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    英国の国民投票と参議院選挙

    2016年6月29日(水)

    カテゴリー» 政治レポート

     先週、イギリスでEUからの離脱の是非を問う国民投票が行われた。投票前からどちらが勝つかわからないような状況の中、残留を主張し運動をしていた女性の国会議員が殺害されたことに対する影響もあって、一部では残留派が勝つのではないかと予想する人もいた。しかし結果は僅差で離脱派が勝利し、EUからの離脱が決まってしまった。今回のことは将来に対して色々な示唆を与えているように思う。トップリーダーの責任、言動は極めて重く、内外に対する影響がいかに大きいかが文字通り示された。離脱決定後すぐに株式市場や金融市場に大きな影響が出て、為替も乱高下するという状況になった。

     元はといえば、キャメロン首相が前回の総選挙で勝って、政権を維持したいが為に国民投票の実施を約束してしまったことが発端である。今回の国民投票はまさにEUに残るか残らないかという二つに一つの選択を国民に問うことだったが、離脱を選択した人達の中には、キャメロン政権に対する批判、キャメロン首相の政策、あるいは政治手法に対する批判がかなりあったと思う。私の親しいイギリス人もそういうことを言っている。キャメロン首相自身が政権維持の為の大きな賭けをやって、その賭けに敗れた。彼は辞めればそれで済むだろうが、取り返しのつかない大きな負の遺産を残し、国民に対して多大な損失を与えてしまった。国民投票の結果が大差であればまだ治めようもあるだろうが、これだけ拮抗した状況だと負けた方もなかなか収まりがつかないだろう。この対立を再び調和させて連合王国としての協調を取り戻すことは、極めて難しいのではないかと思う。

     もともとスコットランドは連合王国から独立をしたいという考えが強く、2014年に独立の是非を問う住民投票を行った経緯がある。結果として連合王国にとどまることになったが、独立したいという考えがなくなったわけでも収まったわけでもない。そしてそのスコットランドにはEUに残りたいという圧倒的な民意がある。せっかく収まった独立の機運がまた大きなうねりになって表れ、連合王国から独立をしてEUに残りたいという動きがかなり現実的なものになってくるのではないかと思う。

     EU離脱ということになっても、ユーロに加わっていなかったポンドは独立した通貨として今まで通り続いていくだろうが、離脱となれば当然他のEUの国々との間の人の出入りなどにも今までと違った制限が加わってくる。貿易産品にも関税がかかってくる。また金融市場をはじめ、ヨーロッパの中心的な役割を果たしているイギリスに拠点を構えてEU諸国でビジネス展開をしている企業も多い。そういう企業がこれからどういう判断をするのか。イギリス経済ばかりではなく、EU全体にも世界経済・金融にも大きな影響を与えることになる。今回の国民投票の結果がどう収まっていくのか、まだまだ予断を許さない状況だと思う。

     もともとEUに加わる時に国民投票を実施したわけではなく、その時の政権の判断で加盟したのである。今回もこれだけ国民を巻き込んで混乱した状況をつくったことは本当に政治の選択として正しかったのかどうか、よく考える必要がある。民主主義国家においては国民が最終的な主権者であることは当然であるが、それぞれの国の政権が信頼を失っているような時に、何でも国民に訴えかけて国民投票を実施すればよいのかというと決してそうではない。その流れが定着していくことは、裏を返せば代議政治の否定になる。大事なことはすべて国民投票に委ねようという流れが出てくることは、議会制民主主義の国にとって極めて大きな問題なのである。

     個々の問題についてすべて国民に民意を問うことは、IT化が進展する社会において技術的に不可能なことではない。ただしその結果、国が混乱をしたり衰退をしたり滅んでしまっては、一体誰が責任を取るのかということになってくる。もともと代議政治、議会制民主主義というのは、特定の個人が考え出した仕組みではない。色々な国や民族が試行錯誤を繰り返していく中で、どういう政治の制度をつくったら最善なのかを考えた挙げ句に到達した一つの仕組みなのである。それは決して完全なものではないかもしれないし、手間暇のかかる仕組みかもしれない。しかし最も間違いの少ない仕組みだということで、多くの国がこれを取り入れるようになってきたのである。特に社会が多様化し、複雑になってくればくるほど、それぞれの分野における政策を決定する為には専門的な知識も必要になる。一人一人の有権者、国民がすべてのことを知り尽くすことは不可能なことであり、だから自分の意見を代弁してくれる、あるいは考え方を汲み取ってくれる人を選んで、その人に政策判断を委ねているのである。ところが委任を受けた議員の人達が、その責任に耐えられず、むしろ責任を放り出していくようになってくれば、重要なことはすべて国民投票で判断をしようという方向に向かうことになり、代議政治が形骸化してしまう。イギリスにおいては、国会議員をはじめ政治家が今何を問われているのかを、ここで真剣に考えるべき時ではなかろうか。日本の場合も、舛添要一前東京都知事の問題など政治スキャンダルが続いていく中で、政治に対する信頼がどんどんなくなってきている。政治家の質も劣化しつつある。日本においても政治家に任せておけないので国民が自分達で何でも決めようではないかという流れが出てくることは、極めて危ないことである。今回のイギリスの問題を他山の石として、今何が問われているのかを自分自身の問題として考えるべきだと思う。

     ちょうど参議院選挙が行われている最中だが、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられて初めての国政選挙であり、新しい有権者の人達も戸惑いと同時に1票の重みを強く感じているのではないかと思う。一人一人の政治参加を重く受け止めている若い人達もたくさんいるようだ。そういう人達がどういう判断をされるのかによって結果が決まってくるだろう。参議院とは一体何なのかを、今回の選挙を通じてもう一度考えてほしいと思っている。私は参議院議員の時からずっと言い続けてきたことだが、参議院は決して政党化してはならないということである。政党化してしまうと、衆議院と同じように政争の中に巻きこまれてしまうし、参議院がつくられた本来の意義が見失われてしまうことになると、警鐘を鳴らしてきた。

