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    2018年を展望して

    2017年12月30日(土)

    カテゴリー» 政治レポート

     もう一つは戦争リスクである。北朝鮮ばかりでなく、中東地域も非常に危なくなってきている。イスラエルの建国の根拠となったバルフォア宣言から今年はちょうど100年目になる。

     今ロシアのプーチン大統領が、シリアのアサド独裁政権を徹底的に支え、イランを背後から支援し、さらにはトルコのエルドアン大統領を引き込んで、完全に中東の支配体制をつくりつつある。そういう中で、イスラエルのネタニヤフ首相が二つのスキャンダル事件に関わって、捜査当局から5回目の事情聴取を受けている。その疑いから逃れる為にイランに対して攻撃を加える準備を始めているように見える。

     イスラエルが暴発する可能性もあるが、そのイスラエルと組んでいるサウジアラビアが不安定になってきている。OPECで原油の減産を9ヶ月延期することが決まったばかりだが、サウジアラビアは抱えている様々な内部矛盾を解決することができないのではないかと思う。

     サウジアラビアは「サウード家のアラビア」という意味だが、初代アブドゥルアジズが1932年に国をつくって、1953年に亡くなった。その後、今日まで64年間、初代アブドゥルアジズの息子が第2代から第7代まで続けて国王になっている。初代アブドゥルアジズには息子が36人、娘が24人、計60人の子供がいて、その息子がずっと王位を継承してきた。2年前の2015年に即位した第7代のサルマン国王が自分の息子である32歳のムハンマドを皇太子に決めた。そのムハンマドは実権を握ると今までの王族による合議制によらず、独断で世界的に有名な大富豪のタラール王子をはじめ、多くの王族を逮捕して巨額の資産の没収を始めている。彼が即位をすると初めて世代が変わることになるが、現在の混乱状態を見るとそこまで体制が維持できるかどうかわからない。

     このサウジアラビアがイスラエルと組んで、イランと事を構える可能性もないわけではない。そうなるとサウジアラビアは崩壊するだろう。更にはつい先日アメリカのトランプ大統領がユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖地であるエルサレムをイスラエルの首都とすることを認め、アメリカ大使館を移転させると表明した。当然ながらイスラム教徒であるアラブ人やパレスチナ人は猛烈に反発しており、新たな戦争の火種をつくり、大混乱に拍車をかけてしまった。

     こうした世界情勢の中で、これからの世界をどうつくるかという絵を描いているリーダーが世界中どこにもいない。トランプ大統領がアメリカファーストと言っているように、皆自分のことで手いっぱいの状況である。

     第2次世界大戦が終わった頃は、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、フランスのドゴール、ソ連のスターリン、更には非同盟の国々の中にもエジプトのナセル、ユーゴスラビアのチトー、インドのネルー、中国の周恩来、インドネシアのスカルノなど、非常に優れたリーダーがいて、その人達は自分なりの夢を持っていたと思う。従ってそういうリーダーが集まって、新たな秩序をどうつくっていくかという話し合いができた。ところが今、そういうことをやろうとするリーダーはいないし、まとめようとするリーダーもいない。リーダー不在のリスクは極めて大きい。先行きが見えなくなって不安だけがどんどん堆積してくる中で、強いリーダーに引っ張ってもらって、日々の生活が何とかできればそれでいいというような気分に世界中がなりつつあるのではないかと感じる。まさに独裁者を容認する空気がつくられてきている。特に2008年のリーマンショック以降、世界には独裁者がどんどん増えてきている。ロシアのプーチン、中国の習近平、トルコのエルドアン、シリアのアサド、イスラエルのネタニヤフ、フィリピンのドゥテルテ、北朝鮮の金正恩、そして日本の安倍首相等である。その独裁者が各々の国を治められなくなった時に世界は分裂から大混乱に向かわざるを得ない。

     今、日本のリーダー達もそういうことが起こる可能性があることを十分に熟知して、日本としてどういう備えをしていくかを考えておくべきだと思う。幸い日本は素晴らしい頭脳や科学技術、そして優れた伝統文化を持っている。アメリカから兵器を買うよりも、もっと科学技術分野に集中的に投資して、高速レーザーによるミサイル迎撃システムの構築等まさに専守防衛の為の技術を身に付けるべきではないかと思う。地方には素晴らしい企業もたくさんある。また国内では気が付かないけれど海外の人達が気付いている世界に一つしかない技術を持っている企業も日本には多数ある。そういうところをしっかり支えていくことが大切だ。

