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    議会政治の危機

    2011年12月6日(火)

    カテゴリー» 政治レポート

     先の大阪市長選挙・大阪府知事選挙で橋下徹氏、松井一郎氏のコンビが圧勝した。橋下氏の個性的かつ独特のパフォーマンスが大阪の市民に受け入れられたことが大きいと思うが、各政党が推薦した人達は全く歯が立たなかった。このことは政党の信頼が失われてきていることを象徴的に表していると思う。政党がもっとしっかりしていた時代は、地方選挙にしても国政選挙にしても、既存政党の公認なり推薦を受けるということは選挙民に対する一つの信用の裏付けになり、それが当然のことのようになっていた。最近は政党離れが進んできて、支持政党なしの人達が第1党の支持者を遥かに上回る状況が続いている。これは政党政治の最大の危機であり、このまま行くと政党政治が終焉を迎える可能性も出てきていると思う。非常に恐ろしいことである。

     政党は何の為にあるのかというと、こういう社会を作りたい、こういう国を作りたいという理想を持った人達が集まって、その理想を実現する為に作られてきたのであり、その政党が自分達の目的を達成する為には議会を通じて実現を図るということがずっと定着してきた。議会は言ってみれば代議政治、国民が自分達の代表を選んで、その代表に政治を委ねることによって自分達の考えを実現していく。また政党の掲げている理念や政策に共鳴をした人達が政党に投票し、政党を育ててきた。

     政党離れがどんどん進んでいくと、最終的には代議政治の否定になってくる。つまり代議政治は何の意味もない、政党は自分達の考え方を実現してくれる可能性はないのだと、政党に見切りをつけるという状況が生まれてくる。これは結果的に議会政治の形骸化を招き、議会政治が全く国民と遊離したところでただ動いているということになって、益々議会政治が形骸化してくる。

     第二次世界大戦の前に軍部が力を持って台頭し、その軍部の力を抑えるのは政治の役割だったが、政党が全く機能を失ってしまい、政治が軍部の暴走を抑えることができなくなってしまった。結局、政党が自ら解散し大政翼賛会という大きな一つの政治勢力にまとまってしまった。その大政翼賛会がズルズル引きずられて戦争へと向かってしまった。それと似たような状況が生まれる可能性が極めて大きくなってきたように感じる。

     経済も財政も悪化していく中で、将来に対する不安が益々大きくなってきている。今、政府与党は社会保障と税の一体改革を推し進めようとしているが、国民からすれば民意を十分踏まえてやっているようには見えない。野田政権は特に財務省主導政権であり、消費税の増税を決めることを最優先の課題に位置付けている。財政健全化はもちろん大事だと思うけれど、国民生活の為に財政はあるのであって、財政健全化の為に国民生活が犠牲になってよいということではない。こういうことを見ても、益々現政権に対する国民の信頼はなくなってきている。また一方で、野党第一党の自民党にしても民主党を批判するのならば、自民党はこういう国や社会を作ろうとしているのだという将来像を明確に示していかなければ、国民からの期待が大きくなるはずはない。

     小泉元首相が竹中平蔵とともに構造改革を進めたという点で、小泉政治の性格ははっきりしていたが、私は小泉・竹中政策が決して成功したとは思っていない。日本の国力はどんどん低下する一方で、国民生活は益々苦しくなり、国際的な立場も益々弱まっている。小泉・竹中政治は日本や国民にとって悪い結果だけを残してしまった。ところが自民党は未だにその流れを継承している。また、小泉・竹中路線を継承する自民党に代わって新たな政権を作ってほしいとの国民の期待感から政権交代が行われたのに、民主党がどんどん小泉・竹中路線に近寄っていっている。対米従属路線、官僚主導路線、更に大企業がすべて悪いとは言えないが、あまりにも大企業の利益優先で中小零細企業を軽視したような政策が目立っている。自民党も民主党も頼りにならならい、かといってそれに代わる政党が大きな支持を得ているかというと決してそうではない。このまま行くと政党政治が終わってしまう。政党政治が終わるということは、議会政治が否定されることに他ならない。