     評論家や政治学者の方々の発言を聞いていても、衆議院と参議院を同じような目で見ており、参議院の本質的な役割をもう一度見直すべきだと言われている方は非常に少ない。すぐに1票の重さ、軽さという話になって、人口比例代表という考え方がすべてなのだという割り切りをする人がほとんどである。これにはメディアにも大きな責任がある。こうした考え方で割り切ってしまえば、人口の多い大都市の議席がどんどん増えて、衰退をしつつある地方の声は益々反映されなくなくなる。結果的に地域格差が益々拡大することになる。政治の側もその考え方を唯々諾々として受け入れてしまっており、それが政党の都合と重なって同じ議論ばかりが繰り返されてきた。そうした中でどうにもならないからと、人口が減少した二つの県を一つに合区してしまう。今回は鳥取・島根の両選挙区と、高知・徳島の両選挙区が合区されたが、こんなことをやるのだったら参議院はなくてよいということになってしまう。人口比例代表という考え方で国会の構成を割り切っていくのであれば一院制でよいということになる。ここでもう一度、参議院は何の為につくられたのか、参議院の本質的な役割とは何なのかを考えてほしいと思う。参議院の本来の意義を踏まえておかないと、政権選択ではない参議院選挙というのは極めて虚しいように感じられる。

     もともと日本が戦争に負けた後、占領政策の中で日本の憲法もつくられたわけだが、当時アメリカは一院制を求めていたのに対して日本側は強く主張して、貴族院に代わる参議院をつくり今日の二院制ができたのである。当時参議院をつくろうと主張した人達には、参議院議員はまさに地域を代表し、また職能・職域を代表する人達によって構成され、国家、国民の為に衆議院における政党間の利害対立を是正するという基本的な考え方があった。そのことを忘れて政党比例代表の仕組みを参議院に導入して衆議院と同じ性格に変えてしまったことは、参議院の自殺行為だと私は言い続けてきた。

     今回の参議院選挙で自民党が改憲勢力を確保するかどうかといったことがメディアの関心の中心になってしまっており、参議院本来の意義を見つめ直すべきではないかという声がかき消されてしまっている。非常に残念なことである。有権者の方々も参議院の本来の役割に思いを致し、政党よりも人物を選ぶことに重きを置いてほしい。議員内閣制である以上、衆議院で内閣総理大臣が決まってしまうわけだから、衆議院が政党の権力闘争の場になるというのは当然のことであるが、それが時として国民不在の中で政争だけが行われるようなことがよく起きる。これを国民の立場を踏まえて是正をしていくのが参議院の本来の役割である。政党の都合だけに振り回されるのではなく、国民や地域の代表として将来を見据えてどう判断するのかを堂々と主張し、行動する議員をつくっていくことが非常に大事な時だと思う。

     今回のイギリスの一連の動きを見ている中で、私はまさに日本の政治の将来に対しても大きな示唆を与えられたように思っている。今回の出来事はイギリスやヨーロッパの経済や金融に特化した問題のようにとかく日本のメディアも受け止めているが、そうではなく政治の仕組みに対して根本的な問いかけをしているのだということを、この際真剣に考えるべきではないかと思う。

    民進党に望むこと。

    2016年4月7日(木)

    カテゴリー» 政治レポート

     野党再編成の一つのきっかけになればよいと思っているのだが、ようやく民主党が発展的解消をして「民進党」という政党に衣替えをした。ただ単なる数合わせのように野党第一党の勢力を大きくすればいい、議席数を増やせばいいということだけで終わってしまったのでは意味がない。今の安倍政権の政策の行き詰まりがだんだんと明らかになりつつあり、夏の参議院選挙だけでなく衆議院の解散も近いのではないかと言われている。安倍首相としては選挙が先へ行けば行くほど自分の手で解散をすることが難しくなる。あわよくば同時選挙が望ましい、それができなくても秋には解散に持っていきたいと考えているように見える。選挙で思い通りに勝てれば衆議院の任期4年間いっぱい、東京オリンピックの頃まで政権が維持できるということも睨んでいるのだろう。

     安倍政権について私は以前から指摘しているが、立憲国家である日本において憲法を超越した強大な権力を、行政権の長である首相が持っているかのような政治を行っている。これはとても危険なことだ。その強大な権力によって実行している政策は、外交安全保障はもとより経済・財政・金融政策においてもアメリカの影響力と財務省主導という二つの力によって動かされているように見える。日本の保守政治、自民党政治が長い間かけて築き上げてきた中間所得層を中心とした健全な社会、いわゆる一億総中流社会、そして第二次世界大戦後絶えず世界のどこかで局地戦争、紛争があったけれど、それに巻き込まれずに平和を維持してきた日本社会が根底から崩されようとしている。まさに今、第二次世界大戦後最大の危機に直面しているように感じる。

     振り返ってみると、日本は戦後、荒廃した国土と惨憺たる経済、国民生活を復興させていく過程でアメリカとの協調を基本に置いて、優れた工業製品を作り、主にアメリカという大きな購買力を持つ市場に積極的に輸出をして富を蓄えてきた。その富を一部の人達が占有するのではなく、多くの人が満足感・充足感をある程度持てるような社会をつくる為に適正な分配をしてきた。その結果として本来資本主義ではつくり得ない中間所得層を中心とした一億総中流社会の構築に繋がったのである。何もGDPを大きくすることを目的としたわけではなく、戦後の荒廃から立ち上がって一人一人の国民の生活の豊かさをどうやって実現するかということをひたすら考えてきた結果だったのである。