     上からの統治の限界が世界的に表れてきており、いわゆる草の根民主主義の流れの中で、地域のリーダーを中心に個性的な地域づくりをやっておけば、そんなに心配することはない。そして私は常に言い続けていることだが、世界の国々から敵視されない国、日本という国があることがどの国にとっても必要なのだと思われるような国づくりを進めていくことが最も大事なことではないかと思っている。

     来年も大変な年になるだろうが、出口のないトンネルはない。これからトンネルに入ることになるかもしれないが、必ず将来その出口は明るいものになっていくと思う。そういう道筋を何とか見つけていければと思う。

    (了)

    2018年を展望して

    2017年12月27日(水)

    カテゴリー» 政治レポート

     また金融については、アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)の連邦公開市場委員会(FOMC)が12月12日(火)〜13日(水)に開かれたが、市場の予想通り短期金利の指標となるFF(フェデラル・ファンド)レート(短期金融市場の実勢金利)の誘導目標を「年1.00〜1.25%」から「年1.25〜1.50%」へと0.25%幅引き上げることを決定した。FRB議長のイエレン氏は来年2月で引退し、その後継としてジェローム・パウエル氏がトランプ大統領から指名されている。パウエル氏もおそらくイエレン氏の政策を継承していくだろう。両氏の考え方は、ドルを守る為にも利上げは必要だということ、そして膨れ上がっているFRBの資産を少しでも縮小させる方向に向かいたいということだろう。

     アメリカの短期金利がどうなるか、まさに金融リスクの中で、当面一番大きい問題なのではないか。新興国をはじめドルで借金をしている国はたくさんあるわけで、中国もその一つ。そういう国が大きな影響を受けるのは間違いない。中国もアメリカと色々な駆け引きをやりながら、何とか中国の習近平体制を維持していきたいということだと思う。

     更に金融について私が最も心配しているのは日銀の問題である。私から言えば、日銀は既に禁じ手に踏み切ってしまった。実現不可能ないわゆるアベノミクスを推進する為に安倍首相と黒田日銀総裁の下で、財務省と日銀が一体になって例のない異常な金融緩和を始めてしまったわけで、もはや後戻りができないような状況になっている。

     私はかつて自民党にいた時に、当時の麻生政調会長と相談し、経済物価問題調査会を再編成して総合経済調査会をつくり、その会長を務めた。小泉政権発足後間もない時だったが、当時はデフレ脱却が当面の最大の課題だった。私はデフレを脱却する為に金融政策だけでは絶対にできないと言い続けた。当時、自民党の中でも、インフレターゲットを設定し、日銀が中心となってそこに誘導していくことがデフレ解消の為に必要だと言う意見も強かったが、私はそんなことはできるはずがないと主張していた。デフレというのは需給関係が供給過剰になってバランスが取れなくなり、物価が下がり続ける状態を言うのだが、消費が大きく落ち込んでいる時に供給サイドだけに手を入れて抑制しようとしてもなかなかうまくいかない。更に内需拡大の為に思い切った経済政策や財政政策を実行せずに、金融政策だけでそれをやろうとしても無理なのである。

     ところが残念ながら小泉政権以降、金融政策が変えられてしまった。かつて日銀の独立性を強め、政府の言いなりにならないようにする為に日銀法を改正したのだが、安倍首相と黒田日銀総裁の下で、今や日銀は財務省と一体のようになってしまった。法律で禁止されている国債の直接引き受けはできないが、市場からどんどん国債を買い続けており、実態的には国債の直接引き受けと同じような姿になっている。更には国債ばかりでなく、ETF(上場投資信託)やREIT(不動産投資信託)まで買い続けている。その結果、日銀の資産がどんどん膨らみ、既に本年3月末時点で総資産490兆円を超え、国債保有残高も418兆円に達している。こうした状況下でもし国債が値崩れするような事態が起こった場合には、日銀は巨額の評価損を抱えることになる。そのことを指摘すると、一部の日銀関係者や学者の中には、それは会計処理上何も問題ない、とにかくずっと保有していれば、満期が来た時にちゃんと回収されると言う人達もいる。しかしそれだけの大きな含み損を抱えることになれば、日銀の信用が失われる可能性がある。

     日銀の主要な任務は、物価の安定、通貨の信用維持、通貨システムの安定である。そのいずれについても日銀がこれから責任を果たすことができるかどうか、極めて心配である。ただ幸いなことに個人金融資産がまだ1,800兆円あるし、巨額の対外純資産があるのでまだ心配ないと主張する人達もいるが、余力のあるうちに解決策を見出さないと再建不能になってしまう。