     橋下氏も名古屋市の河村たかし市長も同じだが、郵政選挙で成功した小泉元首相に倣い、一つのテーマを決めて住民投票的な選挙をやる。このように大事なことはすべて住民投票、国民投票で決めましょうというのは代議政治の否定であり、直接民主政治に返る道につながっていく。過去の歴史を振り返ってみても、直接民主政治で成功した例は少なく、独裁政治を生み出す危険性がある。世論を巧みに操作して、自分の独裁的な立場を強めて強力な政権を作るというのはヒトラーやムッソリーニによって既に実証されている。今、政治も経済も社会もすべてが混迷している状況の中で、誰か強力なリーダーシップを持った人が出てきて思い切ったことをやってほしいという期待感が確かにあるが、そこをうまく捉えて独裁的な人が出てくるのは非常に恐いことである。

     歴史上有名な独裁者も最初は自分の夢や理想も持っていたと思うが、一旦独裁的な立場に立つと国民を犠牲にして自己保身を考えるようになり、最後には国民の為にならない政治をやってしまい、惨めな結末を迎えることになる。その反省の上に長い期間を経て現在の代議政治、議会政治が生まれてきたはずである。今は議会制民主政治が一番優れた政治システムであるとの合意があるから、各国ともそういう形をとっている。議会制民主政治は独裁政治にはなりにくい。しかし、その代わりにそれを動かしていく為の手間と暇がかかる。国民からすると非常にまどろっこしいとの思いはあるけれど、間違いが少ない。完全なものではないけれど、間違いが少ないから多くの国々が議会制民主政治を続けてきたのだと思う。

     一番大事なことはそれを形骸化させないことである。その為にはリーダーたらんとする人が時代の先を見る力、過去の歴史をよく勉強して将来に対する予見力、先見力を持つことが非常に大事だと思う。もう一つは、政党とは本来どういう役割を果たすべきなのか、もう一度既存政党の人達が原点に返ってよく考え、きちっとした理念、政策を表に出して実行していくことである。更に政党によい人材を集めることも重要である。小選挙区比例代表並立制の導入以来、政治家の質が低下してきていることは否めない。もちろん中には素晴らしい人もいるが、やはり一人一人の国会議員がもっともっと勉強して、政党に所属している議員の質がもっとよくなってくれば、政党に対する信頼も自ずから戻ってくるだろう。

     今、橋下人気に便乗したいという流れが出てきている。既存政党が橋下人気の中でうまく連携して、自分達の人気を回復させたいと考えているようであるが、これはあまりにもお粗末と言わざるを得ない。そういう発想を持つこと自体が大きな間違いだと思う。そういう姿を見せることがまた更に政党に対する信頼をなくし、政党政治を終わらせる流れを加速させることになってしまう。

     私は本当の日本の危機はどこにあるのかを真剣に考えないと大変なことになりはしないかの思いを益々強めている。政党をはじめ、国会議員や地方議員にも猛省を促したいと思う。

    国土政策について。

    2011年10月26日(水)

    カテゴリー» 政治レポート

     野田政権がスタートしてから2ヶ月になるが、最近は増税とTPP(環太平洋経済連携協定)の2つの課題に関心が集中しているようである。

     TPPについては次の機会に詳しく述べたいと思うが、日本が主導して進めようとしたものではなく、アメリカからの強烈な圧力によって参加するべきかどうかを決めなくてはいけないというように見える。

     こういう国際的な枠組作りというのは、あくまでも主導権を持っているところが得るものを得る。結論先にありきではなく、日本の為に役に立つのか立たないのかをあらゆる角度から十分に議論しなければならない。早く乗らなくてはいけないと推進派の人達はしきりに言うけれど、そんな必要は全くないと私は思っている。

     さて、増税に関してだが、野田内閣は東日本大震災の復興が最大の課題であるとして政権をスタートさせた。確かにその通りだと思うが、もともと菅内閣の時に最初から大きな補正予算を組むべきだと国民新党が主張したのに、それを受け入れず小さな規模の補正予算を組み、すぐに第二次補正予算を組まざるを得なくなり、更に本格的な補正ということで第三次補正予算を組むという、全く泥縄式のやり方を言わざるを得ない。国民新党が主張した通りに最初からやっていれば、もっと早く震災復興が緒に就いたのではないかと思う。

     補正予算が相当の規模のものになり、それをすべて税外収入で賄うのは不可能なので、財務省はこの際に何としても増税しようとしている。そして震災復興を大義名分にして財政立て直しの為の増税路線を明確にしていきたいというのが財務省の本音だと思う。