     ところが日本がアメリカに次ぐ経済力を持つようになり、アメリカにしてみれば安全保障も経済も日本がタダ乗りをしているように見えるものだから、もっとアメリカの国策にも協力しろ、世界経済にも貢献しろということで日本に対する圧力が強まっていった。そういう中で、7年8ヶ月に渡って長期政権を維持した佐藤政権、その後の田中内閣、いわゆる角福戦争から生まれた三木内閣を経て、福田、大平そして鈴木善幸内閣の後、昭和57年に中曽根政権が誕生した。その中曽根首相が当時のレーガン米大統領と信頼関係を築いたということで「ロン・ヤス」関係と言われ、日米間が極めてうまくいっていたと言われているが、私からみると中曽根政権時代に今の対米従属路線が敷かれてしまったように思う。1985年のいわゆる「プラザ合意」によって、ドルと円との為替レートの大幅な円高誘導を容認し、その後のバブル経済の流れをつくるとともに、日銀の総裁だった前川春雄氏が座長を務める首相の私的諮問機関で、いわゆる「前川レポート」を発表した。その報告書は日本経済の対米貿易黒字を減らし、内需拡大に努めるとともにアメリカへの投資を進めるというアメリカの強い要請を受けてつくられたように見える。日本の市場を開放する為の様々な規制緩和や構造改革をアメリカの意向を受けて日本の意思として報告書にまとめたようなものだと思う。その報告書を受けて、日米構造協議が始まっていき、またそれに基づいて対日年次改革要望書が出されるようになった。これがその後のクリントン−宮沢時代にハッキリと表に出てくる。そしてそれを実現する為の政権がまさに小泉政権だったのである。フルブライト奨学金をもらってアメリカで勉強した竹中平蔵氏が政策立案実行の責任者となり、小泉首相の強力な個性とリーダーシップのもとで規制緩和や構造改革を着々と実行に移していった。

     小泉政権が終わった後、安倍政権、福田政権、麻生政権と続くが、いずれもその流れを継承した路線だった。その結果、デフレの解消もできない、景気回復も進まない、年金や医療を中心とした社会保障も全く先行きが見えない。そういう中で国民の負担が増大し、もはや自民党政権では国民の期待に応えられないという状況のもとで2009年に政権交代が行われ、民主党政権が生まれた。その民主党政権が誕生した時に多くの国民が期待したのは、1日も早く景気を回復し国民の所得を増やしてほしいということ、もう一つは社会保障の安定だった。ところが民主党政権はその期待にまったく応えることができなかった。その後、鳩山首相が沖縄の問題の責任をとって辞任する。菅首相は東日本大震災に対して全くお粗末な対応しかできず、政権の危機管理能力の欠如が国民の前に晒されてしまった。菅内閣の後を受けた野田政権は完全に財務省コントロールの政権になってしまった。国民の意思に反する消費税の引き上げを主導し、自民、公明と三党合意をつくって自ら負けるに決まっている解散・総選挙に打って出て惨敗した。その結果、再び発足した安倍政権は小泉-竹中路線を継承するばかりか、それを更に加速化させている。私の目から見ると、大資本、大企業、富裕層の為の政治にしか見えないし、また世界に敵の少ない国だった我が国をアメリカの外交安全保障に追随する結果どんどん敵を増やしてしまい、日本の安全を保障すると言いながら逆に不安定なアジア情勢、世界情勢をつくることに加担しているように見える。安倍首相は「普通の国」を目指すと言っているが、「普通の国」の意味がよくわからない。平和な国ではなく、周辺に敵をどんどん作っていくことが「普通の国」なのかと思いたくもなる。

     最近はこのような安倍首相の間違った政策と強引な政治手法に対して、国民が危機感を持ち始めているように見える。そういう中、先へ行けば行くほど政策の失敗が明らかになってくるので、できるだけ早く選挙をやってしまいたい考えがあるのだろう。衆参同時選挙がなくても参議院選挙はあるわけで、明らかに選挙を意識した発言、行動、政策が目立っている。国民の目をくらますためにやっているとしか思えないような政策、例えば子育て支援、あるいは所得の少ない人達から支持を得たいが為に年金受給者に臨時給付金を支給する。また先日、今年度予算が成立したが、公共事業予算の8割を前倒し執行する。これらは明らかに選挙目的としか思えない。

     その選挙を戦う為の大義名分として、前回の選挙で上手くいった消費税引き上げ延期による2匹目のドジョウを狙っている。来年の4月に予定されている消費税の再引き上げを更に延期することを考えているようだ。アベノミクスが失敗したから予定通り再引き上げができなくなると言われたくないものだから、アベノミクスは上手くいっているけれども、国際的な経済金融情勢の変化によって再引き上げが難しくなっていることを理由にしたい。それを自分達の口からは言えないから、海外から権威のある経済学者、スティグリッツやクルーグマン等を呼んで、自分達の言いたいことを代弁してもらっている。更に本田悦郎、浜田宏一といった側近の人達をどんどんメディアに出して同じようなことを言わせている。こういう状況なので消費税の再引き上げは延期します、国民の皆さんどうですか?と言えば国民はNOと言うはずはない。私はこの際、野党から先手を打って消費税の引き上げを止める法案を出すべきだと言っているが、なかなか野党の足並みが揃わない。特に野党最大の民進党の中には財政規律を重視する人達がかなりいるし、消費税の引き上げを自分達の政権の時にやったのだから停止法案を提出することなんてできないという人もいる。民進党がそういう方向にまとまるのは難しい状況にあるように見えるが、やはり国民が何を望んでいるのかを考えるべきで、国民生活を守る為に、選挙において与党との対立点を明確に示すことが一番大事なことである。

     私は今こそ中間所得層を中心とした一億総中流社会の再構築を実現することが最も大切なことだと思う。それと同時に敵を増やさない外交安全保障政策に転換していくことが大事だと思っている。安倍政権は極端なアメリカとの協調路線をあらゆる政策において示しているので、国民にとって分かりやすい対抗軸をつくりやすい時だと思う。今、安倍政権は地方創生に力を入れている。やる気のある地域から新たな発想をどんどん出してもらって、財政的に国がサポートしていくことで地方創生を進めようとしているが、その結果よくなるのはごく一部の地域であって、このような経済の論理を地方の振興に持ち込んでいくと、益々地方における格差が拡大していく。