     今、日銀のマイナス金利政策の下でメガバンクも困っているが、それ以上に地方の金融機関が持たないのではないかと言われている。こうした状況下で、地方の金融機関が倒れることになったら大変なことになる。メガバンクも先般、みずほ銀行が19,000人分の業務を削減すると発表した。メガバンク全体では32,000人分の業務を減らすとしている。かつては金融機関の安全神話があったが、アメリカの短期金利の引き上げを大きな引き金として、リーマンショック以上の金融危機が世界に波及する恐れがあると思う。

     世界の金融市場は、債券市場も株式市場も中央銀行が支えざるを得ない状況になっている。日本もそうだが、イタリア、スペインにしても、あるいはギリシャ、ポルトガルは言うまでもないが、中央銀行が支えきれなくなってどこかの国が崩壊すると、ドミノ現象のように世界全体が大混乱に陥るだろう。

    (続く)

    2018年を展望して

    2017年12月19日(火)

    カテゴリー» 政治レポート

     先の衆院選はなんら大義名分のない選挙で、安倍首相の続投を国民の支持を得て認めてもらうのだという、まさに自分の為の解散総選挙だったと思う。

     安倍首相にしてみれば、選挙の直前に小池百合子氏と前原誠司氏によって野党は分断され、与党の圧勝に終わったのでしてやったりと思っていることだろう。しかし国民は安倍首相を支持しているかというと、必ずしもそうではない。議席全体では与党で約7割近くを取っているということかもしれないが、比例区において有権者総数の何割を取ったかという絶対得票率でみると、自民・公明両党は4人に1人、自民党単独では6人に1人である。従ってここには民意と議席数との大きな乖離がある。基本的に現行の選挙制度が持っている欠陥とも言える。

     安倍首相は相変わらず憲法改正を実現させたいと思っているようだが、今回の解散を見ていて、改めて日本の統治機構の仕組みそのものに大きな弱点、欠陥があるということを感じないわけにはいかない。

     安倍内閣もそうだが、歴代の自民党内閣が衆議院を解散する時に、いつも憲法7条による解散だと言う。しかし憲法7条というのは、あくまでも天皇陛下の国事行為を列記して規定した条文であって、総理の解散権を認めた条文ではない。私が大学時代に憲法を学んだ有名な憲法学者・宮沢俊義さんは、当時から7条解散は違憲であると言っておられた。

     総理が解散権を行使できるのは唯一、憲法69条にある規定によってのみである。そこには内閣不信任案が衆議院で可決、または信任案が否決された場合に10日以内に衆議院が解散されない限り、内閣は総辞職しなければならないと書いてある。総理が自分の都合のいい時に解散をしてよいということは、憲法は全く予定していない。もし憲法改正をやるのであれば、真っ先に総理の解散権を69条に明確に限定すべきだと、私は一貫して主張してきた。

     行政権のトップである内閣総理大臣は国会で指名されるが、国会はそれぞれの地域の代表、また比例代表として選ばれた人達で構成されている、国民のいわば代弁者、代表であるが、その人達が内閣総理大臣を誰にするか指名選挙を行って、その結果、指名された人が行政権のトップに座るわけであり、立法府なかでも衆議院は言ってみれば議院内閣制の下では、総理大臣の産みの親である。その産みの親である衆議院を恣意的にいつでも解散してよいという、そんないい加減な統治機構はあり得ない。

     また最高裁長官については首相に罷免権はないが、内閣の指名に基づいて天皇に
    よって任命されることが憲法で規定されている。安倍首相は、司法権の長である最高裁長官も、立法府の衆参両院議長も内閣の閣僚も、すべて総理が決められると思っている。しかもそれに加えてもう一つ大きな権力であるマスコミ、マスメディアも今や総理に擦り寄っている。一部を除いて大手の新聞は一切政権を批判しない。公共放送であるNHKが頑張ってくれなくてはいけないのに、そのNHKにどんどん権力の手が入っている。まさに三権にマスメディアを加えた四権の上に安倍首相は君臨しているようにしか見えない。これは非常に恐ろしいことである。

     私はいつも我が国と台湾との友好関係を大切にしているが、その台湾では中国の国父と言われ敬愛されている、孫文の唱えた五権憲法に基づいて統治機構がつくられている。行政・立法・司法の三権に、監察権と考試権を加えた五権分立の下で、互いにチェックアンドバランスが働いている。

     日本の場合には残念ながら、最高裁が高度の行政判断を必要とすることについては憲法判断を避けてしまう。例えば安倍内閣が集団的自衛権を容認する閣議決定をして、それに基づいて安保法制をつくり変えたが、その時にしきりに引用されたのが1959年の砂川事件の判決である。砂川事件は米軍の基地をめぐる事件の裁判であり、最高裁は米軍が駐留していることは違憲ではないという判断を下したのであって、この判決が集団的自衛権を容認しているのだという根拠には全く当てはまらない。それにも関わらず最高裁はこの閣議決定について何も言わない。最高裁が行政権の下位に位置付けられてしまっているような状況に非常に怖さがある。