     当面、復興財源は復興債で賄わざるを得ないことになるが、その復興債は今すぐに返さなくてはいけないということではなく、何年物の債券を出すかによっても違ってくる。今、公明党の意見を採り入れて10年から15年で償還と言っているけれど、建設国債(60年)のようにもっと長くても構わない。要は増税ではなく税の自然増収が出てくるような積極的な政策を取ることによって、償還財源を作り出すことが今一番大事なのではないだろうか。

     デフレが未だに解消していない状況にある。これは明らかに小泉政権の時に、竹中平蔵氏がとった政策の失敗によるものだ。需給バランスが供給過剰になっている状況を是正するのに、供給を抑えることだけを考えて緊縮財政を続け、需要を増やす政策を実行しなかったから経済は縮小均衡の方向に向かってしまった。従ってGDPも増えないし税収も増えない。益々悪循環に陥って今日の状況になっている。

     当面の課題は震災復興であることに異論はないが、やはり政治はもっと長期的に未来を展望し、日本をどういう国にするのか、リーダーとして目指すべき国家像を明確に示すとともに、それを実現していく為の戦略をたてることが大事だと思う。

     バブル崩壊以降、失われた20年と言われているが、この間、思い切った経済政策、国土政策が欠如した為に日本の国力がどんどん弱くなってしまった。残念ながら今や日本はアジアにおける物流の拠点国家ではないし、情報・金融の拠点国家でもなくなっている。なぜかと言えば、海外から日本を見た時に魅力がなくなってきているからである。「日本で事業をやりたい。」、「日本に投資をしたい。」、「日本に遊びに行きたい。」、そういう魅力がまた戻ってくるような積極的な経済政策、国土政策が必要だと思う。

     特に国土政策について小泉内閣以降の歴代の総理は全く関心を示していない。戦後、全国総合開発計画(全総)が策定され、それに基づいて日本の国土は充実、発展してきた。全総の理念である「均衡ある国づくり」に象徴される国土を作ろうとしてきた。

     10年前に私はそのことで竹中氏と議論したことがある。竹中氏は「国土政策の目指すべき理念を均衡ある国づくりとした為に、全国どこへ行っても同じような地域ばかりになってしまった。だからその理念を変えなくてはいけない。」ということを主張された。それに対して私は真っ向から反論した。私どもは全国同じような地域を作ることを「均衡ある国づくり」と言ったわけではない。37万平方キロメートルに及ぶ広い国土をもっとバランスよく使うという意味でこの言葉を使ったのだが、竹中氏はこの考え方を否定して経済の論理、言い換えれば競争原理を国土政策の中心理念にされたのである。そして地域の個性が全部違うのだから、その個性を生かした地域間競争を激しく行うことによって活力のある国を作るべきだと強く主張された。

     地域の個性が異なっていることは言うまでもないが、競争原理だけで国土政策を割り切ることは間違いだと思う。もともと日本は明治以前の藩政時代には地方分権のシステムで動いていたし、それぞれの地域に個性のある文化が根付いていた。しかも美しい自然と人間とがうまく調和しながら素晴らしい生活様式を作ってきた。これは世界に誇るべき日本のよさであり、その姿をもう一度取り戻さなくてはいけない。

     明治以降、近代国家への発展を急ぐ為に中央集権体制を整え、産業振興なども国策で思い切って行った結果、日本が急速に大きな国力を持ったことは間違いないが、その一方で人口が都市集中になってしまうという欠点が表れ、地方の衰退を招いてきた。更に戦後復興も首都圏をはじめとする大都市圏が中心となって経済を引っ張ってきた。その結果、太平洋側の三大都市圏に人口が集中しすぎてしまい、過疎地域は益々人口減少と少子高齢化が進んでしまっている。

     1970年に「過疎地域対策緊急措置法」が10年の時限立法で制定され、その後「過疎地域振興特別措置法」、「過疎地域活性化特別措置法」、2000年からは私もその理念づくりに深く関わった「過疎地域自立促進特別措置法」として変遷、同特措法は昨年4月に6年間延長することが決まり今日に至っている。

     今、過疎法の指定を受けた市町村は、全市町村の約4割だが、面積では全国土の半分以上である。三大都市圏に日本の人口の半分近くが集中し、面積で半分以上を占める過疎地域に人口の1割くらいしかいない。そういうバランスを欠いた国土になってしまったわけである。日本の美しい国土をもっとバランスよく使うことは、国力を強くしていく為にも非常に大事なことである。