     また選挙制度でも人口の多い地域の議席を単純に増やしていくことになってくれば、地方の声は益々小さくなってくる。衆参両院の役割分担を含めた選挙制度のあり方を考えるべきであり、人口比例だけで割り切ってよいというものではない。地方創生に関して言えば、どういう国土を形成するのかという国土の全体計画を持つことが何よりも大事なのである。そういう計画なしに行き当たりばったりで地方創生と言ってもうまくいくはずはない。国土計画は経済の論理でできるものではない。政治がリーダーシップをとって国土全体のトータルビジョンを国民に示し、それを経済財政がバックアップしていくというのが本来のあり方である。経済の流れに政治が従っていたのではいい政治ができるはずがない。

     そういう根本を見つめ直すとともに、戦後の日本の歩みをもう一度しっかり見つめ直していく。国際環境の中での今日までの歩みを考えてみれば、やるべきことはハッキリと見えてくると思う。民進党という政党が誕生し、戦いも近づいてきているこの時に、最大野党である民進党が中心となってあるべき国家像、政権与党とは全く違う国家像を持っているのだということを明確に示してほしい。日本が独立した国として、自分の意思で国をつくれるかどうかのラストチャンスだと思う。

     「アベノミクス」の崩壊

    2016年2月19日(金)

    カテゴリー» 政治レポート

     私は最初からアベノミクスといわれている経済財政金融政策は失敗すると言ってきたが、いよいよその政策的な破綻が目に見えてきたと思う。今の安倍内閣の経済財政金融政策は小泉政権の時に始まった政策の延長線上にある。アメリカを中心として続いてきた新自由主義の考え方に則った路線、当時竹中平蔵氏が中心になって進めてきたものだが、簡単に言えば強いもの、大きいものをより強くし、大きくすれば全体がよくなるだろうという考え方である。経済用語で言うところのトリクルダウン、要するに富裕層や大企業を豊かにすると富が国民全体に滴り落ち、経済が成長するという考え方だが、一向にそういう状況にはなってこなかった。富裕層や大企業だけがどんどん富を蓄積する一方で、益々格差が拡大している。かつて一億総中流といわれた時代には、日本を支えてきた中間所得層の個人消費が中心になって日本経済の規模を大きくしてきたわけだが、その中間所得層がどんどん所得を減らしてくる状況の中で貧富の格差が拡大し、また大都市と地方の格差も益々拡大してきた。安倍内閣が目的としてきたデフレの解消は依然として実現されていない。本来ならば金融政策に先行して的確な経済財政政策を実行しなくてはいけないのに、それを実行せずに金融政策だけでデフレ解消をやろうとしたところにそもそも無理がある。

     小泉政権の頃を振り返ってみると、まさに金融緩和を実行した。日銀の当座預金残高を毎月30兆円〜35兆円に維持するということを続けた。ところがいくら日銀の当座預金残高が膨らんでいっても、そのお金が日本経済の中で回っていかない。金融機関も結局、当座預金で金利が稼げるので積極的な貸し出しには全く消極的な状況だった。なぜ金融機関がそういうことになったかというと資金需要がなかったからである。金融機関がお金を貸したいと思う企業は、借金をしなくても増資や社債発行等の直接金融という方法はあるし、潤沢な内部留保も持っている。一方、金融機関からお金を借りたい中小・零細企業には、危険なリスクを冒してまで貸したくない。貸し出しを増やすよりも日銀に積んでおいたほうがまだいいということなのだろう。そういう状況下で2001年から5年続けた量的緩和の効果が出なかったので2006年3月にいったんそれをやめたのである。

     ところが安倍政権になってから黒田日銀総裁を中心にして再びめちゃくちゃな量的緩和を始めた。本来、日銀には物価の安定、金融システムの維持、通貨の信用、中央銀行としての信頼維持という役割がある。そして物価安定の為の金融政策の中心は金利政策であるべきなのである。金利を上げたり下げたりしながら景気動向を見て調整をして物価を安定させるというのが本来のやり方だが、どんどん金利を下げて事実上ゼロ金利で推移してきたものだから金利政策が機能不全に陥ってしまった。今までに金利を上げるべきタイミングは何度かあったと思うが、それを見送ってしまった。結局ゼロに張り付いたまま今日までずっと来てしまった。そういう状況なのに、何とかしろと政権からプレッシャーがかかるから日銀としてできることは量的金融緩和以外にない。しかしその結果、デフレが解消されたかと言えば一向に解消されないし、GDPも大きくならない。辛うじてアベノミクスが成功したかに喧伝されたのは円安と株高。輸出企業及び株式を保有している企業や富裕層は円安と株高のメリットを受ける。だから円安と株高を維持することがアベノミクスの目的みたいになってしまった。経済界も「アベノミクスでよくなっている。」と評価していたが、経済全体がどうなっているのかを見ると、よくなっているどころかむしろ悪くなってきている。昨年まで実質賃金が4年連続で落ちている。また先日発表があったが、昨年10月−12月期のGDPは1.4%下がり、個人消費が0.8%減、住宅投資も1.5%減、公共投資2.7%減、輸出0.9%減と、なにもいい数字が出てこない。更に言えば安倍内閣が発足してから個人消費は1兆5,000億円も減っている。