     憲法改正をするのなら総理の解散権を明確に規定することと同時に、最高裁が高度の行政判断について合憲か違憲かの判断をしないのであれば、独立した憲法裁判所をつくるべきだと、私は従来から主張している。憲法裁判所が最終判断をすることにならなければ今の最高裁判所では内閣の暴走を止めることはできない。

     憲法9条をどうするかという課題もある。立憲民主党の枝野代表の言っていることは極めて明快である。集団的自衛権の容認は憲法に反する、憲法に反する閣議決定をしておいて、それに基づいて安全保障法制をつくり変えたことはとても認められるものではない。安倍首相や自民党が自衛隊の存在を憲法9条に付け加える改正が必要だと主張しているが、憲法に反する安保法制を認めた上で自衛隊の存在を明記することになれば、結局、日米安全保障条約、日米同盟の下で日本の自衛隊がアメリカのアジア戦略、世界戦略に使われしまう恐れが極めて強い。そこを明確に整理しないと、自衛隊の存在を明記するところまで踏み込めないと言っている。私も同じ考えである。アメリカの総合的な国力が落ちてきている中で、軍事的にも経済的にも金融の面でも日本がこれを補完することをアメリカは求めており、現実にそのような状況になりつつある。

     今、北朝鮮の問題があるので、日本の国民はアメリカの力を必要とすることに対してあまり抵抗感もない。

     先日、岸田前外務大臣と小野寺防衛大臣がアメリカに行った時に、陸上型ミサイル迎撃システムのイージスアショアを早く売ってほしいと申し入れている。2機で約2,000億円という。アメリカの総合的な国力が落ちる中で、特に製造業の力が弱まっているが、健在なのは航空機産業と兵器産業である。兵器は原価が外部からはなかなかわからない。日本がアメリカから兵器を買う場合にそれを値切るようなことはしないだろうから、アメリカにしてみればよいお得意様として考えているだろう。

     北朝鮮の問題で戦争が起こる可能性がないわけではない。しかし核戦争をやったら二国間の問題ではなく、世界全体、人類が滅亡に向かう恐ろしいことになる。核兵器は絶対に使ってはならないし、核廃絶の方向に世界が向かうのは当然のことである。従って、アメリカと北朝鮮の問題を平和裏に解決することが何よりも重要だと思う。

    (続く)

    2018年を展望して

    2017年12月12日(火)

    カテゴリー» 政治レポート

     今年もまもなく暮れようとしているが、多くの問題が持ち越されて年を越すことになる。

     今年はイギリスのEU離脱という大きな出来事があり、未だに混乱が続いている。EUの離脱交渉をめぐって、ユンケル委員長とメイ首相との会談が12月4日(月)と8日(金)に行われ、EUへの清算金の負担にイギリスが応じるとともに、他の条件について協議を続けることになったのでイギリスの強硬離脱によってEUが大混乱になることは避けられたと思うが、いずれにしてもイギリスがEUから離脱する。また欧州先進国の中でも最も安定したリーダーシップを発揮してきたドイツのメルケル首相が先般の選挙でCDU(キリスト教民主同盟)、CSU(キリスト教社会同盟)の議席を減らした。また連立与党のSPD(社会民主党)も大きく議席を減らして連立を離脱してしまった。そこで他の政党との連立工作を進めたがうまくいかず、シュタインマイヤー大統領の仲介でふたたびSPDとの大連立の交渉が進められつつあるが、まだ予断を許さない。

     イギリス、ドイツばかりでなく、その他の欧州諸国も大変な状況になってきているが、こうした中で、来年起こり得るリスクを私なりにいくつか考えている。一つ目は金融リスク、二つ目は戦争のリスク、三つ目は地政学的なリスク、そして四つ目は世界のリーダー不在のリスクである。