     国土のあるべき姿を明確に示した上で、それを達成していく為の戦略的なプロジェクトが必要なのだが、ここ10年余りの間、政治指導者は全くそのことに無関心である。その結果、地方の衰退が続き、国力がどんどん低下してしまった。結局のところ、競争原理を入れてはいけないところまですべて入れてしまったことで、まさに失われた20年にしてしまったのである。

     やはり長期的な国づくりのビジョンと、それを実現する為の戦略的な国家プロジェクトをきちんと示すことが、活力ある国づくりの為に不可欠だと思う。ここは一度立ち止まって政治家も国民も「今何をやらなければいけないのか。」、しっかりと考えなくてはいけない時だと思う。

    政治レポート「増税について。」へのご意見

    2011年10月15日(土)

    カテゴリー» その他のお知らせ

     先日9月21日(水)付の政治レポート、「増税について。」の中で、私が財務省の増税路線を支持するかのような姿勢を示しているのは、国民新党の顧問としていかがなものかと厳しい批判が寄せられましたので、ご本人には直接メールにて返信致しましたが、その内容を私の意見として掲載しておきます。


     貴兄のご意見拝読致しました。 経済、財政についての基本認識は貴兄と私は同じだと思います。 私は財務省は財政を担当する官庁であって、経済を担当する官庁ではないという当たり前のことを述べたのであって、財務省の誤った増税路線を肯定したのではありません。 財政規律のみにとらわれる財務省に対し、首相と財務相が強い指導力を発揮してその主張を退け、小泉内閣以来の誤った経済財政政策の大転換を図り、積極的な財政出動と思い切った所得減税によって国民の雇用と消費を増やし、内需を拡大しない限り景気回復もデフレ解消も実現できないというのが私の一貫した主張であります。 小泉内閣以降、歴代内閣はデフレの解消を大きな課題として示しながら財務省に引きずられて「財政あって経済なし」の政策を続けた為に、個人消費や設備投資が減少し、結果としてGDPが少なくなり、税収が減ってそれを補う為の国債の増発により財政はますます悪化してしまいました。 財務省主導の誤った緊縮財政と増税路線を抑え込んで、積極的な経済財政政策により内需を拡大しない限り、デフレは克服できないし、財政再建も実現できないというのが国民新党の主張であり、私もそのことをずっと主張してきました。小泉、安倍、福田、麻生という歴代自民党内閣の下で開かれた衆議院の予算委員会における私の基本質疑の議事録をお読みいただければ、私の考え方をご理解いただけると思います。 麻生内閣における予算委員会で当時の与謝野財務相兼経済財政担当相に対し、私はアメリカのクリントン政権の経済財政政策を取り上げてそれに学ぶべきだと問いかけました。クリントン氏がブッシュ前大統領から政権を引き継いだ時、アメリカは巨額の財政赤字と貿易赤字、いわゆる双子の赤字を抱えており、その解決を迫られていました。日本の財務省の常識では、ここで徹底した緊縮財政と増税を考えるのでしょうが、クリントン大統領は全くその逆の政策をとりました。国民の可処分所得を増やす為に所得減税を断行するとともに、必要な公共事業を実行する為に思い切った財政支出を行ったのです。その結果、財政は一時更に悪化しましたが、その後政策の効果が表れ、国民の雇用と消費が拡大したことによって経済は急速に立ち直り、見事に成長路線に乗った為に5年間で巨額の財政赤字を解消してしまったのです。

     私はそのクリントン政策に学ぶべきだと与謝野氏に問いかけましたが、与謝野氏は私との論争を避け、アメリカの例は日本の参考にはならないと言って逃げてしまいました。その与謝野氏を菅前首相は経済財政担当相に起用したのですから、民主党政権になっても未だにデフレの解消も景気回復も実現できないのは当然です。

     今何よりも必要なのは、まさに官僚主導から政治主導へという言葉通り、政治の強い指導力であります。

     なお、国の債務を粗債務ではなく、純債務で評価すべきであること、我が国は外国から借金している債務国ではなく、対外純資産が世界一の債権国であること、国債の9割以上が国内で引き受けられていること等についても、私は過去の予算委員会で指摘しております。

    増税について。

    2011年9月21日(水)