     年が明けてから急激に株価が下がってくるという状況になり、ちょっと信じられないような乱高下が続いている。もともと日本の株式市場は6割以上が外国人投資家の資金によって動いている。この1月の外国人投資家による日本への株式投資額は約1兆6,000億円の売り越しになっている。従ってそれだけでも当然株価は下がるはずである。更に昨年11月に鳴り物入りで株式上場が実現した郵政3社の株式も、公開価格を割り込む状況になってきている。こうした状況を何とかしないとアベノミクスは失敗だと言われてしまう。そこで日銀と内閣が一体のようになってマイナス金利を導入した。ところがその結果がいい方向ではなく、全く逆の方向に向かっている。マイナス金利の発表直後はアメリカが一時的に金利を上げたこともあってドル高円安になったが、すぐにその流れは変わり、円高ドル安の流れになってきている。本来、為替レートはドルと円で言えば双方の購買力平価で動いていくもの。実際のドル、円の実力がどうなのかということで上がったり下がったりしていくのが本来の姿である。それを人為的に変える為、無理なことをやるからかえっておかしくなる。アメリカ経済は今、決していい方向に向かっているわけではない。原油価格が大幅に下落したことによって、伸びるはずだったシェールガス産業はまったく振るわない。石油ばかりではなく資源価格全体が下がってきている。一時、住宅バブルのような現象があったが、それもずっと続くようなわけではない。アメリカの経済の先行き不安があるので決して金利を上げたからといってドル高にはならない。逆に日本の場合は、惨憺たる状況にはなっているけれども、巨額の個人金融資産を活用して国債を国内で回しているのでまだ力はあると市場では見られている。しかも対外純資産が世界一の国であるし、外貨準備も潤沢に持っている。世界の通貨がおかしくなってきている中で、円が一番安心できる通貨だということで円が買われる傾向が強まっている。以前にも述べたが、ドルと円との関係だけを見ているとわかりにくいが、他の通貨と円に関してはずっと円高の動きになってきているのである。

     日銀当座預金の一部をマイナス金利にするということでマイナス金利政策が始まったが、早くも市場にその影響が出ており、国債の金利も急落している。国債を大量に持っている金融機関などは持っていれば持っているほど含み損が大きくなってくるからできるだけ早く売りたい。ところが本来なら金融機関は潤沢なお金を企業や個人に貸し出すのが筋なのに資金需要がないということで、日銀が市場から国債をどんどん買っている間は一時的に国債を購入する。いずれは外国株式や外国債券に資金を振り向けていくのだろうが、なかなか貸し出しには回らない。しかしながら、日銀が国債を買い入れるといっても限界があるわけで、日銀が国債を買えなくなる状況になった時には金融機関も個人も買わなくなるから、国債の買い手がなくなって国債が暴落する。その結果、最終的に国民生活が破壊される政府機能の停止という最悪の状況を招くことになる。

     赤字公債の発行については、毎年、財政特例法を通して実行してきた。本来、財政法で赤字公債の発行は禁止されているのに、それを特例だと言って毎年赤字公債を発行してきた。その結果、特例が特例ではなく当たり前のようになってしまった。更に今国会に提出している特例公債法案は、これが成立すれば単年度ではなく2016年度から2020年度までの5年間赤字公債を発行できることになってしまう。これでは財政規律が保たれるはずはない。このことにしても本来、財務省に大きな責任がある。もともと佐藤内閣で福田大蔵大臣の時に、財政特例法をつくって赤字公債の発行に踏み切ったのである。当時は世界経済が非常に混乱していて、日本にも世界経済をリードする役割を果たしてほしいとの声も強くあり、日本の経済の立て直しの為に思い切った財政出動しかないとの判断で赤字公債の発行に踏み切ったのである。その効果は確かに表れて、その後、高度経済成長路線が始まったのである。そうなれば当然自然増収が生まれてくる。そういう状況になった時に赤字公債の発行を止めなくてはいけなかった。あくまでも特例法であって、財政法では禁止しているのだから当時の大蔵省が「止めましょう。」と強く主張しなくてはいけなかった。ところが何も言わずに発行を続けて自然増収による増収分を大盤振る舞いし、全部使い切ってきた。当時の大蔵省、今の財務省に大きな責任がある。今、アベノミクスの無謀な量的緩和や国債の大量買入れで日銀が大きな責任を背負わなくてはいけないのと同じように、財務省の責任は極めて大きい。ところがメディアは一切そういうことを言わない。何か目に見えない力にコントロールされているとしか思えない。

     資源市場と為替市場と金融市場はみな連動して動いている。日本だけの話ではなく、世界の市場が混乱をしてきている状況は益々顕著になってきている。そういう中で国民生活をどう守っていくのかを政治の責任として真剣に考えるべきではなかろうか。そしてまず最初にやらなくてはいけないのは、小泉内閣以降ずっと主張してきたことだが、中間所得層に対する思い切った所得減税を実行することだと思う。財務省はその財源がないと言うが、外為特会に20兆円の積立金がある。その積立金の一部を使えば所得減税は確実に実行できる。そういうことをやって個人の家計を少しでも豊かにしなければ、アベノミクスの破綻によって多くの国民の生活はガタガタに壊されてくることになるし、当然税収も落ち込むことになり国や地方の財政も破綻する。

     世界的に新自由主義の限界が表れてきている。中東も大混乱をしている。宗教や民族の問題が存在することは間違いないが、それとともにそれぞれの国の中で貧富の格差拡大が限界を超えてしまっていることが混乱を生み出す大きな原因になっている。世界が新自由主義と早く決別して経済財政金融政策を全く新しい発想でやり替えていかなくてはいけない。もう一度日本を立て直していかなくてはいけないギリギリの段階まで来てしまったように思う。

    平成28年(2016年)を展望する。

    2015年12月27日(日)

    カテゴリー» 政治レポート

     ちょうど昨年の今頃に今年を展望し、「激動の予感」と題して見通しを縷々述べたが、この1年を振り返ってみて、やはり思った通りの展開になってしまったとの感じが非常に強い。私の見通しは誤っていなかったが、よい方向に進んだのではなく、どんどん悪い方向に進んでおり、益々危機感を強めているというのが実感である。来年は更に難しい年になると私は見ている。