     世の中というのは混乱があればその中から必ず次の秩序がつくられていく。それがあるから人類の歴史はずっと続いてきている。

     振り返ってみると、第二次世界大戦の時は、戦争終結のかなり前から戦後の秩序をどう構築するかという話し合いが行われていた。当時はアメリカの国力が圧倒的に強かった。歴史的にアメリカの国力は、第二次世界大戦前夜、大戦の最中、戦後しばらくの間が最も強かった。日本が敗戦国となった前年の1944年7月にニューハンプシャー州のブレトン=ウッズで会議が行われ、米英を中心とする45ヶ国によって経済、金融の面から世界の秩序をどうするかが話し合われ、IMF(国際通貨基金)、IBRD(国際復興開発銀行、現在の世界銀行)の設立が決定された。それを裏付ける為に、基軸通貨としてドルをしっかりと位置付け、金1オンス35ドルと金兌換という固定相場制が合意された。その一方で、水面下において、スターリンが指導するソ連と自由主義国の中心国であるアメリカとが色々なディール(取引)をやっていた。そういう中で国連がつくられたが、後になって、アメリカでソ連のスパイ容疑で告発され有罪となったルーズベルト大統領の側近だったアルジャー・ヒスと、ソ連の外務大臣を長く務めたグロムイコが綿密な交渉、調整を行った結果、国連憲章がつくられている。

     従って日本が常任理事国に入りたいと言ってもなかなかうまくいかないし、依然として国連憲章の敵国条項から外されていないこういうことも、国連の成り立ちに立ち帰って考えてみればなるほどと思うことが多い。

     このように第二次世界大戦の終わりの頃につくられた秩序がずっと今まで続いてきたが、最近になってうまく回らなくなってきた。一つにはアメリカの国力低下が背景にある。ブレトン・ウッズ会議で金1オンス35ドルと決められた時には、世界の金の大半はアメリカにあった。その後、アメリカも経済が悪化し、財政も悪くなってくるので金も売らざるを得ない状況になってくる。ドルと金の交換を維持することができない状況の中から、1971年にいわゆるニクソン・ショックが起こり、ドルと金は交換停止になってしまった。それ以降、ドルはまさにペーパーマネーになってしまったわけで、実際には何の価値の裏付けはなく、決済通貨であることによって信用が維持されてきた。また一方において、ペーパーマネーとして、いくらでも印刷すればお金ができるので、どんどんドルを増やしていき、それを世界にばらまいて、アメリカの戦略をなんとか遂行しようとしてきた。そういう中で、マネーゲームの世界が生まれてくる。オーストリアのハイエクやアメリカのシカゴ学派の中心であるフリードマンらが新自由主義を唱え、それに政治的に呼応したのがイギリスのサッチャーであり、アメリカのレーガンである。サッチャリズムやレーガノミクスを実行して、政治的にも新自由主義に則って政策を実現しようとした。

     新自由主義というのは、私なりに簡単に解釈すると、大きいもの強いものをより大きく強くしていけば全体がよくなるという考え方であり、竹中平蔵氏と私が常にぶつかったのもこの点である。彼は大きいものをより大きく強くしていかなければ競争力も生まれないし、経済成長もあり得ないと言う。トリクルダウン(滴り落ちる)という言葉もよく使っていた。富裕層や大企業が豊かになってくれば、富が下に滴り落ちてくるから全体がよくなるという発想である。ところが私はそれには条件があると指摘した。お祝いのイベントの時にシャンパンタワーが用意されることがあるが、シャンパンのグラスをタワーのように積み上げていき、上からシャンパンを流すとどんどん上から下に落ちてきて、下のグラスまで一杯になる。ただしグラスが全部同じ大きさだから下のグラスにまで注がれるのである。上のグラスがどんどん大きくなっていったら、永久に下には落ちてこないことになる。まさに新自由主義に則って豊かになった人達はそういう考え方の人が多い。多くの豊かな人達が全体のことを考えてくれればよいのだが、共助共生の社会をつくるという発想がない。そういう人達は自分さえよければよいということで、限りなく富を追求する。

     その結果何が起こったかというと、現在世界の大富豪上位8人が下位からの36億人分の資産を保有する世界になってしまった。さらに世界の62人の富裕者が全世界の半分の富を持つようになってしまった。そして我が国でも自民党が中心になってつくってきた本来、資本主義ではできるはずのない世界に誇るべきいわゆる一億総中流社会を小泉政権以降崩壊させてしまった。現在日本でも2%の金持ちが20%の富を保有するという、格差の大きな国に変わってしまったのである。

     そして一部の富裕層は税負担を免れる為に、世界に数ヶ所ある、いわゆるタックス・ヘイブン(租税回避地)で巨額の資金の運用を行っていることが、最近パナマ文書やパラダイス文書によって露見し、世界中で批判を浴びている。

    (続く)

    立憲民主党の躍進を期待する。

    2017年10月7日(土)

    カテゴリー» 政治レポート

     いよいよ総選挙に突入することになるが、今回の衆議院の解散は、私から見ると、安倍首相の恣意的な解散であって、大義名分がまったくない解散だと言わざるを得ない。しかも野党が臨時国会の召集を再三求めていたのにそれを3ヶ月も放置しておいて、9月28日(木)に国会を召集すると所信表明演説も代表質問もなく、基本政策についての与野党の論戦を全く行わずに、冒頭で解散したことはまったくの暴挙で、言ってみれば政権延命の為の解散としか言いようがない。