    カテゴリー» 政治レポート

     東日本大震災の復興財源をどう捻出するかが当面の課題になっている。スタートしたばかりの野田政権は、そのことについて財務省路線に完全に乗ってしまっている。財務省は現在の財政収支の帳尻を合わせたいと常に考えるものだから、復興に必要な財源をどう求めるかという議論の中で増税を考えざるを得ない。財政当局は財政に責任を持っているわけだから、財政が悪化していくことに対して常に警鐘を鳴らすのは当然のことである。財政再建が財務省にとって最大の課題であり、そのことをもって財務省の姿勢が間違っているとは思わない。ただ財政再建はもちろん大事だが、政権はその時の国民生活に対して責任を持たなくてはならないのであり、そのことから政策の優先順位を考えなくてはいけない。その優先順位を検討し、決めることがまさに政治なのである。

     小泉政権が行き過ぎた市場原理主義、競争原理を日本の社会のあらゆる分野に入れてしまい、共助・共生の理念に基づく日本の社会を壊してしまったことは明らかに間違いであると、私は言い続けてきた。ただ小泉・竹中両氏の明確な意思を大胆に打ち出して実行していくという意味では政治主導の政権だったと言える。ところが小泉政権以降の今日までの政権は、全く政治主導とは言えない。民主党は「官僚主導から政治主導へ」と国民に問いかけて政権交代を実現させたが、鳩山内閣、菅内閣を通じて決して政治主導とは言えず、逆に官僚の力が徐々に強くなりつつある。

     菅前首相が鳩山政権スタート時に国家戦略担当の副総理だった時は、政治主導に強い意欲があったと思うが、その後財務大臣になって、財政の現状を財務省から徹底的に教え込まれ、財務省の路線に乗っていくことになってしまった。その後菅政権において財務大臣を務めた野田佳彦氏が新首相になったが、まさに財務省路線に乗った中で野田内閣がスタートしたように思う。政治が一番大切にしなくてはならない「国を豊かにし、国民を豊かにする。」という目的を忘れてしまい、財政再建だけを目的としてしまう。これは非常に恐ろしいことだと思う。

     今やマスコミを巻き込んで増税の大合唱になりつつあるが、現在の国民生活の落ち込みや国力の低下を考えた時、財政当局を抑え込んでも、その前にもっとやるべき大胆な経済政策があるはずである。ところが現在、政権そのものが実体経済を力強くすることを忘れて、実体経済を離れたマネーゲームの世界に入ってしまっているように思う。財務省路線に乗っていくことで必然的に数字の辻褄合わせにばかり目が行ってしまい、まさに悪循環が起きているのだ。

     長い間、的確な景気対策、デフレ対策を講じてこなかった為に税収が落ち込んでいる。GDP(国内総生産)の6割以上を占める個人消費が落ち込んだきり回復しない。企業の設備投資も減っている。個人消費と設備投資が減っていけばGDPが小さくなるのは当たり前で当然税収も落ちてくる。1990年に約61兆円あった国税収入が約40兆円にまで減ってしまった。20兆円の税収を消費税で求めようとすれば8%分に当たる。それほどの税収が的確な景気対策を取らなかった為になくなってしまっているのだ。

     一方で小泉内閣時代の2002年10月末から2004年3月までに、約41兆円の為替介入をやった。この間の米ドルレートは平均114円だったが、一時期は124円まで円安になっていた。そういう時にドルを売っていれば為替差損は出なかったが、上昇局面においても日本政府はドルを全く売らなかった。更に2007年〜2011年のわずか4年の間に約45兆円の為替差損を出している。今年8月にも野田財務大臣の下で約4.5兆円の為替介入を実施したが、既に1,000億円以上為替差損が出ている。本来民間の会社であれば、巨額の為替差損を出したらその責任者は責任を取らされるのが当然だが、国民にこれほど大きな損失を与えても政府はそれを明らかにせず、知らん顔をしている。

     野田首相は財務大臣の頃に、行き過ぎた円高について断固たる措置を取るとしきりに言っていた。行き過ぎた円高とは一体どういうことなのか。今、物価の上昇率はアメリカと日本とでは約3%の差がある。アメリカの物価上昇率が平均で日本より3%高いとなれば、当然アメリカ経済よりも日本経済の方が安定していると客観的に見られる。