     日本の政治の面から言うと、安倍政権は益々危険な方向に進み始めているように見える。個々の政策の誤りはもちろんあるが、一番いけないのは立憲主義をないがしろにしていることである。今、国会の場でも与党、野党を通じてそういう最も大切なことを厳しく指摘し、批判をすることが流れとして出てこない。国の基本的な仕組み、秩序を維持する為の立憲主義が真っ向から否定され始めていることが何よりも恐いことだと思う。堂々と憲法改正の手続きを踏めばよいのに今は通らないだろうからと、いわゆる解釈改憲の手法で集団的自衛権を容認してしまったり、平和国家としてのイメージをどんどん壊していくように武器輸出三原則をなし崩しにしてしまったり、非常に強引なやり方をしている。

     最近は司法の判断もお構いなく行政を進めていく。沖縄・辺野古への普天間基地の移転の問題でも今、沖縄県と厳しく対立しているが、この問題でも裁判に持ち込まれていることがあるにも関わらず、その裁判の結果がどうなろうと、とにかく所定の方針通り進めていくと官房長官が平気で言っている。本当に恐ろしいことだと思う。世界情勢が大きく変わり、アジアの情勢も大きく変わってきている中で、日米安保体制もこれからいかにあるべきなのか、一度立ち止まって考え直さなくてはいけない時期に、アメリカの軍事力を補完してほしいという要請にただ応えていけばいいというようなやり方をとる。翁長雄志知事が沖縄の県民の意思を体して政府に堂々と発言をされていることは決して間違っていないと思う。

     原発の再稼働にしても政府の一方的な考え方でどんどん進めていく。TPPにしても今後の国民生活や日本の産業がどうなるのか、とりわけ農業をはじめ各分野で働いている人達がどう影響を受けるのか。そういう視点に立って、日本として守るべきものは守る、堂々と言うべきことは主張するのが交渉の大前提だと思う。ところが日本の立場を述べることよりもアメリカと一緒になってとにかくTPP交渉をまとめる為に、担当大臣がまとめ役をやっていた。私からは一体何をやっていたのだろうかと見える。TPP交渉がまとまったといっても、アメリカの議会は来年の大統領選挙が済んでから本格的な審議をやろうという構えである。仮に大統領が誰になるかわからないにしても、アメリカの政権が変わり、もし議会がこれを認めないということになった場合、日本がなぜアメリカと一緒になって急いでまとめようとしていたのか、全く意味がないことになってしまう。確かにアメリカは日本にとって大事な国であり、安全保障、外交でも経済、金融の面でも緊密な関係をとっていくことは大切だとは思うけれど、ただ言いなりになればいいということではなく、アジアの情勢の変化、世界情勢の変化の中で日本がどういう道を進むべきかを真剣に捉え直していく時だと思う。ところがこういう大きな議論が国会でも行われない。一番いけないのは報道機関(マスメディア)が国民に正しい情報を提供することを怠っていることだ。最近のメディアの劣化には著しいものを感じる。このまま政権にすり寄ったり、持ち上げたりするようなことばかりやっていると、戦前、メディアが軍部に迎合して戦争に向かうことに加担してしまったようなことを再び引き起こすのではないかと怖さを感じる。特に大新聞やテレビ会社が政権に弱みがあるのかどうかわからないが、本来、大手のメディアが担っている公益性についての責任をもう一度真剣に考えてほしい。

     来年の参議院選挙が大きな節目になるが、野党がなかなか対立軸を作り得ていない状況で右往左往する中で、共産党がリーダーシップをとって候補者の一本化の動きを見せ始めている。政権に対立する勢力を大きくすることは必要だが、何の為に大きくするのか、野党再編成の中で何を目指していくのか、どういう社会を構築しようと思っているのかを示さないで、ただ野党共闘なんて言っているのでは政権側から単なる野合ではないかと言われてしまう。大切なことは、今の安倍政権のあまりにも偏った理念、政策に対して「それは間違いだ。」と国民の立場に立って堂々と言い切る政治勢力が生まれてくることであり、そうでなければ意味はない。参議院選挙の前にそういったことができなかったら、投票率がものすごく下がる危険性がある。前回の衆議院選挙でも、半分近い人が棄権をしてしまう中で果たして本当の民意が問われたことになるのだろうかと思ったが、そういうことも今から考えておくべきだろう。選挙年齢が下がること、更にネット選挙が本格化するということでかなり色々な影響は出てくると思う。特に新たに選挙に参加するような世代が投票行動をとる時に、十分な情報が得られているかどうかがすごく大事なことである。もともとあまり政治に関心を持たなかった人達であればなおのこと、正しい情報がより多く届けられることが正しい判断をする為に必要なことであり、改めてメディアの責任が問われることになろう。

     一方、経済、財政・金融についても来年は更に厳しくなるだろう。政府はアベノミクスが成功していると強調しているけれども、決して成功したとは言えない。国外の要因によってうまく進まないのだと責任逃れをするかもしれないが、日銀が異次元の量的金融緩和に踏み切り、大量の国債の購入をはじめ禁じ手のようなことを大手を振ってやってしまったのだから、どこかでけじめをつけなくてはいけない。アメリカは利上げに踏み切ったことで金融当局がある意味でフリーハンドを維持した。一方、日銀の場合には今の状況からいって金利を上げようがない。ETF(上場投資信託)やREIT(不動産投資信託)を買ったりするのは経済政策の分野に日銀が踏み込むことであり、金融政策としてこういうことをやること自体、中央銀行として極めて見識のないことだと思う。中央銀行は言うまでもなく、物価の安定、通貨の信用維持、システムの安定等を目的としているわけで、そこに最大の責任を負っている。今や100兆円を超える大量の国債を日銀が抱え込んでいるが、仮に国債が暴落するようなことになれば日銀自体が大変な状況になってしまう。それだけのリスクを負っていることは世界が見ており、中央銀行としての信用が揺らいできていると言ってもよい。そこをどうやってけじめをつけていくのか、日銀としてもよくよく考えてもらわなくてはいけない。