     マスメディア等でも色々言われているが、国会を開くと前国会から引き続いて森友問題・加計問題で追及されることが目に見えている。また衆議院の補欠選挙もやらざるを得ない。更には安全保障政策や経済財政、金融政策などの行き詰まりも明らかになってくる。野党が力を失っている間に思い切って選挙をやって、多少議席を減らしても安倍政権が信任されたという姿をつくりたいという、まさにその1点で解散をしたのであって、北朝鮮の脅威が現実のものになりかねない中で、国民にとっては誠に迷惑な話である。

     現に10月10日(火)から選挙戦に入るわけだが、いつの選挙でも選挙前には色々な動きが出てくる。特に個々の議員または候補者は自分が生き残る為、あるいは当選をする為に色々なことを考えて行動するというのは、いつの選挙でも見られることである。従って今の状況はそれほど驚くことではないが、ただ全く常識外れなことをやったのは民進党の前原誠司氏である。

     9月1日(金)に行われた民進党の代表選挙を勝ち抜いて代表になったのだから、野党第1党の党首として堂々と今回の解散を受けて立って、安倍政権打倒の為の選挙を先頭に立ってやらなくてはいけない立場にも関わらず、民進党という政党は残しながらも、選挙で民進党の候補者は立てないという信じられないことを小池百合子氏との間で決めてしまった。野党が結集をして政権を倒すというのは当然のことで、政権を倒すのであれば、希望の党とも協力しながら、民進党が野党第1党として大きく議席を伸ばすように行動するのが代表の責任である。希望の党との合流を決めた直後の民進党の両院議員総会で前原氏は、政権を打倒する為にそういう選択をせざるを得なかったと説明した。それを受け止めた民進党の人達は全員、希望の党という名前で戦うのだと理解したのは当然である。

     ところがその後の希望の党の公認候補を選定する作業の中で、小池代表は、これは合流ではないのだから民進党の人を全員受け入れることはさらさらないと発言し、いわゆる排除の論理によって候補者の選別をしていく。そして結果的にはリベラル系の人達が排除されるということになった。その一方で、与党であっても自分の親しい議員の選挙区には候補者を立てないことや、維新の党と協力して維新の勢力の強い大阪では希望の党の候補者を出さないことを勝手に決めてしまう。まさに小池氏の「私党」になってしまった。自分の好き嫌い、自分の判断ですべてを決めるという非常に思い上がった存在になってしまった。まさに民主主義政党ではなく、最初から独裁政党の体質を持っていると言わざるを得ない。だから都民ファーストの会のオリジナルメンバーがやむにやまれず離脱をすることも起きてくる。

     しかも都知事と党首を天秤にかけて、希望の党の期待感、支持率がどんどん大きくなって、野党第1党として他の野党と力を合わせれば首班指名で総理になれる可能性があるのか、あるいは難しいのか、そこを見ながら都知事を辞めるか辞めないかの判断をしているようだ。都政の重要さ、更に国政の重要さというよりも、自分が何になれるかをすべての尺度として判断しているように見える。野党第1党になれる可能性があるとするならば、自民党政権、なかんずく安倍政権とは目指す社会の姿形がどう違うのか、理念と基本政策を明示するのは当然のことである。ところが未だにそれが見えてこない。小池氏はマスメディアの使い方やネーミングには極めて優れた人だと思うが、どういう社会をつくろうとしているのか、その基本的な理念が全く見えない。こういう人が大きな国民の支持を集めることは非常に危険なことだと思う。もともと小泉純一郎氏や竹中平蔵氏と極めて近い考え方の人であり、その路線を進んでいくことは大体想像がつく。10月6日(金)の朝、小池代表が理念、政策を発表した。思った通り、安倍政権と大差はない。経済政策についてもアベノミクスに代わる「ユリノミクス」を実現させるなどとマスコミ受けを狙ったことを述べていた。

     安倍首相の恣意的な解散による今回の選挙では、憲法改正が大きな争点になってくる。もともと私は憲法改正そのものに反対ではない。ただ9条は変えるべきではないと主張している。憲法改正そのものは反対ではないというのは、例えば私が従来から提唱しているように、衆参両院の役割を明確にすることもその一つである。衆議院は現行のように人口比例による議席配分を行うが、参議院は人口比例ではなく地域代表という位置付けを明確にして、アメリカの上院のような役割を持たせる為には憲法を改正しなければならないのである。