     アメリカが本格的な経済対策を実行して、経済の体質が強化され、経済が好転してくるようになれば、円高の状況も変わってくるだろうが、緊縮財政をやらざるを得なくなっている中で的確な景気対策をやろうとしても難しいことがわかっているから、ドルはまだ立ち直らないと市場関係者は見ているのである。アメリカ経済が本格的に改善されない限り、いくら日本政府が単独で為替介入しても円高基調は変わらないし、こういう状況で市場介入しても為替差損が出るだけだと思う。それだけドルを買う資金があるのならば、それこそ復興財源に回せばよい。そもそも40兆円もの為替差損を出しておきながら、復興財源を増税で賄おうという考え方そのものが間違っている。

     また民間の金融機関も日本の実体経済を強くし、民間の企業を育て、日本の国を豊かにするという本来の役割を忘れて、自らの商売さえうまくいけばいいと、まさにマネーゲームを続けている。多くの国民の可処分所得が減っているにも関わらず、先行きの所得や雇用の不安から少しでも消費支出を抑えて預金に回そうとする心理が働き、国内銀行の個人預金残高は過去最高に増え、現在約191兆円に達している。ところが民間銀行の貸出金は逆に減っており、一方で国債の保有残高が10年余りの間に約5倍の154兆円に膨らんでいる。結果として、日本の国債が順調に消化されているから財政面では助かっているように見えるが、逆にそのことが円高要因の一つになっており、悪循環が拡大している。

     政治が常に考えなければいけないのは、国民の生活をいかに豊かにし、国力をいかに強くしていくかということであり、そこに政治がもっと大胆に踏み込んで、的確な政策を打ち出していかなくてはならないと思う。

    民主党の代表選について。

    2011年8月26日(金)

    カテゴリー» 政治レポート

     菅首相がようやく退陣を決意し、いよいよ民主党の代表選が行われることになった。本命が不在の中で多数の候補が乱立することになったが、誰が選ばれたとしても大きな期待はできないというのが多くの国民の実感ではなかろうか。

     時間との競争とも言える原発事故の処理と、東日本大震災の復興に取り組まねばならないのは当然であるが、経済、財政、金融、外交、安全保障、社会保障等、国の基本政策に関わる課題が山積しており、その解決を図ることも急務である。

     しかしながら、敗戦後最大の困難に直面している今日、どの候補者からもこのような厳しい状況下でトップリーダーたらんとする強い志と気迫は感じられない。権力欲と自己顕示欲のみが目立つばかりで、これからどのような社会、どのような国家をつくろうとするのかという確固たるビジョンを誰も示そうとはしない。これでは国民の期待感が生まれてこないのは当然である。

     そもそも一昨年の総選挙において多くの国民は、長期にわたって政権を担当してきた自民党の旧態依然とした体質と、小泉政権以来の誤った政策を続けるのでは、これからの我が国の舵取りを任せられないということから政権交代を求め、それを実現させたのだと思う。ところがその後の民主党が何の為に国民が政権交代を求めたのかという原点を忘れ、日々の出来事の対応に追われて右往左往している姿を見て、国民は失望し、更には呆れてしまった結果、内閣や民主党の支持率は急速に下がってしまった。

     小泉政権が竹中平蔵氏を中心にして推進した、いわゆる構造改革は日本の社会のあらゆる分野に競争原理を導入するものであったが、その結果、富裕層と中間所得層や貧困層との所得格差、大都市と地方との地域格差等、様々な格差が拡大し、我が国本来の共助、共生の理念に基づく温かみのある社会が、勝ち組と負け組が峻別されるという冷たい社会に変えられていった。

     更には圧倒的多数であった中間所得層の可処分所得が急速に減ってしまった為に、日本の経済を支えてきた個人消費が大きく落ち込んでしまい、国内総生産(GDP)はこの10年間、大きくなるどころか縮小してしまった。その結果、当然のことながら税収が減る一方で国際の発行残高が増え続け、国の財政は破綻への道を進んでいる。

     このように我が国の総合的な国力がどんどん弱くなっていく中で、その根本原因にメスを入れることをせず、財政規律を重視する財務省の代弁者のような候補者が乱立して小泉、竹中路線の延長線の上で争ったのでは、誰が選ばれたとしても明るい展望は生まれてこない。

     最大野党の自民党が小泉路線との決別ができない中で、行きすぎた市場原理主義の誤りを総括した上で基本政策の大転換を図り、地方の再生による魅力ある国土づくりと積極的な内需拡大策によるデフレ脱却により、多くの国民の雇用と所得を安定させて、将来に夢と希望が描けるような、いわゆる「一億総中流社会」の再構築を目指そうと呼びかける候補者が1人くらいは出てきてほしいと心から願っている。