     私はずっと言ってきたことだが、もともとインフレターゲットを設けること自体、中央銀行としていかがなものかと思っている。過度のインフレの中で物価を安定させる為に金融政策を総動員するのは当然のことだが、意図的に物価を上げていくことの為に金融政策を実行することは中央銀行として決してやってはならないと私は思っている。日銀の内部にも一部にそういう危機感があるようで、国庫への納付金を減らして内部留保をしながら国債が暴落した時の危機に備えるというようなことを始めたようだが、そういうことでは追いつかないほど大きなショックが来る可能性はあると思う。

     今、世界経済はどこを見てもよいところがない。そのきっかけとなったのは石油価格の暴落とそれに連動した資源価格の暴落である。それによって資源国は一番先に打撃を受けたが、それと同時に多額の債務を抱えている新興国、ヨーロッパでもギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリアをはじめとして最近は産油国のノルウェーも通貨が下落している。中東などは惨憺たる状況になっているし、南米のブラジルやアルゼンチンも債務を抱えて国が破綻するかもしれないというところまで追い込まれてきている。新興国では今年から来年にかけて債務の借り換えをやらなくてはいけないところが多い。2008年のリーマンショック以降、安い金利で債券を発行しているものが、借り換えの時には高い金利になるので債務が拡大することになる。従って借換債が発行できない国も出てくる。いわゆる国としてのデフォルト宣言をするようなことになったらどうにもならない。世界の債権国、金を貸している国も、また新興国の債券を買っているような民間の金融機関もバタバタと危なくなってきたら、世界の金融システムが機能不全に陥ってしまう。もともと新自由主義に基づく金融システムというのは、メチャクチャな金融緩和によって金融市場全体をどんどん膨らませ、実体経済とかけ離れた量のお金が世界を動き回ることによってつくられてきた。金で金を買うマネーゲームの世界で儲けていた人はたくさんいるが、そういう人達から見ると、もともと資源というのは石油でも鉄鉱石でも金銀や銅にしても有限であり、金融市場に比べると市場が非常に小さい。そこに巨額のお金が入っていくから、一挙に値が上がったりする。逆にその資金が市場から引き上げられれば一挙に下がることになる。今そういう状況が起きている。

     今から40数年前のいわゆる石油ショックの時、石油価格が急激に上昇し、世界経済が大混乱に陥ったことがきっかけで、先進主要7ヶ国の首脳が集まって世界経済をどう維持していくかの話し合いをした。その後、毎年サミットは開かれてきたが、先進国首脳が集まって相談しても、先進国だけでは世界経済の課題が解決できなくなった。そこでBRICSなどの新興国が台頭してくる中で、参加国を増やしていく流れになり、最近ではその数が非常に多くなってしまったので、毎年首脳が集まって話をしても「船頭多くして船山に上る。」ではないけれど、まとまった結論が出せない状況になってきている上にアメリカの国力の低下もあり、もはやリーダーシップを取れる国がなくなってしまっている。

     戦後70年の節目の年であるが、第二次世界大戦後の世界秩序を構築する為に国連をつくり、また世界銀行、IMF(国際通貨基金)、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)などをつくったりして今日まで秩序を維持してきた。ところがそれがことごとく機能不全に陥ってしまった。それに代わる新しい仕組みが作られつつあるかと言えば全くそうではない。群雄割拠というか、皆が自分のことを考えて勝手なことを言ったりやったりするような時代になってきている。

     中東でももともと欧米列強が自分達の利益の為に国境線を設定したが、それぞれの国の中で政治の安定を図ることができなくなってしまって、結局、国境を超えた民族、宗教の動きにかき回されて大混乱をしている。シリアやイラク等からの難民の流出が止まらない上に各国でテロ事件が発生し、ヨーロッパ全体の社会情勢が益々不安定になっている。またISをはじめとする過激な集団の活動により、イスラム圏内でも混乱が激しくなっている。

     そういった世界情勢の中で、第二次世界大戦の時はチャーチルやド・ゴールなど、強いリーダーシップと見識を持った人達がいたが、今、世界を見回してもそういう確固たる歴史観を持ち自分の国ばかりでなく、国際社会全体をまとめていけるだけのリーダーシップを持った人は見当たらない。その上、国際的な機関が使い物にならなくなってきている状況だから、将来への明るい見通しが持てないのである。

     今、際立っているのはロシアのプーチンと中国の習近平の2人である。今の世界の状況を見ながら自分が中心となって世界の新しい体制を作ろうという野心だけは見えるが、果たしてそのように動くかどうか、決してそう簡単なものではない。プーチンはロシア国内における人気は非常に高いものがあるので、思い切ったことをやれるのだろう。一方、習近平は無理に無理を重ねているので、人民元にしてもIMFのSDR(特別引き出し権)の枠を取ったということで国際通貨としての評価が得られたと思っているかもしれないが、元が暴落してくる可能性も出てきている。経済が決していいわけではなく、貿易を見ても輸出、輸入とも落ちてきている。元を国際通貨として認めさせる為に、まさに国を挙げて金融市場で元の価値を維持してきたということだが、いつまでも支えきれるものではない。最近は海外への投資も上手くいっていない。オーストラリアで住宅価格が下落し始めているが、これは中国の投資が減ってきたことが原因である。シンガポールでもそういう兆しが出てきている。日本でも中国人投資家による、いわゆる住宅バブルが弾ける時が近付いているような感じがする。

     国際経済、国際金融も石油安や資源安から端を発してどんどん悪い方向に向かってきている。日本の景気はアベノミクスで上手くいっているのだと政府は強弁するけれども、今までは株高と円安でそれを維持してきたが、両方とも危なくなってくるだろう。本来、株式市場に任せておくべきものを、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)を使って無理やり株価を上げたりしてきた。それはちょっと間違えるとわずか数ヶ月で10兆円近い資金を失ってしまうという危ない状況もつくり出してしまう。また円安にしても、一時的にはアメリカが利上げをしたのでドル高になり円安が続くと見えるかもしれないが、アメリカ経済が本当の実力でドル高を維持していればよいが、そうではない。アメリカ経済そのものに陰りが出てくることになると、いつまでも円安が続くことはあり得ない。その結果、アベノミクスが破綻することになってくる。アベノミクスによって国内で誰が潤ったのかということになると、結局のところ大企業と富裕層が利益を得ただけに終わってしまう。

