッパの主要な国々もロシアとうまく連携しないとやっていけない状況になってきている。国内基盤がますます安定してきているプーチン氏が自信満々で色々な手を打ってくることになると思う。以前、このコラムでも若干触れたが、プーチン氏はアメリカとヨーロッパを分断しながらEUの連携にくさびを打ち込み、ヨーロッパの求心力を弱めて、ロシア主導で西ヨーロッパからロシアを経て日本海に至る大ユーラシア経済圏のようなものを構築する野望を持っているのではないだろうか。今度の北方4島における日本との経済協力もその一環ではないかと私には見える。

     そういう流れを見ていくと、今は日米関係で言えばドル高・株高になっているが、もう少し長期的に展望するとドル安・株安になってくるように見える。アメリカも製造業を再構築するということになってくると、アメリカの製造業が製品を国内向けばかりではなく、海外に輸出することで収益を得るとすればドル安が良いに決まっている。トランプ氏の政策が顕在化してくると、自ずからドル安になってくるだろう。

     グローバル経済は国境を越えて動き回る巨額のお金と情報によって、それをうまく利用した人達はますます富を蓄え、アメリカでは1%の富裕層が9割の富を占有していると言われるが、世界的に見ても62人の大富豪が世界の富の半分を持っているという極端な社会になっている。竹中平蔵氏がよく言っていた「トリクルダウン」現象は起こるはずがない。飽くなき利益の追求、富を増やすことへの執着によって、ますます一部の人達が富を蓄えるだろうが、その富がしたたり落ちることはなく、多くの人々の貧困化が加速することになってしまう。資本主義が無秩序に進むと必ずそうなるわけで、それに対して共産革命を起こさなくてはダメだというのがマルクスやレーニンの考えだった。その共産主義社会がうまくいかないということが証明されて、ソ連が崩壊したはずなのだが、その後のインターネットの普及や金融のグローバル化によって資本主義社会が行き着くところまで来てしまったということかもしれない。

     最近の各国の政治的な動きを見ていると、既存の政党や国家機関に対する信用が全くなくなって、賞味期限、使用期限が過ぎたというか、今の時代に全て合わなくなってきた。その結果、想像もしないような政治状況が出てくる。イタリアでも「五つ星運動」が力を強めている中で、来年選挙が行われる。フランスも極右政党の動きが活発になっている。ドイツもメルケル首相の指導力に限界が来ている状況である。

     まさに後世の人が今の時代を振り返った時に、インターネットが世界を変えたと言うだろう。そのいわば始まりになっているのではないかと思う。インターネットは使い方によっては確かに便利なものだが、極めて危険な部分もある。情報があっという間に世界中を駆け巡る。そのことによって国境を越えて人間の意識が変わってしまう。そういう中で各国がこれから様々な模索を続けながら、社会をなんとか再構築しようとしていくことにならざるを得ない。私はやはりここで根源的な人間の価値観、何の為に人間は生きているのか、人間の幸せは一体何なのか、そういう根源的なことをもう一度しっかり考え直していく時期が来たと思う。そうした価値観を捉えた人達が住んでいる地域、決してそれほど豊かではないけれど、その地域に住んでいることが幸せなのだというように思える人達が健全に育ってくることが一番大事なことだと思う。

     今、インターネットやスマートフォンに踊らされ、自分では掴めるはずのないようなものを一生懸命追い求めたりして、そういう中でどうしようもない挫折感を味わったりする。スマホで情報に振り回され、ゲームに明け暮れているうちにますます一人一人の人間が孤立感、疎外感を深め、起こってはならないような犯罪が続発するような社会になってくる。人間が幸せになる為に考えたはずの様々なテクノロジーが人間をどんどん不幸にしていくということになりつつある。

     長い歴史を通じて、人間はお互いに支え合い、助け合って生きていくものだとごく自然に信じてきたのが日本である。恵まれた自然環境の中でもう一度共助・共生の社会を全国どこの地域においても改めて構築していく方向に向かえば、経済的な発展のスピードが少々スローダウンしても決してそれだけで不幸せになるとは思えない。要はここでみんながもう一度立ち止まって、本当に生き甲斐や幸せを感じられる社会をつくろうという動きが出てくることに期待をするし、私は日本であればそれができると信じている。まさに今こそ日本の出番が来たのではないかと思う。