     今回の解散について思うことは、憲法7条によって衆議院を解散するという天皇陛下の詔書がいつも通りに読み上げられて解散されたのだが、憲法7条というのは私の持論だが、天皇陛下の国事行為を規定したものであって、総理の解散権を規定したものではない。あくまでも総理が解散できるのは、憲法69条の規定によってのみである。内閣不信任案が可決されるか、信任案が否決をされた時は、10日以内に衆議院が解散されない限り、内閣は総辞職しなければならないという規定である。その69条にしか総理の解散権について触れた条文はないのである。私が大学時代に憲法を学んだ有名な憲法学者・宮沢俊義さんも7条解散は明らかに違憲であると盛んに言われていた。このことは議院内閣制の根幹にかかわることだと思う。

     議院内閣制はあくまでも国民から選ばれた衆参両院、特に首班指名において優先権を持っている衆議院の指名によって行政権の長である首相が選ばれる。国会が、行政権の長である首相の生みの親であり、その産みの親である国民から選ばれた代表である衆議院を解散するというのは、よほど厳しく内閣と野党が対立をして、その結果として不信任案が出されたり、逆に与党から信任案が出されたりして、その結果、不信任案が可決された、あるいは信任案が否決された時にのみ解散をするということを憲法は想定していたはずである。7条の3項について総理の解散権を容認しているかのような解釈をして、しかも総理にとって最も都合のよい状況で解散を恣意的にするということは、私は全く憲法違反だと思っている。

     小池氏が選挙に出るのか、出ないのかが注目されてきたが、「都知事になって間もないのに都政を放り出して国政に戻るというのはあまりにも無責任」、「都知事に専念すべきだ。」と都民の多くが思うのは当然だ。築地市場の豊洲移転の問題にしてもまだ道筋がはっきりしていない。都政に重要課題が山積している中で、本人も選挙に出るべきかどうか判断をしかねているのだろう。

     小池氏はともかく、それに乗せられた前原氏は、結果として民進党を壊したのである。両院議員総会で了承されたというのも、皆が揃って希望の党で戦うのだということで了承されたわけで、そうではないということになれば、本来から言えば、両院議員総会をもう一度開き、申し訳なかったと謝った上で代表を辞めるというのが筋である。ところが時間切れでそれもできない。未だに民進党の代表は自分だと言っている。これまたずいぶん無責任な話である。

     今回の選挙の位置付けは何なのかと問われれば、これは安倍政権の5年を総括する選挙だと言わざるを得ない。従って安倍政権が目指している日本の国家像、社会像と我々が目指しているものとは違うのだということを、野党は堂々と明示すべきである。そうしなければ政権選択の選挙にはならない。希望の党にしても野党第1党になろうとしているのなら、それを国民に示さなくてはいけない。安倍政権打倒と言いながら、理念や政策が安倍政権とどこが違うのかがはっきりしない。これでは政権選択のしようがない。

     そういう中、今回の騒動のいわば副産物のように生まれてきたのが「立憲民主党」である。立憲民主党は「立憲」という言葉を頭に付けているだけに憲法に則って政治を行う、憲法に不備があるならばそれを改正することはいとわない、しかし憲法を改正しない限り、現在の憲法を遵守するのは当然のことというスタンスである。

     そして集団的自衛権の行使は憲法に反するということを主張している人達である。自衛隊の存在を憲法に明記することは私も必要だと思っているが、集団的自衛権の行使を容認するという閣議決定を行った上で、安全保障法制をつくりかえるという今までの内閣がやらなかったことをやってしまったのだから、その上で自衛隊の存在を明記するとなると、まさに自衛隊がアメリカを守る為の集団的自衛権の行使に使われてしまうことになるわけで、結果として日本の国民を危険に晒す可能性が極めて強くなることに他ならない。そこは大事なポイントだと思うが、そのことについては、立憲民主党は極めて明快だし、その他の政策、公約はこれから明らかになってくるだろうが、今までに結集した人達の言動からみると、極めて筋の通ったものになるだろうと思う。

     これまでの安倍政権の暴走をみて危ういと感じている国民はたくさんいると思う。これを何とか正してほしいという国民の期待を受け止められる政党が残念ながら今まではっきりしなかった。今回、立憲民主党という新党が生まれたことによって、安倍政権は危ういと思っている人達の受け皿として、この政党が今回の選挙で大きく躍進してほしいと思っている。