     消費税率の引き上げ時期が近付いているので、軽減税率の導入を決定したり、あるいは低所得年金受給者(約1,250万人)に1人当たり3万円を給付とするという一時的な手当てをしてお茶を濁そうとしているが、これから所得が増えていく見通しもない時に多少お金をもらったからといって、直ちに生活の豊かさに還元されてくることはあり得ない。ましてや日本の経済を今日まで大きくしてきた原動力である中間所得層の可処分所得を増やす為の所得減税を行って、個人消費の拡大を図るような思い切った需要政策をとらない限り、日本の経済の先行きは難しくなる。私は常にそのことを言い続けてきたが、それと正反対の政策を安倍政権は取っている。「一億総活躍社会」と言っているけれど、一部の人の活躍の場はあっても、多くの人の活躍の場は益々減ってくる。人手が足りない時期がある程度続いたが、これからは人手が余って仕事がなくなってくる時期も近付いてきているような気がする。

     また政府をはじめ地方自治体も借金でどうにもならなくなってきているが、個人金融資産は依然としてあるわけで、その個人金融資産をいかにうまく国内で循環させるか、その政策が最も急がれることだと思う。対外純資産もあるわけだし、国内の個人金融資産もあるわけだから、それを国内で循環させながら個人消費が拡大していくことになれば、利益を上げている大企業をはじめ多くの企業が国内への設備投資を行うというよい流れになってくるだろう。とにかく国内で物が売れない。売れているのは中国人観光客が「爆買い」しているくらいである。更に大都市と地方都市の格差は益々拡大している。地方が疲弊している状況にある時に、国内に投資しろと言ったところで企業は投資するはずがない。法人税を引き下げる代わりに設備投資をしろなどということは、市場経済の国の政権がやることではない。経済界にそんなことを言うのではなく、黙っていても企業の経営者が国内に投資をしたくなるような環境をつくることが政治のやるべきことである。

     色々述べたが、要するに世界が無秩序の時代、大混乱の時代に進みつつある中で、そのことを早く見抜いて日本の進むべき道を国民にはっきりと示して国民の合意形成をする、透徹した予見力と何よりもリーダーとしての見識が求められている。ところが政治家ばかりでなく、経済界にも官僚や学者、文化人、更にはマスメディアの分野にも見識のあるリーダーが見当たらなくなってしまった。戦後70年が経ち、歴史的な転換点に立っている今日、現在の政権、与党をはじめ国会の責任は極めて大きいわけで、そういうことを踏まえた真剣な議論を是非とも行ってほしいと思う。

    安倍政権の陰り

    2015年10月23日(金)

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     安倍首相は安全保障関連法の成立以降、経済のことばかり言っているが、アベノミクスなるものもいよいよ破綻寸前のような状況になってきていると私は思う。一部の大企業が収益を上げているのは間違いないし、株高で潤っている人達がいるのも間違いない。ただ株式市場だってどこでどう動くかわからない。まだ円安が続いているように見えるが、円−ドルの関係、円−ユーロの関係だけを見ていると円安になっているが、その他の国の通貨と円との関係を見ているともう既に円高に向かっている。今の流れが変わってくると政府や日銀がどんなに円安に誘導しようとしても限界が来るだろう。

     安倍首相は最近、「一億総活躍社会」を目指すと言うが、何を言おうとしているのかさっぱりわからない。そんなことよりも私が以前から主張しているように「一億総中流社会」を再構築する方がよほどイメージとしてハッキリしていると思う。一方では2020年度にGDP600兆円を実現させると表明している。名目で3%程度の経済成長が続けば可能だと言っているが、どうやって3%成長に持っていくのかその手順が全く見えない。やはり個人消費が安定的に伸びていくことにならなければGDPが大きくなるはずがない。その為に具体的に何をやるのかが明確になってこなければいけない。格差がどんどん広がって、しかも地方が疲弊している状況の中で「一億総活躍社会」と言われてもピンと来ない。

     抽象的なことばかり言って日本をどういう国にするのかが明確に示されていないが、その一方でアメリカの言うことだけは聞いている。TPPにしても原発再稼働にしても、CSIS(戦略国際問題研究所)のジャパンハンドラーズと言われるような人達が当初から日本に対して要求していることをシナリオ通りに進めている。リチャード・アーミテージ元米国務副長官とジョセフ・ナイ元米国防次官補が3年前に出した「第3次アーミテージ・ナイリポート」の中で書かれたことをそのままやっているだけではないかと先の国会審議でも指摘されていたが、まさにそういうことである。

     更に国際情勢を見ていくと、アメリカの力が落ちていることは間違いない。反面、ロシアのプーチンと中国の習近平の2人が次の覇権というか、自分達を中心にした世界をつくるという野心がはっきり見えてきている。中国とロシアとこれからどう付き合っていくかも日本にとって大きな問題である。アメリカと一緒になっていればよいということではもはや解決できない。台湾、ASEAN、インドなどアジアの自由主義国との関係をもっと強めて信頼関係を構築し、中国に対してもロシアに対しても、またアメリカに対しても堂々と物が言えるようなアジアの一つのまとまりをつくっていくことが大事である。これは日本一国だけでできるわけではない。アジアにおいて同じ自由主義、民主主義を基本とする国と連携を強めていくことが急務ではなかろうか。

     色々考えてみると今の安倍内閣、自民党がこれからどうなってしまうのか不安ばかりが強くなる。与党の国会議員も安倍内閣をサポートしてさえいればよいというのではなく、激動する国際情勢をしっかり見極め、過去の歴史に学び、新しい方向を見出していかなくてはならない時だと思う。