     今の北朝鮮問題にしても、安倍首相はアメリカと相談をしながら「制裁を強める。」ということばかり言っているが、制裁を強めることは結果的に相手の反発も生まれてくる。金正恩という計り知れないようなことをやるリーダーを持っている国であり、しかもそれに対して「制裁を強める。」と言っているアメリカのトランプ氏も常識では計れないような大統領であり、そういう中でアメリカと一体となって「制裁」と言っていることは、結果的に日本が攻撃を受ける可能性をむしろ大きくしていることだと思う。

     北朝鮮問題に関しては、私は前から言っていることだが、やはりロシアの影響力が極めて大きい。金日成を擁して北朝鮮がスタートした背後で大きな影響力を持っていたのは旧ソ連、引き続きロシアになってもその影響力は続いている。ロシアのプーチン大統領が「制裁だけでは解決しない。」と言っているのは、それなりに北朝鮮情勢を熟知しているからだと思う。せっかく安倍首相がプーチン大統領と何度も会って「何でも言える間柄」と誇示しているわけだから、つい先日、ウラジオストクに行った時に、「北朝鮮の問題を平和的に解決することが日本の国民、国土を守ることになるばかりか、アジアや世界の安定の為にも不可欠なので、何とか外交交渉で解決する為にプーチン大統領に大きなリーダーシップを発揮してもらいたい。」ということをなぜ言わなかったのか。日本の総理であるならば、日本の国民、国土を守ることが第一義である。その為に最大限の外交努力をするのは当然のことではなかろうか。

     今、中東情勢をみてもロシアの影響力はきわめて大きくなっている。プーチン大統領がどういう政策を実行するかによって、北朝鮮はもとより中東情勢やヨーロッパの情勢も大きく変わってくるのである。

     アメリカは第2次世界大戦以後、世界各地に手を広げてアメリカの影響力を世界に及ぼしていこうという戦略を取ってきた。中東にもアジアにも中南米諸国にも介入していったが、ことごとく失敗している。ただ対日政策だけは長期にわたって戦略的にきちっと組み立てて実行してきた結果、唯一成功している。アメリカにとって日本ほど従順な国は他にはない。だからアメリカの総合的な国力が落ちてきている中で、アメリカの世界戦略、なかんずくアジア戦略を推進していく為に日本をどう使うかということをアメリカとしては当然考えていると思う。しかもアメリカの製造業が衰退してきた中で、兵器産業がアメリカにとって大きな力の拠りどころになっている。日本を取り巻く危険な情勢の中で、日本の防衛力強化を求めながら日本や韓国に兵器を売ろうとしているのは明らかではなかろうか。最近の動きを見ていると、アメリカの軍事戦略に日本は完全に組み込まれていると言わざるを得ない。

     日本の周囲に危険な国があるとすれば、日本の国を守る為に防衛力を強化することは必要だが、しかしその防衛力を使わないで済む環境をつくる外交努力がもっと大切なことなのである。よく「武力」という言葉を使うが、「武」という字は「戈を止める。」と書く。戈を止める力というのはあくまでも防衛力であり、他を攻めるというものではない。その思いを大切にして我が国は専守防衛を今日まで守ってきている。ところが、安倍内閣は集団的自衛権の行使を容認することによって専守防衛から一歩踏み出してしまった。そしてそのことによってかえって国民を危険に晒すことになってしまう。日本外交の一番大事なところは、日本を敵だと思う国をできる限り減らしていく努力であり、更には世界の平和な環境を構築する為に日本の存在が必要なのだと思われるような国づくりを進めていくことだと思う。スイスにしても北欧諸国にしても、平和な国際社会を維持していく為に積極的な役割を果たそうという意思を持って外交を進めている。そういう国を攻撃しようという国はどこにも生まれてこないわけで、そういう国づくりに学ぶべきだと思う。今回の選挙では、北朝鮮問題を含む安全保障政策も大きな争点になるだろう。

     この他にも社会保障政策、年金や医療等の安定と将来に対する安心を持ってもらう思いきった政策も大事になってくる。その財源問題として当然、消費税がいかにあるべきかという問題も争点になる。財政政策、金融政策についても、財政と金融が一体となっているようなことで日銀を政府の懐ろのように使っているのが現状で、これは自ずからから限界が来る。アベノミクスなるものの危うさは、今回の選挙戦を通じて大きく争点として取り上げていくべきだと思う。

     立憲民主党の枝野幸男代表は、自分もこういう政党をつくるとは全く想像していなかったと正直に語っているが、せっかく今回の騒動の中での副産物のように党が誕生したのだから、安倍政権の対抗軸となる理念、政策を今回の選挙戦で堂々と打ち出して国民の支持を集め、野党第1党として政権交代の中心的な役割を果たすことが、日本の将来の為に必要なことではないかと思っている。その躍進を祈りつつ、有権者の賢明な判断に期待をしている。